第9話 Hey Hey Hey It's time to attach some crazy parts!

「さて、自転車のブランドについてアレコレ言ってても始まらん。ペダルの換装を始めようじゃないか」

 部長はいつの間にか愛紗にプレゼントする黒いペダルを取り出していた。本当にどこから取り出しているのだろう。この部で一番の謎だ。

「待って。私がやりたい」

 そう名乗り出たのは結理先輩。

「ん? 珍しいな。自ら手を挙げるとは」

 確かに。結理先輩は控えめな感じがする。こう自ら名乗り出るとは思えない。

「私も……プレゼントがある」

「え? 何? ユリもプレゼント? 聞いてないんだけど?」

 結理先輩の言葉に戸惑ったのは光先輩。

「だって言ってない……」

「いや、言ってよ。あたしも用意したのにぃ。なんかプレゼントもしないドケチ先輩みたいじゃない、あたしが」

「まぁ、間違ってはないと思うぞ?」

「……え?」

 部長の言葉に固まって、そんなケチ要素あったかと思い返す光。だが、特に思い当たる節は無い。

「そんなにケチだったかなぁ……あたし……。そういえばあの時――」

 ブツブツと呟いている光を横目に、愛紗の自転車は部室へと運び込まれた。

「それでは、始めます」

 愛紗のRX-7を作業場に置き、エプロンを着けた結理先輩。ジャージに着替える時間も無いので、制服の上から汚れ防止の黒いエプロンを着けていた。

 まずクルクルと回しながら出したのは十五ミリのレンチ。

 ペダルの着脱は、フラットペダルの場合だと大半はペダルレンチ、もしくは十五ミリのレンチを使う。専用工具であるペダルレンチだと多くは柄が長く作られており、固着したペダルにはより大きな力がかけられ、普通の固着していないペダルでも通常工具よりも小さな力でまわす事が出来る。

 ペダルは左右でネジの方向が違い、フロント側に回すと締まる。逆にリア側に回すと緩む。なので、ペダルは左右が決まっており、LRの表記が付いている。

 結理先輩は慣れた手つきで両方のペダルを外した。

「次は……」

 と、手にしたのは六角レンチ。

 新しく付けるペダルは、先ほどのフラットペダルのように十五ミリレンチで着脱出来ない。六角レンチでクランクの裏側から締めなくてはいけないのだ。理由はレンチを引っ掛けて回すところが無いからで、そんなスペースを作るぐらいなら、削って一グラムでも軽くしたいという所だろう。

「ん?」

 部長はクランクの前に座る結理の傍にペダルが無いのに気付いた。

「おい、江淵。ペダルはいいのか?」

「まだいい」

 結理先輩はチェーンを外してから、クランクの根元にあるクランクボルトを六角レンチで回し始めた。

 クランクボルトは文字通りクランクを固定するボルトで、左右問わず正ねじ――左に回せば緩む。なお、右のクランクは、フロントギアと一体化している。

「次は……コッタレスクランク抜き」

 結理先輩が手にしていたのは、黒い円柱状の物。

「コッタレス……舌っ足らずで凝ってることをアピールれすか?」

「そうそう。コッタレスの対義的なモノはコッタード。凝ったれすと凝ったーど、どっちにしても凝ってるコトをアピール――って、そんな訳無いでしょ!」

「あ、復活した」

 こっちの世界へ帰って来た光先輩は、いつの間にか部室内に戻っており、いつもの光先輩に戻っていた。

 一安心だ。

「コッタレスってのは、昔はコッターピンでクランクを固定してたのよ。そのピンが無いからコッタレスって言うの。今、コッターピンで止めてるのは、ほぼ無いね」

「へぇー。ヤッターマンみたいな名前なのに、凄いですね」

「歴史はヤッターマンよりコッターピンの方がはるかに長いけどね」

 光先輩が説明している間にも、結理先輩は作業を進めていた。

 先ほどクランクボルトを抜いた場所に、コッタレスクランク抜きを取り付ける。取り付けが終わると、コッタレスクランク抜きの中間ぐらいの場所がレンチで回せるようになっているので、左に回す。すると、先ほどクランクボルトが有った場所へピンが伸びていく。これでクランクを軸から押し上げ、外れる仕組みになっている。

「さて、魔境」

「魔境?」

「うむ。これから外すのはBB――ボトムブラケットだ」

 いつもの様に腕を組んだ部長が説明を始めた。

「このBBというのがくせ者でな、標準的な規格という物があまりない。基本的にクランクに合わせて選ぶ物だが、比較的標準規格に近いこのスクエアテーパーでさえも、シェル幅、軸長、チェーンラインの違いで種類が様々だ」

