第10話 オチャリ魔女ハブandブレーキ

 そんな訳で四人がやってきた場所は駐輪場付近。

 今日、グラウンドは運動部が使っている。

 ――いや、自好部も一応運動部には分類されているのだが。

 さすがに人の多い場所で自転車の練習は出来ない。もう少し他人の迷惑にならないと思われる場所を選んだのであった。

 もう帰宅部の生徒はほとんど帰っていて、人は少ない。それに、ここだと舗装路なので、砂のグラウンドよりも走りやすい。

 コケたらイヤなので、一応ヘルメットを被り、練習を始める。

 まずは右足をハメる。これは余裕だ。コツは掴めた。

「行きまーす!」

「前方だけは気をつけろよ。グラウンドより狭いんだからなぁ!」

 部長から注意が飛ぶ。

 愛紗は一呼吸置いてから、右足で漕ぎ出した。自転車を安定させる為に、少しスピードを上げる。

 さて、左足。

 動作自体は部長のトゥークリップでやってはいる。ちょっと動きが違うだけだ。前をしっかり見ながら足で探り、やってみる。

「えいっ!」

 足元からプチッという小さな音が聞こえてきた。

「やった!」

「いやぁ、今のは綺麗じゃないなぁ」

「もうちょっといい音出るもんね」

「……だからシマノにすればよかったのに」

 三人の反応は、喜ぶ愛紗と対照的だった。

「えぇー、厳しいなぁ……」

 敷地の端まで来てしまったので、一旦停まる。これは外す練習も兼ねていた。

 左足はスムーズに外せた。トップチューブの上に降りて左足を地面に着いてから、右足も外す。外す方は問題無さそうだ。

 それから自転車を反転させた後、再び跨がり、右足をハメる。

「今度こそ」

 右足でペダルを踏み、ゆっくり進み出す。左足でペダルを探ると、引っかかった感覚が有った。

「ここだ」

 足に力を入れると、足元からパチンッと音がした。

「出来ましたよ! 今度は出来ました!」

 そう叫ぶ愛紗を見て、

「平田は飲み込みが早いな。まるで、若い頃の私を見ているようだ」

 と、部長は呟く。

 うえパー姉さんは意外と年を取ってるんじゃないか?

 そう思い始めた光であった。


 ビンディングシューズ着脱の練習を終え、四人は部室へと戻ってきていた。

 練習で疲れた身体に、甘いいちごのアイスが身に染みる。こんなおいしいアイスを売っているなんて、この学校バンザイ!

 それにしても、アイスは各自バラバラである。

 部長はモナカ。「アイスと言えば最中だろう」と言う。

 光先輩はキャラメル。「コーンのサクサク感が好き」と言う。

 結理先輩はティラミス。意外だ。自転車と同じ様に手堅くバニラとか、抹茶みたいな定番のフレーバーじゃないのか。

 買ってきた本人は別として、光先輩のも部長のも好みの物を買ってきたようである。

 私のはいちご。ちょっと高級な物らしい。確かにいちごのソースは濃厚だし、コーンも香ばしくて美味しい。

 かく言う私も、いちごは好物――って、この事言ってたかな?

 そう考えると、この部活たまに怖く感じる。

「後は、デビュー戦を決めるだけだな」

 モナカアイスをかじりながら、部長が話す。

「ルート選びは重要だぞ? 遠すぎず、近すぎず。初心者にも優しいルートで尚且つ、自転車の良さを実感出来るルートだ。悪いルート選びだと、自転車が嫌いになる可能性が有るからな」

「去年、ユリのデビュー戦って、かなり揉めたって聞いたんですけど」

「部長が山さんだったからな。片江展望台に登るって言って聞かなかった。確かに登りきった後の市を見渡せる絶景は最高だし、登ったという達成感も有るかもしれないが、初心者は工業高校前の坂で心折れるだろ」

