自転車を楽しんでいるならば、その時間は無駄ではない――ジョン・レノン
第22話 やれやれ…まぁたメカトラが来やがった…
その後訪れた試作会は、結理先輩の助言や事前の準備もあって、大きく迷う事無く終わった。
前日の準備は部長を中心に動いて、早々と終わってしまった。
今回、事前の準備というのは実に重要な物だと思い知らされた。そのおかげだったのか、全ての物事はスムーズに進んでいった。
そして迎えた本番当日。
今日まで謎だった光先輩が用意していた衣装はというと、黒と紫のゴスロリ系。フリルとギャザーが多めでふわっとした衣装を、ツインテールにして着ていた。
光先輩に「どうかなぁ?」と聞かれたが、思わずスマホカメラで撮ってしまった。これはしっかり保存しておこう。
ゴスロリ姿の光先輩が非常に目立った為かお客さんが大量に集まり、比較的早い時間帯で材料が尽きて完売となってしまった。
とてつもなく忙しかったが、気が付いたら終わっていた状態だった。
思い返せば、準備の方が長かった。
そして暇になってしまった自転車愛好部一行。
部長はクラスの人たちに「手空いたの? だったら」と連れて行かれて執事のコスプレをさせられていた。クラスの人たちにも、来客者にも好評だったらしい。
光先輩は通りがかって声をかけられた縁台将棋で一局指し、圧倒的な強さで勝ったと言う話を聞いた。ゴスロリ姿も相まって、観客がかなり集まったらしい。最後は将棋部に誘われたが、断ったとか。なんというか、意外な才能だ。将棋とは一番縁が遠そうなのに。
結理先輩は来年に備えて模擬店の偵察……と言っていたが、本当に偵察だったのだろうか。どう考えても自分の趣味だった気がするが。この件は深く追求しまい。
日は傾き、愛紗の高校初文化祭はつつがなく終了した。
聞いた話によると、三年生のどこかのクラスがやっていたお化け屋敷が怖すぎて話題になったそうだ。これは毎年お化け屋敷を開く中心的人物が居て、一昨年は一年、去年は二年と学年が上がっていったそうだ。この怖いお化け屋敷は来年開かれるかどうか分からない。
そう思うと、一度は体験しておいた方が良かっただろうか。怖くて行く勇気は無かったが。
終わってしまった以上、今更言っても遅い。
大きなイベントも終わって、もう暦の上では夏。
自転車で走れば風が気持ちよさそうな季節となる。
暑い夏――の前に、イヤな季節がやってくる。
「あーーーーーっ! 梅雨だーーーっ!」
光先輩が机の上で足をバタバタさせながら叫んだ。
無理もない。今日も雨だ。
二輪乗りには非常に辛い季節となる。屋根など無い二輪は、雨のダイレクトアタックを受ける。
雨の時も自転車に乗られない訳では無い。自転車レースに雨天中止なんて、路面状況が悪すぎて危険等のよっぽどの理由が無ければ起こらない。
だが、光先輩も結理先輩も雨の日は乗らない。
光先輩はチェーンに雨に弱いドライオイルを使っている為。雨に強いオイルを使うと、チェーンのピカピカが保てないからイヤなのだそうだ。常にチェーンをキレイにしているので、汚れるのは許せないという。
結理先輩は雨の日に乗った後、ブレーキシューが大変な事になるから乗らないという。シューを外してヤスリがけするのが大変らしい。
部長も部長でシートチューブが汚れて大変だから乗らないのだそうだ。通学用のクロスバイクも、雨の日は乗らずに徒歩で学校まで来ている。自転車が汚れるのもそうだが、雨具を着ると暑い、漕ぎにくいという理由が有る。一駅半ぐらいの距離なので、歩いて来られないことは無いのだそうだ。
バスという選択肢も有るが、雨の日は道路の交通量が非常に増える為、遅延する事も多く時間が読めないのだという。
その部長も、今日は居ない。
結理先輩は部室へ来ていて、イスに座って自転車雑誌に目を通していた。
「あー、早く梅雨が明けないかなぁ」
「……無理」
九州北部の梅雨明けは大体いつも七月中旬から下旬ぐらい。三大祭りの博多祇園山笠が終わる辺りでやってくる。
今はまだ六月。梅雨明けはまだまだ先の話である。
時々梅雨の晴れ間が訪れる時も有るが、予報もコロコロ変わる為に予定が立てにくい。
「ってか、こんな雨の日に部室に集まってナニやってんだろ、あたしたち。ナニもすること無いのにさ」
「それを言ったら……おしまい」
自転車愛好部は平日は部室で活動しているとはいえ、出る出ないは自由。
今居る光先輩、結理先輩、愛紗は部室に来ている率が高い。
普段部室で何をやっているかと言うと、結理先輩は自転車のメンテナンスをしていることが多い。愛紗と光先輩は……なんか雑談しているだけのような気がする。
部長は出る率がそこまで高くない。光先輩の話だと「自宅で新しいパーツの実験してるんじゃない?」との事。確かにパーツの事は色々知っているが、部室で自転車を触っているのはあまり見ない。
「別に雨の日だからって……何も出来ない訳じゃない」
結理先輩は顔を上げる事無く、雑誌を読みながら言う。そんな結理先輩も今はメンテナンスするような自転車が無いので、雑誌を読んでいる状態だ。
前に部室にある自転車雑誌を読ませて貰ったが、自分のクロスバイクの何倍もする値段のロードバイクレビューや広告が載っていて、別世界観が有った。完成車どころか、ホイールだけなのに桁が違う物とかも有った。