 スクエアテーパーのBBは文字通り軸が四角になっており、先端が細くなっている形状だ。両側にクランクを取り付ける形になる。

「で、上のグレードのBBになると、もはやメーカーで規格が違うレベルになっていくのだ」

「大変じゃないですか」

「だからBBにクランクを合わせるんじゃなくて、クランクにBB合わせるのだ。クランクのスペック表に必要な情報は大体書かれてるからな。ちなみに、シティサイクルや激安車だと、この一体化したカートリッジ式じゃなくて部品がバラバラに出来るカップアンドコーンになっている場合が多い。部品を個々レベルで調整は出来るが、それに乗るような人は、そんなの気にしないという人が多いだろうな。そもそも着脱する為の専用工具も持ってないだろうし。外すだけなら大きいモンキーと、引っ掛けて回すのに丁度良いサイズな百均の万能レンチがあれば行けるぞ……頑固に固着してなければな」

 部長が説明している間にも、結理先輩は作業を進めていく。

 BBツールを使い、左側から外す。左は左に回せば緩む。

 逆に右側は、シェル幅によって変わるが、大体はフロント側である右に回すと緩む。

「出てきた」

 結理先輩が先に外した左ワンと組み合わせて手にしているのは、necoの黒いカートリッジ式BB。necoは台湾の部品メーカーである。

「どうするんだ? それ。うちには有るからいらんぞ」

「綺麗にして、にゃんこ先生にプレゼントする」

「にゃんこ先生?」

 初めて出てきたワードだ。愛紗は聞く。

「うちの部の顧問だ」

「いたんですか、顧問」

「いるぞ、当然。ここに顔を出すことは……あまり無いな」

 愛紗はまだ逢ったことが無い。どんな先生か気になる。

 でも、この部の顧問だ。変な先生だったらどうしよう。

「さて、取り付け」

 まずはBBを取り付けるBBハンガーやBBシェルと呼ばれる丸い穴の中を綺麗に掃除する。

「私のプレゼントは……これ」

 結理先輩は新しいシマノのBBを取り出した。愛紗には、黒がシルバーになったぐらいしか違いが分からない。

 取付は外した時と逆の手順で、一部違うぐらいだ。

 まずはBBに固着防止の為のグリスを塗り、右側から付ける。右はネジが左右逆なので、リア側が締まる方向だ。左側は正ねじなので、こちらもリア側に回せば締まる。

 クランクはクランクボルトを締めるだけで取り付け完了。

 チェーンを元に戻した後、部長のプレゼントであるビンディングペダルを取り付ける。

 それからリアのクイックリリースにメンテナンススタンドを引っかけてリアホイールを浮かせると、クランクを回しながらハンドル左側に付いたシフトレバーを触り出した。

「何してるんですか?」

「アレ? スクエアテーパーには弱点が有って、シャフトにクランクをギューッと挿す訳だから、クランクの位置が若干ズレてしまうことがあるの」

 今度は光先輩が説明を始めた。

「だから、ああやってシフトチェンジが正常に出来るかチェックね。ガイドプレートに当たったり、離れすぎていたら調整ネジを回して、チェーンの位置を調整するのよ」

「他は違うんですか?」

「例えば、その後に出たシマノのオクタリンクとか、他社共同のISISアイシスもかな? はクランクがハマる位置が決まってるし、シマノのホローテックなんかのベアリング出しちゃいました系は右クランクとシャフトが一体化しているから、あまり起きないようになってるの」

「へぇー」

 愛紗はベアリングって何だろうと思ったが、聞かなかった。そのうち分かるだろう。

「……終わり」

 結理先輩はそう言うと、RX-7からメンテナンススタンドを外し、自転車本体のキックスタンドで自立させた。

「手を洗ってくる」

 と、結理先輩は裏の手洗い場へ行くために外へと出て行った。

「わぁ……」

 愛紗には新しく付いたペダルがキラキラ光るように見えた。

「私がプレゼントしたCANDY1だが、CANDYシリーズはちょっと変わったシリーズでな。普通は番号が増えてグレードが上がると素材が変わって軽くなるもんだが、CANDYシリーズは最上位の11の次に軽いのが、ボディに樹脂を使った一番下の1だ。カラーが綺麗なのは、2から上のアルミボディだがな」

「CANDYって言うんですか。可愛い名前ですね。ちょっと乗ってみたいです」

「シューズは持ってきたか?」

「はい」

 愛紗が取り出したのは、シマノのスニーカーのような黒シューズ。

 種類は多くあったが違いがよく分からないので、安めの物でベルクロとヒモから、脱履きする時にバリバリと音の出ないヒモの方を選び、更にゴツくなくてピンクのヒモが可愛いこれにした。

 まぁ、安めと言っても諭吉さん一人クラスなのだが。

 実際は足の固定調整のしやすさがヒモ、ベルクロ、ダイヤルの順で上がるので、先ほどの二択ならベルクロの方が本気で走りたい人には向いているが、ヒモの方が良いという人もいるので、好きに選ぶのがいい。

