第18話 ノミトレヤ
愛紗は一つ気になっていた事が有る。
「あのぉ、結理先輩。下と上に鳥居が有りますけど、神社が有るんですか?」
結理先輩は小さく頷いた。
「あれは……
「てるもって、体温計?」
「……違う」
光雲神社。
元々は福岡城の敷地内で六代目藩主
明治に入って廃藩置県が始まると、旧藩民の懇願により現在の警固公園付近へ移り光雲神社と名付ける。
明治末期、西公園が整備された後に東照宮の跡地へと
この『光雲』の由来であるが、孝高と長政の戒名から一文字ずつ取っている。
ちなみに体温計の方のテルモであるが、ドイツからの輸入に多くを頼っていた体温計が第一次世界大戦で輸入出来なくなった為、国内で製造する為に作られた。
社名の由来も、ドイツ語の体温計である。
「神社、あったんだ」
愛紗は西公園の存在を知っていたが、公園内に神社が有るのは知らなかった。
当然、興味が湧いてくる。
「行ってみたいです」
「別にいいけど……目的地はそっちからも行けるから」
二人はオレンジ色の坂からまっすぐ続く石畳を進み、階段を登る。こんな時、歩きやすいSPDシューズを履いてて良かったと思う。
長い五十二段の階段を登ると『光雲神社』の扁額がかかった石鳥居と
「おぉ……」
さすがの愛紗でも黒田官兵衛の名前は知っている。知っている人物が関わる神社となると、ちょっと感激だ。
鳥居をくぐると、コンクリート造りのガッシリとした大きな拝殿が見える。戦前はもう一回り大きかったようであるが、空襲で焼失。小さな仮殿を経て現在に至る。
拝殿に近づくと、奉納された『黒田武士』の樽酒が見えた。これは筑豊の
酒癖の悪い事で有名な尾張国清洲の福島正則が居る京都へ使いを出す事になった黒田長政。大酒飲みで知られた母里太兵衛には「呑むなよ。絶対に呑むなよ」と念を押しておいた。
京都伏見の屋敷へとやってきた母里太兵衛。
すでにやってる福島正則。
そこに用意されていたのは一尺(約三十センチ)あろうかという大盃。なみなみと酒が注がれていた。
「呑めよ」
母里太兵衛は黒田長政の言いつけを守り断るが、
「呑んだら、なんでもやるよ」
ちょっとは心動いたかもしれないが、それでも断る母里太兵衛。
「ハハッ! 黒田の所は腰抜けしかいないのか」
「腰抜けなんて……言わせない!」
こうして盃に手を付ける母里太兵衛。盃の酒を飲みきってしまった。
さらに勧められた二杯の酒も飲みきると、
「その槍を下さい」
と希望を出した。
その槍は皇室から足利義昭、織田信長、豊臣秀吉と受け継がれ、小田原征伐の褒美で福島正則が秀吉から戴いた物。
「えっ……武士に二言は無い」
と渡しつつも、酔ってうっかり落とさないか期待したそうだが、母里太兵衛はしっかりした足取りで十尺と長く、約三キロと重い槍を担いで馬で帰路についたそうな。
この話を江戸時代末期に福岡藩士高井知定作詞で
昭和三年十一月、日本放送協会が全国中継でラジオ放送が出来るようになると、郷土民謡として熊本放送局福岡演奏所(当時は福岡に放送局が無かった)から筑前今様を流す事になる。
この時、日本放送協会の職員がふさわしい名前として付けたのが『黒田節』。この名前は歌詞の『黒田武士』から来ている。
戦後はレコードも発売されて槍と盃は黒田武士のスタンダードとなり、博多どんたくの花電車や、杯をかたどった立体煎餅も作られた。
平安時代に始まり鎌倉時代には衰退した今様という名前が再び表舞台から消えると思われたが、その後中部日本放送のクロージング音楽として中京圏の人々に深く刻まれてしまう。
舞台となった京都伏見にも黒田節誕生の地の看板が有るが、実際に屋敷が有ったのはもっと北側の方になる。
なお、この母里太兵衛のエピソードは一五九六年の話。
そう、黒田家がまだ豊前国中津だった頃の話である。
拝殿の前には狛犬が鎮座していた。
では神社は誰が守っているのかというと、社殿の向かいに槍と盃を持って立つ母里太兵衛である。