この世界は、自分にはまだまだ早いようだ。
「んーーーー……ナニが出来るのさ?」
光先輩は再び足をバタバタし始める。結構机が揺れて迷惑だが、それは言えない。
「…………平田さんに自転車の事教えたり」
「ナニがある? だいたい教えた気がするけど」
「あれは教えた? パンクした時のチューブの交換」
光先輩の足がパタッと止まって、手を打った。
「あ、教えて無いわ」
「パンクした時って、チューブひっぱり出してパッチを貼ったりするんじゃないんですか?」
愛紗が聞く。これは自転車屋でよく見かける光景だ。愛紗が行く自転車屋でも、たまに見かける。
「ソレは予備チューブが無くなった時の最終手段。ホイール外すのが大変なママチャリと違うから、チューブを交換する方が早いんだ。だいたい、出先でパンクした所調べる水桶とか簡単に用意できないでしょ?」
「確かに」
普通のパンク修理で有れば、
タイヤの片側をリムから外して、空気を抜いたチューブを引っ張り出す。
空気を入れる。穴が大きければ、漏れる音が聞こえる。分からない場合は水を張った桶に浸けて空気が漏れている箇所を調べる。
タイヤを拭いて空気を抜き、穴の回りを紙ヤスリで磨く。
ゴムのりを塗って少し乾燥を待つ。
パッチを貼ってハンマー等で圧着。
タイヤ内外に異常や異物が無いかチェック。
元に戻して空気を入れる。
といった流れだ。
これを外でやろうとすると、大変だろう。というか、出来ない。
もっと楽な方法が有るなら、それを知りたい。
「どうやればいいんですか?」
「お、食いついたね? それじゃあ……」
と言いながら机をひょいと飛び降りた所で、光先輩は気付いた。
「あー、チューブ交換の練習だけなら余りのホイールとチューブがあるからやれるんだけど、愛紗ちゃんの場合はホイール外す所からやらないとダメなんじゃないかなぁ」
「そういえば、外し方知らないですね」
愛紗は言われてから、ホイールの外し方を知らないことに気付く。ホイールの中心部分、スタンド等が有る左側にレバーみたいな物が付いているのは、なんとなく記憶が有る。
「でも……」
光先輩は部室の奥にある小さな窓から外を見た。先程よりも雨が強くなってきている。
「さすがにコク……よね。この雨の中、自転車を家に取りに行けとか」
光先輩の目線が外から愛紗に移った。
雨の日、家まで歩いて十五分かからないぐらい。往復しても一時間まではかからない。そんなに苦ではない。傘を差して自転車を押して学校まで来るのは、ちょっと大変そうだが。
「自分のロードバイクでやれば?」
結理先輩が口を挟む。だが、
「いや、あたしのロード、ディスクブレーキだし」
いわゆるスポーツ自転車のブレーキは、大きく分けると二種類になる。
リムにブレーキシューを当てて速度を落とすリムブレーキ。
ホイールの中心部分に取り付けられたディスクローターにブレーキパッドを当てて速度を落とすディスクブレーキ。
重いと言われていたディスクブレーキも、最近はロードバイクで採用されることが多い。軽い方がいいと言われるロードバイクだが、重量増になってもメリットが大きければ、そのパーツの採用は
光先輩のロードバイクはディスクブレーキだが、結理先輩や愛紗のクロスバイクはVブレーキと呼ばれるリムブレーキになっており、構造が違う。
「…………やだ」
何かを察した結理先輩が顔を上げて先手を打つ。このまま話が進むと、雑誌の内容が頭に入ってこなくなる気がしていた。
「だって、あとユリしかいないんだよ?」
「乗るのはまだいいけど……弄られるのはあまり気が進まない」
結理先輩が丁寧に手入れしている小さなクロスバイクに乗れる人は、この部に居ない気がする。範囲をこの学校全体に広げても、何人いるだろうか。
「ヒドいよ、ユリ。愛紗ちゃんにこの雨の中、自転車取りに行けって言うの?」
光先輩の言葉に合わせるかのように、外の雨はさらに強くなってきた。雨音がかなりうるさい。さすがにこの雨の強さだと、取りに帰るかどうかは悩む。
別に急がないから、晴れた日にクロスバイク持ってきてやってもいいのだが。
「いいよ、愛紗ちゃん。あたしがいっしょに行くよ。自転車取りに行こうよ!」
光先輩の芝居がかったちょっと大げさなセリフ。
うちに来るのなら、そのままうちでやればいいのではないかと思ってしまう。
でもそれは多分、言ってはいけないような気がした。
結理先輩は窓から外を眺めた。騒音を奏でる雨は、弱まる気配がない。
少しの時間、部室内は雨音だけが響いていた。
「…………分かった。フロントでやって。リアは絶対に駄目」
結局、結理先輩は折れてしまう。フロントなら着脱は簡単だ。トラブルにはならないだろうと踏んだ。
「よぉし、そうと決まれば」
光先輩は作業場に素早く移動して、クロスバイクのカバーをひん剥いて端っこに寄せた。
「愛紗ちゃん、来てよ」
光先輩が手招きをする。呼ばれた愛紗は作業場へ向かった。
クロスバイクが心配な結理先輩も、渋い顔をしながら作業場の方へ向かう。
気が付くと、先程まで強くなっていた雨は、いつの間にか少し弱まっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます