第14話 十キロ早いんだよ!

 それは、衝撃の告白だった。

 光先輩と二人でホテルへ。

 そう、いきなりホテルなのである。

 禁断の御休憩へのいざない。

 まぁ、そういうホテルでは無いのだが、多分。近所に有るのはもっと派手な外観だし。

 ――でも、よく考えたら結理先輩もいる。

 三人でホテル……?

 大胆すぎる先輩たちだ。

 もはや断れる空気ではない。


 私、一体どうなってしまうんだろう……。


 そう思いながら、光先輩のあとをついていく。

 光先輩は強い足取りでグイグイ進み、横断歩道の無い県道を渡って駐車場を横切り、階段を昇る。

 目の前には三階建ての建物、その左側には四階建ての建物が有った。四階建ての建物の一階部分は右の建物の二階部分と繋がっており、ちょっと変則的な構造だ。

 三階建ての一階部分は大きな窓が並び、左側にエントランスが見えた。

 そんな巨大なベージュ色のホテルに私たちは吸い込まれ――ない。

 光先輩は右へと曲がっていった。

「こっちだよー」

 光先輩についていくと、三階建ての右裏の方へとやってきた。

 裏口? そんな人目に触れないようにこっそりと入る入口が……と思ったが、そこのエントランスの上部に『温泉館』と書かれてあった。

「温泉?」

「そ、温泉。一度来て見たかったんだぁ。ここ、金印の湯って名前だから」

 そこかい。

 なんで光先輩は、こんなにも金が好きなんだろう。疑問だ。

「温泉……良い」

 結理先輩も喜んでいる……のかな?