拝殿にある賽銭箱に近付くと、天井に黒田家の家紋である藤巴、それを囲むように二羽の鶴が描かれているのが見えた。
「鶴……?」
「福岡城の別名は舞鶴城」
なお、舞鶴城と呼ばれていた城は福岡城だけでなく、全国に多数有る。
「そう言えば、舞鶴って地名有りますよね。
親不孝通りは天神の昭和通りから鮮魚市場の東側までの通りの通称である。元々はこの一体が
世紀末の頃になるとバブル期辺りからの治安悪化が目立ち始めて県警の要望で親不孝の字を無くしてしまうが、予備校の閉校などもあって人通りが少なくなってしまった為に地元商店を中心に復活運動を行い、親不孝通りの名前が甦ったという経緯がある。
名前が悪い、治安がと言われていたのに悪の秘密結社の社長を公認キャラクターにするあたり、ある意味吹っ切れた感はある。
賽銭箱の前に立つ愛紗は一礼して五円玉を賽銭箱に入れる。
その瞬間、クェーックェーッと鳴き声が拝殿に響き渡った。
「なに!? チンパンジー!? それとも警報!? 私、何か悪い事しました?」
「いや……鶴の鳴き声だから」
ここ光雲神社では、お賽銭を入れると鶴が鳴く仕様になっている。知らずに――いや知ってても突然の声には身体がビクッとなる。
二人はお参りを済ませた。
「当然、目的地はまだ先ですよね」
二人は光雲神社を出てきた。神社の前は参拝者駐車場になっている。
「もうちょっと歩く」
結理先輩は神社の左側を指差していた。そっちの方へ道路が続いているように見える。
「それでは行きましょう」
西公園には展望広場が三ヶ所有り、西、北、東とそれぞれの方向に有る。それを繋ぐように車道が右回りの一方通行で繋がっており、真ん中を南北に貫くように参拝者車両が出て行く道が有る。
周囲の車道は一部を除いて歩行者用のスペースが確保されているが、中央を貫く車道は基本的に参拝者の車両が出る為の道なので、歩行者用のスペースは無い。途中の荒津山山頂への階段の所に案内板が有るので、歩いてはいけないという事は無いと思われる。
この車道は北側への一方通行なので、このまま進むと後方から車が来るかもしれない。後ろに気をつけながら車道を進んでいく。
西公園は桜の名所となっており、シーズンになると公園は千三百本が咲かせる花で桜色で染められる。
今、そんなシーズンはとっくに過ぎており、緑が生い茂っている。葉の隙間から柔らかな光が降り注いでいた。
なだらかな坂を上るにはちょうどいい季節だ。
左下には別の道路が見える。コンクリートブロックで分けられた歩道らしきスペースが見えた。こことは別の道だろう。
前方には、今歩いている道路を越えるような石ブロックのアーチ橋が架かっている。下の道が繋がっているようには見えない。
橋に差し掛かったところで、止まれと右折を促す標識が見えた。道はまっすぐ続いているが、これは外周道路で時計回りの一方通行になっている。
車は右折しないといけないが、歩行者である二人には関係無い。道路を渡って右側にある歩道スペースを歩いて緩やかな坂を上っていく。
正面の方には開けたスペースが有り、車が停まっているのが見えた。奥の方には建物が見え、その手前ぐらいに飲料自販機が何台か有る。
「やっと着いた」
結理先輩が言う。
どうやらここが目的地らしい。
車が止まっていたスペースは駐車場だった。公園の駐車場にしては、そんなに広くは無い。
駐車場の右の少し離れた場所にちょっとした高台が有り、屋根が変わった形の
そして駐車場の向こうに建っていた建物には、うどんの文字が見えた。
うどん屋っぽいが、ここが結理先輩の目的地だろうか。
そう言えば、なんで西公園に来たんだっけ?
――ああ、文化祭の題材がどうとかだった気がする。
うどん……福岡らしさ?
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