第20話 home ecコック澄代
学校で文化祭の準備をするには、五月はあまりにも短い。とても短い。
月の初めは連休で休み。休みにワザワザ出て来ようとは思わない。部員みんながそうだ。
連休明けて学校が始まっても、中旬になれば中間試験前で部活動は休みになる。この十日ちょっとの期間は活動も出来ない。
中間試験が終わると、今度は準備を本格的に始めなければならない。
試験が終わってスムーズに準備が始められるよう、試験の前までに内容をある程度決めておきたい。ライドもイベントも重要なのは事前の準備である。
そんな訳で、部室荘に有る自転車愛好部部室には部員たちが集まっていた。
「パンはオーブンで焼きたいですよね」
「この前ユリと食べに行った影響、すっごい受けてるね」
いつものように机に座る光先輩。毎回思うが、なぜイスに座らないのか。
「あの、カリカリの食感がすごく良かったんですよぉ」
「あたしもユリと行ったコトあるからね。分かる」
その結理先輩は用事が有るとかで、今日はいない。
「しかし、あの坂有るのに良く連れていったと思うよ。山頂までは自転車で行けないけどね。いや、行っても木で覆われてて展望はアレなんだけどさ。
「オーブンか……。手配するとなると、何台必要だろうか」
いつものように仁王立ちで腕を組む部長が呟いていた。
愛紗と光先輩は部長をチラッと見るが、すぐに目を逸らした。
二人とも部長が制服姿ではないのが、さっきから気になっている。
「――あのぉ……光先輩?」
愛紗は小声で言う。狭い部室で小声にしても聞こえそうだが、部長に聞こえないようにボリュームを絞る。
「あれ、絶対ツッコミ待ちだと思うんですけど」
「あたしもそう思うんだけど……アレをどこからどうツッコんでいいのか分からない」
光先輩も合わせるかのようにヒソヒソ声になる。多分部長にも聞こえている気がする。
「ん? どうした?」
やっぱり聞こえていた!
コソコソしている二人が気になったのか、部長が聞いてきた。
もう逃れられない。愛紗は意を決する。
「部長、その格好はなんなんですか?」
「ん?」
部長は真っ白な自分の姿を見下ろす。
そこに見えるのは、コックコートだった。
コックコートは熱い物、汚れやすい物を扱う厨房で着る事を前提とした服で、ナポレオンコートをベースに欧州で生まれた。
「演劇部の応援ですか?」
「いや、調理するって言うから、それなりの格好をした方がいいのかと思ってな」
そこまで本格的な調理をする予定は無い。
「とりあえず着てみたのだが、どう思う?」
どう思う? と言われても、そのコック姿で腕を組まれたら「サラダ油・小麦粉といえば、やっぱり理研」としか思えない。これでは作る物がエビフライになってしまうではないか。
「買ったんです? ソレ」
光先輩がなんか興味津々だ。
「いや、レンタルだ。クラスの出し物で借りる物が有るからな。ついでに借りようと思ったのだが。カタログ有るぞ。見るか?」
そう言って、部長はどこからかカタログを取り出した。机から降りた光先輩はそれを受け取って、パラパラとページをめくり始めた。
「あ、コレかわいい~。当日着たぁーい」
「これをか? うーん……まぁ、いいんじゃないか? そう言うなら手配しておくぞ」
「やったぁ!」
光先輩があんなに喜ぶなんて、一体何を着るつもりなのだろう。
愛紗が今いる位置からは、何を見ているのかカタログがよく見えない。まぁ、当日には分かるだろうから、今分からなくてもいい。楽しみは取っておこう。
「ところで、ホットドッグの中身はどうします?」
今日は結理先輩が居ない。食に関して詳しい結理先輩が居ない状態で話を進めるのは不安しかないが、次回来た時に意見を聞けばいい。永遠に来ない訳じゃあない。
「え? 中身って、ソーセージでしょ?」
「だけですか?」
「うーん……キャベツ?」
「私が食べたのも入ってましたね。いいかも」
「でも、炒めるの大変じゃない?」
「じゃあ千切りにしてそのまま挟むとか?」
「ナマはダメ。危ないから」
食中毒予防の観点から、食品は基本的に加熱した物しか駄目なのだそうだ。基本的であって、かき氷のような火を通せない物は加熱しなくても許可が出るという。世の中にはバーナーで炙ったり、フランベするかき氷も有ったりはするのだが。
渡辺通りや中洲を中心に並ぶ名物の屋台も、そういう理由で食品は加熱した物しか提供出来ないようになっている。飲料は大丈夫なようで、製造工程で熱処理を行わない生ビールは普通に提供されている。
「そもそもホットドッグって、どうやって生まれたんですか? 経緯が分かれば中身も決まってこないですか?」
「いやぁ……あたしが知るワケが無いでしょ」
「部長は知ってますか?」
光先輩のそばに居る部長にも聞いてみたが、答えは当然、
「ん? 知らん」
「ですよねー」
後日結理先輩に聞いたところ、アメリカで熱いソーセージを手軽に食べられるようにパンに挟んだ、サンドイッチにヒントを得てパンに挟んだ等、説はいくつか有るがドイツからの移民が街角の屋台で売り出したストリートフードが始まりなのだそうだ。
名前の由来に関しても、説がいくつか有って分からないのだという。
さすが自由の国アメリカ。始まりや由来も自由だ。
「やっぱ食に関してはアレだ。ユリが居ないと話が進まないよ」
カタログを部長に返した光先輩が半分諦めモードで戻ってきて、机に座りながら言う。
「うちの部じゃあ、ユリが一番食に詳しいからね」
自転車部で食に詳しいってのも変な話だが、自転車界隈では普通の事なのだろうか。疑問である。
「確かに。江淵は食の情報や文化、調理に関しても詳しいからな。私は家庭科で習う程度しか知らんぞ」
コック姿でそう言われても、違和感しか感じない。せめてコックらしくして欲しいのだが。
「シンプルにするか、ボリューム出してガッツリ系で行くか。どっちにします?」
「ユリなら間違いなくガッツリ系って言うね」
それはなんとなく想像出来る。志賀島のハンバーガーも、西公園のハンバーガーも結理先輩が選択した物はボリュームが凄かった。
でも結理先輩の求めるボリュームにすると、ガッツリというより超デカ盛りになってしまいそう。バランスを考えないといけない。
見た目のインパクト的にも、普通にするよりはボリューム感を出した方がいいだろうという事になった。
「ならソーセージの下に何か入れるべきだよね」
「何入れます?」
「うーん……キャベツ?」
「光先輩、ループしてますよ?」
「――あれ?」
「だから三人で話し合えと言ってただろう?」
部長はニヤリと笑う。
家庭科レベルのコックさん、下処理は完璧だった。
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