「もしくはデコデコゾーン」

「あれな。あのストレートゾーンは三百メートル程なのに、長く感じるな。理由は多分、なぜか登りにしかない、バンプなのかなんなのか分からん道路の盛り上がりで走りにくいからだろうな」

 片江展望台は標高五九七メートルある油山の中腹、大体標高二一〇メートルぐらいの位置にある。距離も入口から二・二キロほどで、市内なのでアクセスも良く、軽いトレーニングには丁度いいという話だ。

 景色を楽しみたいが、どれがどこに、どれが何なのか分からない人には、少し下にある美空ひばりの歌が爆音で聴けるお寺の展望台に、丁寧な案内板が有る。

「あ、あのー……」

 盛り上がる部長と光先輩の間に、愛紗は申し訳無さそうに割り込んだ。

「どうした?」

「山さんって誰ですか? 西新宿の橋で殉職する人?」

「山さんは、私の前の部長だ。今年卒業した」

「山さんは真坂まさか一山いっさって名前に『山』が入るのもそうなんだけど、とにかくヒルクライム――自転車で山登りが好きな人だったの。だから山さんって呼ばれてたんだ」

「何かと山に行きたがってたからな。私は元々坂があまり得意では無かったのだが、山さんのお蔭で坂が苦手レベルになったぞ」

 部長に苦手な物とかあったんだ。そっちが驚きだ。

「結局、どこへ行ったんですか?」

「必死に止めはしたが、最終的に山頂に有る愛宕あたご神社になった」

 愛宕神社は標高六八メートルの愛宕山山頂にある市内最古の神社である。正式名称は鷲尾わしお愛宕神社で、鷲尾神社として歴史をスタートし、江戸時代に愛宕神社が作られた後、明治時代に対等合併して現在に至る。

 入口に一番近い第一駐車場は大体標高四五メートルぐらいで、そこから階段を徒歩で登る形になる。

 そこまでの道路は小学校側の裏と市道側の表の二つが有り、通常乗り物の場合はまだ緩めな裏の道を使う。

 表の方は階段が男坂、坂が女坂という名前が付いているが、この坂は『女子プロレス界最強の男坂』と呼びたくなるレベルの急勾配が待ち構えている。

「あれは……楽しかった」

「愛宕神社って、行った事ないんですよねぇ」

「まぁ、カップル多めだけどね。特に夜」

 愛宕神社が縁結び、恋愛成就の御利益が有る事もそうだが、山頂という事も有り拝殿周辺から百道地区や博多湾・玄海灘が見渡せるようになっている。夜景も綺麗なので、夜でも人が居る場合が多い。