 金印の湯は二階が入口になっている。

 日帰り入浴は昼の短い時間だけ、非宿泊者も利用できる。受付は十四時まで。十五時を過ぎると、完全に宿泊者しか利用できなくなる。

 利用開始の時間を過ぎていたので、三人は入る事にした。

 風呂は内湯と露天風呂が有り、温泉を使用した露天風呂の方は玄海灘を眺める事が出来る。

「海っ! 海が見えますよ、これ」

「うん。愛紗ちゃんの身体も、あたしたちから丸見えだけどね」

 露天風呂の海側にはルーバーの目隠し板が付いている。なので、風呂場で立っていると海がハッキリ見えるのだ。

「これが無ければ、ゆっくり浸かりながら開放感たっぷりに海を眺められるのに……」

「そうすると、向こうの人からあたしたちも見えちゃうけどね、開放感たっぷりに」

「それは……うぅーん……」

 見てしまった人が可哀想な気がする。

 愛紗はゆっくりとお湯に肩まで浸かる。温泉は熱いっ! という訳ではなく、ゆったりするのにちょうどいいぐらいだ。

 肩まで浸かると、海は目隠し板で見えにくくなってしまった。全く見えない訳ではないが、立っている時に比べて見えづらい。

「平田さん。ルーバーに指をかけて覗けば……ボス気分に」

「裕次郎さんか!」

 ボスと言えばブラインドから覗くイメージだが、実際は星一徹のちゃぶ台返しレベルで少ない。

 大きく息を吐いて、改めて落ち着く。

 目の前の海岸から聞こえてくる波の音が心地よいサウンドとなっている。海の近さを実感出来る。

 見上げれば青く広大な空が広がっていた。今日はよく晴れている。

 昼でもこんなに綺麗なら、泊まって夜空を見上げたらもっと綺麗なんだろうなぁ。

 泊まる人が羨ましい――などと思っていると、意識が遠のいてきた。

「――これは、魔性のお湯です。私を……飲み込んでいく…………」

「愛紗ぁーっ! 死ぬなーっ!」


 なんとか無事に温泉を出た三人は、気持ちもサッパリ、リフレッシュが出来た。

「いやー、もう一時はどうなるかと思った、ホント」

「すみません……」

 愛紗は頭を下げた。

 さて、次だが、

「おなか……すいた……」

 結理先輩が一言。燃費の悪い先輩だ。

「そう言えば、一階にレストランありましたね」

 このレストランにはランチメニューも有り、あかもくを使った特製の醤油だれをかける海鮮丼や、特製のたれに漬け込んだ刺身を載せるまかない丼が人気だ。

 海鮮丼と入浴のセットというプランも有る。

「うん。それも考えたんだけど、ユリも志賀島初めてって言うから、ユリの大好物がある店を目指すよ」

「大好物……あれ?」

「アレ」

「?」

 結理先輩の大好物……角天? 他にもあるのかな。大体、なんでも好んでそうだけど。

「だから、もう少し進むからね」


 三人は休暇村を出発した。

 休暇村地区を過ぎると、両側の松林の終わりが見えて、左側に小学校がちらっと見えた。この小学校は島の南側にある小学校よりも生徒数が多いが、校区外でも自然の多い小学校へ通う事が出来る特別転入学制度実施校の為である。

 もっとも、実施校はその後休校や廃校になる確率が高いのだが。

 そして三人は志賀島第三の集落地帯へと入ってきた。

 この地区は海水浴場は有っても漁港が無いため、住宅は海側よりも山側の方へ多く集まっている。この県道付近は小学校の他に神社や旅館等が有る。

 小学校への横断歩道付近は住宅が集まっており、さざえ釜飯が名物の旅館を過ぎると、海へ流れ込む小さな江尻川の向こうに玄海灘が見えた。

「あ、目的地は右側のソコだからね」

 光先輩が言う。

 そこは、道路挟んで建つ旅館の駐車場の一角、小さな青い木造の建物が有った。

「これは……」

 ハンバーガー屋さんだった。シーフードやチキンも有るが、ハンバーガーが有名だという。

「結理先輩の大好物って、ハンバーガー?」

「そう。御当地的なバーガーは各地色んな所に有って……どれも美味しい」

 結理先輩って肉食系女子だったのか。意外なような、そうでないような。

 窓口でハンバーガーを注文する。光先輩はトッピングで玉子付、結理先輩はスペシャルバーガーにしていた。

 ハンバーガーは注文後に作るシステムである。なので、少し待ち時間が生じる。

 建物に近付いて分かったが、建物にはお客さんのコメントがビッシリと書かれている。愛好者の多い店だというのは、一目瞭然だ。

「ああ、ちなみにね、そこの横の道から潮見公園に登れるよ。登りたくなったら、いつでも付き合ってあげる」

 坂か……。もう少し登れるようにならないと。あの短い距離で脚がダメになるようじゃ、どこも行けない。

 しばらくして、ハンバーガーが出来上がった。窓口へ取りに行く。

 ハンバーガーは紙で包んで有り、累計の個数が書いてあった。

 カウンター機能付なのか。珍しい。

 包みをを開けると、バンズにパテとレタスが挟まれたハンバーガーが顔を見せた。

「ほぉぉぉぉぉ……」

 愛紗はハンバーガーにかぶりついた。

 柔らかなバンズとパテ、それに対するシャキシャキのレタスとピクルスの歯ごたえがアクセントとなっている。口の中に肉の味が広がった。

「なにこれ。おいしい!」

「でしょ」

 結理先輩はどんな反応するんだろうと思って見たが、愛紗は別の理由で驚いた。

「でかっ!」

 スペシャルバーガーは中身が倍。パテも二枚でハンバーガーに明らかな厚みが有った。

「これは……良い」

 喜んでいるな、多分。

「結理先輩って、結構大食いですよね?」

 口にハンバーガーが入っているので、結理先輩は黙って頷いた。

 飲み込んで、

「私……昔から小さかったから、いっぱい食べたら大きくなれると思ってた……」

 と、少し寂しそうに語る。

「でもユリ、縦には伸びなかったね」

「うん……」

 そう、縦には。かといって、横に伸びている訳でもない。

 さっき、温泉で実感した。

 大きいって、大変だ。

 縦に大きい私も、その気持ちは少し分かるかもしれない。

「トッピング……玉子とチーズ付けても良かったかもしれない」

 どんだけ食べる気だろう。底無し沼だ。

「はっ……ダブルトッピングの追いバーガーをすれば」

 もう、結理先輩についていけません……。


 おなかを満たした三人は、東へ向かって出発した。

 大体ここまでが外周右回りの約六割。一周まで、残り四割である。

 この旅館ゾーンの先にある海の家ゾーンを過ぎると、建物が無くなって緑に包まれた。両サイドが谷積みのブロックになったのち、左のブロックが途切れて広大な玄海灘が再び顔を見せた。

 海を挟んで遠くに海浜公園が有り、その向こうには山が見える。

「あれ、なんの山ですか?」

「んー……位置を考えると、多分犬鳴いぬなき連峰から三郡さんぐん山地にかけての山じゃないかなぁ」

「ひぇ……」

 愛紗は思わず声を上げた。

 犬鳴と言えば心霊スポットの絶対的なブランドで、数々の話が残る。

 北九州地方のとある峠に有るトンネルもまた、心霊スポットとして有名だが、共通するのは、どちらも殺人事件が起きている事だ。

 怖いのが苦手な愛紗は、その名前を聞くだけで震えが来る。 

 なお、犬鳴連峰も三郡山地も、福岡と筑豊を隔てる山である。

 島の東側に当たるこの辺りは、山と海に挟まれた海岸沿いの道路が続く。フラットな道路が続くので、自分の脚の限界に挑むことも出来る。

 途中で建物と駐車場が見えてくると、海の上にぽっかりと穴の開いた大きな岩が見える。これは二見岩と言い、浦島太郎の伝説が残る。

 こちらの浦島太郎は最後鶴にならず、帰ってきた後寝こんでしまった太郎を、村長が二見岩を竜宮城のように作って、娘を乙姫役にして現実世界に戻したそうな。

 その後、太郎と娘は結ばれたという。

 めでたしめでたし。

 全身に潮風を浴びながら県道を南進して山が道路から離れると、右に広大な空き地が見えた。これは神社の駐車場だと言う。拝殿までは少し歩かないといけないし、階段もあるので愛紗の脚を考えて今回はパスする。平地を歩くのはいいが、階段系は脚にダメージが上乗せされる。

 左は漁港、右は集落の建物がずらーっと立ち並ぶ道路を進むと、突き当たりに島に来た時に見た青いポンプ場の建物が見える。

 これで志賀島を一周だ。

「これで一周十キロ。どうだった?」

「いや、意外と行けましたね。初めてでしたけど」

「次回はステーキ……いや海鮮丼……いやサザエ丼……いやホットドッグ……いやカレー」

 結理先輩はもう次回来た時の食べ物を考えている。早すぎないか?

 でも、確かに美味しそうなものはいっぱい有った。一回来ただけでは回りきれない。

「次来る時は潮見公園かなー。脚もある程度育ってるだろうし、上の展望台から見る景色がすっごくキレイだからね。最後の階段がちょっとキツいけどね」

 また脚がカクッとなりそうだ。

「さて、帰ろっか」

「もう帰るんですか」

「初めてだからね。いきなり長距離走って脚を痛めて走れなくなっても困るし、元気なうちに帰る。登山と一緒で、見極めが大事だよ」

「そうですか」

 少し心残りは有るが、三人は帰る事にした。

 志賀島の市営渡船発着場は、すぐ近くに有る土産物店とレストランが併設された建物の裏に有る。一周回って、すぐに船で帰られる。実に便利だ。

 光先輩曰く、海の中道を走って帰ると風景が余りにも変わらなさすぎて「まだ着かないのか」という気分になるらしい。行きはテンションが高まってるので、それはあまり感じないそうだ。