「参拝後は餅……これは絶対外せない」

 第一駐車場の所には茶屋が二軒有る。愛宕神社の常連さんには、どっちの店派という派閥が有るそうだ。

「かと言って、二年連続デビュー戦が愛宕神社というのも、面白みが無いな」

「面白みとか有るんです? 今の話聞いて、期待が高まったんですが」

 愛紗の中で前のめりになった気持ちが、平常へと戻っていく。

「折角だから、色んな所に行ってみたいじゃないか。初体験の反応を見るのも、また一つの楽しみだ。どうせなら、みんながあまり行ってない場所に行くといい」

 確かに部長の意見も一理有る。初めてが自分だけより、もっと多くの人が初めてという場所の方がいいのかもしれない。

「となると……どこだ?」

 先輩たちは色々考えを巡らせる。だが、コレという場所が思いつかない。

「市内がいいか?」

 頭の中で地図を左右に動かす。この市は左右に広がっている。区によっては隣の県と接している縦長の場所もあるが、南の方は背振の山々が立ちはだかる。

「――む。海づり公園まで行ってしまった」

 海づり公園は西の方にある市営の釣り場である。沖合四〇〇メートル近い所へ釣台が伸びており、貸し竿も有るので手ブラでも行けるスポットだ。

「釣りでも行くんですか? みんなで。釣れてしまったら、持って帰るの大変じゃないですか?」

「私……横のカキ小屋に行きたい」

「いや、シーズン終わりだし!」

「じゃあ……管理棟の自販機カップヌードル」

「自販機のって、店で売ってるのと中身変わらないはずなのに、ナゼかおいしく感じるのよね――って、そうじゃない!」

 市の西はダメ。では東はと言うと……。

「――香椎かしい花園かえん……?」

「路面電車の車両でも見るんですか? 展示されてるのは北九州の車両ですし、あたしたちが生まれる前ですよ? 廃線になったの」

「私、ハンバーガー食べたい」

「ユリは食べ物があればどこでもよさそうね……」

「西はダメ。東はダメ。南……は平野を走るとすぐ隣の市だし、そうじゃ無ければ山だ」

「そんなに近いんですか?」

 あまり市内を大きく移動しない愛紗には、距離感がまったく掴めない。

「そこの日赤通りを走ってみろ。大橋、井尻六ツ角の先、外環過ぎて五号線のオオシマの所からもう春日市だ」

「コジマだよ!」

 五号線の正式名称は県道三一号線である。この道路、元々が都市計画道路五号線として作られ、その後県道三一号線になった。しかし、今でも五号線の方が通じるという事態になっている。

「南が駄目なら……北」

「北って、博多湾だろう。玄海灘にでも突っ込――いや、有るな。陸続きで、初心者にも比較的易しい二輪の天国が」

 部長の言葉で、光と結理もピンと来た。

志賀島しかのしま!」

「そう、志賀島」

 志賀島は市の北側に位置する、砂州で繋がった一周十キロ程の島だ。弘安の役でも戦場になった程歴史は古いが、日本史的には金印が発掘された場所として有名だろう。

「でも……遠いよ?」

 結理先輩の言うとおり、陸続きとはいえ東の方から回らないといけない。今は人工島が出来たので多少ショートカット出来るとは言え、初心者の愛紗には辛い。

「ユリ、別に向こうから回らなくても、船で行けばいいじゃない」

「……え?」

 思いも寄らない言葉に、結理は思わず光の顔を見てしまった。

「いや、博多埠頭から出てるじゃない、船。あたしは行きじゃなくて帰りに乗ったんだけど」

「そういや、船あったな。言われて思い出したが」

 この博多港-志賀島の航路は、志賀島付近が村だった頃から運航されており、自治体の変化に伴い町営、市営と変わってきた物だ。

 近年は二隻有った船の片方を小型船に入れ替えて沖縄の海運会社に売却するなど厳しい状況が続いているが、志賀島との間を大回りせずに短時間で移動出来る貴重な交通手段だ。

「行きは西戸崎で降りたとしても、陸をぐるーっと回る距離の半分ぐらいで行けると思うよ? 初めてなら直接島に乗り込むより、あの島入口の風景を見てもらいたいからね」

「って事は、下郷は行った事あるんだよな?」

「何回か有るし、山さんと行って潮見公園まで登ったことも。山さんに勝てなかったけど」

 潮見公園は島の東側の標高約一七〇メートル程の所に展望台が有る場所だ。海と町と砂州を見渡すことが出来て、中々の絶景ポイントである。自転車で行こうと思うなら、そこそこの勾配を二・五キロほど漕ぎ続けないといけない。

「まぁ、愛紗ちゃん連れて登ろうとは思わないけどね」

「大体のポイントは行ってるな。江淵はあるのか?」

「……無い」

 結理先輩は首を横に振った。

「ふむ。平田のデビュー戦に丁度いいかもしれんな。江淵も行ってない場所だからな。海! 歴史! グルメ! と、初体験にはいいものが待っているぞ。下郷、江淵、平田の三人で楽しんでくるといい」

「あれ? 部長は行かないんですか?」

 愛紗は意外に感じたが、他の先輩方にとってはいつもの事のような顔をしていた。

「部長、みんなと一緒に行くってことはあまりないよ。あたしが山さんと志賀島行った時だって来てないし。あ、でも去年の英彦山は山さんと行ったんだっけ。あたしは行かなかったけど」