 発着場に着いた三人は、無事自転車ごと船に乗る事が出来た。

 さらば志賀島。

 またいつか。

 次は、その海の中道を体験してみたい。

 色々な思いを載せ、船はゆっくりと島を離れた。


「あー、家が一番落ち着くー」

「みっちゃん、ここは家では無い」

 三人は無事、部室荘まで帰り着いた。

 帰りの船で脚を休ませられたという事も有って、問題無く戻ってこられた。

「さて、無事に帰ってきたコトを祝う儀式の準備をしなきゃ」

「儀式?」

「そ。これやっとかないと、後々まで響くからね」

 そう言いながら、光先輩は机の上に半透明な縦長のプラスチックカップを三つ置いた。

 そのカップに、謎の白っぽい粉をスプーンですくって入れる。

「これはなんですか?」

「回復を早めるために、運動後に摂取したい奴だよ」

「疲れの取れる……魔法の白い粉」

「そうだね、プロテインだね。その言い方だと、誤解受けるよ」

 ロードバイク乗りであると、帰ってきた後にプロテインを飲むのは普通で有る。筋力アップと、疲労回復を早める為だ。

 ロードバイクで無い場合でも、翌日に疲れが残る、筋肉痛が、という場合には、プロテインは有効かもしれない。疲労回復を助けてくれるだろう。

 光先輩はプロテインを冷蔵庫に有った牛乳をシェーカーに入れると、フタを閉めてバーテンダーのように手首のスナップを利かせて振った。これはプロテインを飲んでいる人なら、絶対に一度はやっている動きらしい。

「ま、これは山さんに教わったコトだけどね。山さんのシェーカー振りはカッコよかったなぁ。あたしはまだまだだよ」

 こうして三つのシェーカーを振って、プロテインが完成した。

「はい、かんせーい」

 シェーカーの中で出来上がったのは、ピンク色の液体。フタを取ると、泡が見えた。嗅いでみると、ほのかなイチゴの香りがする。

「……イチゴ?」

「うん。ストロベリー。チョコが良かった?」

「いえ、イチゴでいいです」

 光先輩と結理先輩も、シェーカーを手に取る。

「それでは、自好部が無事に帰ってきた事を祝って、ミルクプロテインでかんぱーい」

「「かんぱーい」」

 シェーカーで乾杯すると、プラスチックがコツッと鈍い音を立てる。

 一口飲んでみると、イチゴミルクのような味がした。思ってたよりは飲みやすい。

「プハーッ! この一杯のタメに生きているぅ!」

 光先輩はプロテインを一気に飲んでしまった。飲み慣れているようだ。

「私たちはガチな走りをしないとはいえ、普通と違って歩き回ったりもして、脚をフル活用している。運動後にタンパク質を摂取する事で筋肉が生成され、次回はより遠距離に行けたり、高負荷の運動が出来るようになる……かもしれない」

 結理先輩は結理先輩で角天を食べながら、プロテインを飲んでいた。

 筋肉……そのうちムッキムキの身体になったらどうしよう。

 そうなったら、ボディビル部に改名かな? それとも、筋肉美自転車部とか?

 いや、脚に筋肉付くの?

 美脚になるなら良いけど、競輪選手みたいになったらどうしょう。ふとももに注目が集まっちゃう!

 余計な心配が、また増えてしまった。


「ただいまー」

 志賀島からの撤退が早かった事もあって、愛紗はまだ日の高いうちに家へと帰り着いた。

「ふえぇ……」

 着替え終わった愛紗は、ベッドに仰向けで倒れ込んだ。

 今日あった出来事を思い返してみる。


 船。

 海。

 砂州。

 金印。

 海。

 蒙古。

 サザエ。

 坂。

 海。

 温泉。

 ハンバーガー。

 海。


 普段では出来ない体験の連続だった気がした。

「自分の……私の脚で走りきったんだなぁ、志賀島……えへへ」

 そう思うと、嬉しくなって自然と笑みがこぼれた。

 島を一周したが、今回立ち寄ったのは、ほんの一部。まだまだ体験できる物はある。

「次は、どんな事が待ってるんだ、ろ……う…………」

 思い巡らせていると、意識が遠のいてきた。

 愛紗は、そのまま深い眠りについてしまった。

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