 英彦山は県東部に位置する標高約一二〇〇メートルで、古くから山伏が修行する場として有名な山だ。

「うむ。一度行ってみたかったからな。でも、登りより行き帰りの方が大変だったぞ」

 あれ? さっき山は苦手とか言ってた気がするが、坂はどうしたんだろう。山頂までは行けないと思うので途中の英彦山神宮付近までだろうが、それでもそこそこの標高だった気がする。

 ますます部長の謎が増えた。

「そもそも、行き帰り船を使うんだろう? 台数に制限あるからな。私は退こう」

 この航路、就航している船は大型船と小型船の二隻だが、割合は小型船の方が多い。小型船であれば自転車は五台ぐらいしか乗らないので、四人も行けば他に自転車有りの乗客がいるのなら乗りきれない可能性が有る。

「じゃあ、ルート作成と申請はあたしがやるよ」

「申請?」

 また新たなワードが出てきた。

「ああ、部として活動する時は、にゃんこ先生にこんな場所走りますよーって許可貰うのよ」

「あまり干渉しないとはいえ、一応顧問だからな。何かあったら責任問題になる。無謀なルート、距離だと許可は出ん」

 そのにゃんこ先生の姿は見たことが無い。名前からして、ネコが好きそうな感じがする。それとも、ネコっぽい人なのか?

 謎の多い部である。

「いきなりデビューもアレだから、どっか近場で一旦練習した方がいいかなぁ……」

 光先輩はそう呟きながらスマホを取り出して、マップを見ながら考え始めた。

 どんなルートになるんだろう。

「大丈夫……みっちゃんなら変なルート作成はしない」

 結理先輩が声をかけてきた。気持ち見透かされた?

 何はともあれ、私の本格的な自転車デビューが始まろうとしているのだった。


土曜日。

 いきなり本番もどうだろうと言うことで、近くでも無いが、遠くでも無い神社へ三人で旅の無事を祈りに行くことにした。

 プレデビューである。

 光先輩の話だと、顧問のにゃんこ先生には、これで志賀島の許可が出たらしい。

 集合場所である部室荘の前へ一番最初に来たのは、家が近い愛紗だった。

 部室の鍵は光先輩が持っているが、まだ来ていない。

 体育教官室に行けば鍵を借りる事も出来るが、それは最終手段だ。体育教官室はなんとなく怖いイメージが有るので、あまり行きたくは無い。

 むしろ、喜んで行く人いるのか?

「これでいいのかなぁ……」

 愛紗が気にしていたのはボトムス。

 クロスバイクを購入した時に色々と揃えたら思ったより金額が膨らんだので、抑えるために安めのインナーパンツと持っていたジョガーパンツを組み合わせた。

 買わないという選択肢も考えたが、お尻が痛いのはもう勘弁だ! という事で買ったのだが、履いてみるとお尻の所に何かあるという違和感が気になっていた。

 だが、家からの短距離だったとはいえ、お尻にはいい感じのクッションだった。

 これは買っておいて正解だったかもしれない。

「あ……早い」

 現れたのは制服姿の結理先輩だった。

「え、制服で走るんですか?」

「……そんな訳ない。輪行でも無いのに自転車乗る姿で電車に乗るのもどうかと思う」

 結理先輩は電車通学で、近くの駅から歩いて学校まで来ている。

「所で、みっちゃんは……」

「光先輩はまだ来てな――」

「あー、ごめーんっ。遅れちゃった」

 タイミング良く光先輩が現れた。光先輩もまた制服姿だった。

 光先輩も電車通学だが、博多駅で降りるので、そこからバスで通学していたはず。結理先輩と同じような考えなのだろうか。

「ちょっと待ってね。着替えるから。もう部室で着替えちゃうけど」

 そう言うと、光先輩と結理先輩は自好部部室へと消えていった。

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