「江淵は手を洗いに行ったから、私がやろう」

 部長は六角レンチを手に取る。

 さてクリートの取付で有るが、これは人類にとって長い道のりの一歩目である。

 まずは靴底にカバーが付いているので外す。中には縦長の穴が二つあり、それぞれにネジ穴が見える。ここにクリートをボルトで取り付けるのだ。

 平均的な位置となる拇指球と小指球の中心を結ぶ線上にクリートの中心が来るように取り付ける。

 後は乗りながら、前後左右位置を微調整する。

 この微調整が、拘り出すと永遠に終わらない。

 沼だ。底の見えない沼。

 なので、愛紗にはこの平均的な位置でしばらく乗ってもらい、違和感を感じるようになったら調整するようにする。

 このままでは水が靴底から入り込むので、付属の防水シールを中から貼る。

 調整に拘り出すとこの防水シールが何枚有っても足りない状態になる。そうなると、ホームセンターで防水気密テープを買ってくる方が早い。ガムテープのような見た目だが、上からインソールを被せるので気にしなくていい。

「終わりだ」

 愛紗はビンディングシューズを履いて少し歩いてみる。

 やや窮屈めだが、歩く感覚は普通の靴とあまり変わりは無い。薄目のクリートも、付いている感覚がほぼ無い。履いているのがビンディングシューズではなく、普通のシューズのようにも思える。

 シューズは余裕があるより、窮屈すぎない程度にフィットするのを選ぶといいと言われた。そうしないと、漕ぐ時に靴の中で足が動いてダメらしい。

 自転車って繊細だ。

「それじゃあ乗ります」

「の前に、室内で着脱の仕方を教えるね」

 光先輩が近付いてきた。

「着脱の順番は、前に部長のクロスバイクでやったトゥクリップと一緒。右からハメて、漕ぎながら左をハメる。ハメ方は……」

 光はいつもやってる手順を思い返してみた。

 が、今使っているTIMEのペダルは、他と感覚が違う。あまり意識しなくても、軽くハマってくれるのが特徴だ。

 普通のビンディングシューズを思い返してみた。

「……えー、先っちょをひっかけて、グッとペダルに押す感じ?」

「ちょっと何言ってるか分かんないです」

「――やれば分かる!」

 投げた。説明を投げた。

 これは期待出来ない。仕方ないのでやってみる。

 ペダルのクリートをハメる場所はコの字の金属が飛び出しているような形をしていた。これが四つあり、四面どれでもハメる事が出来るようになっている。

 これに引っ掛けるという事だろう。ひっかけると言ってたので、足を乗せて前にずらしてみる。

 ズリッと滑っただけだった。

「位置が悪いな」

 部長の一言。

「クリートの位置は、感覚だな。やってるうちに身体が覚えるものだ。ちょっとつま先を下げると、ひっかかりやすいぞ」

 もう一度チャレンジ。今度は前に滑らなかった。

 これで力を入れて押す感じか。

 踏み込んでみると、足元からパチンッという音が聞こえた。

「おめでとう!」

 部長が拍手をしてくれた。

 足を動かしてみると、ペダルに固定されていて一体化しているような感じになった。

「すごいすごーい!」

 思わずくるくると後ろ向きにクランクを回してみる。下から上がる時も、ぴったりペダルが付いてくる。

「あっ」

 愛紗は声とともに足を止めた。

「どうした?」

「これ、どうやって外すんですか? 外れる気がしないんですけど。私、一生足にペダルを付けたまんまですか? 残りの人生、妖怪ペダル女として生きていかないといけないんですか?」

「そうね。歩く度にペダルの音をカツンカツンさせながら――って、んな訳ないでしょ!」

 言われて気付いたが、先輩たちは足にペダルが付いていない。

 いや、今はビンディングシューズを履いていない。

 と、なると――

「靴ごと脱ぐんですか!?」

「そうじゃなくて、そのクリートがある所を軸にして、足が左右に動くでしょ?」

 確かに、足というか踵が左右に少しだけ動く。

「カカトを外側にクイッとひねるの。そしたら外れるから」

「……こうですか?」

 踵を右に捻ると、カコッとあっさり外れてくれた。

「あー良かった! 一生このままかと思いました」

 愛紗は解放された喜びから、足をブラブラさせながら言う。

「そんなワケねーよ!」

「その踵を捻る動作、身体に覚え込ませた方がいいぞ。何かで咄嗟に外さないといけない時、足が着けなくなるからな」

「そうなるとどうなるんですか?」

「――たちゴケという恥ずかしい洗礼を受けることになる」

「猫ゴケはないんですか?」

「関係ないね」

「いや、それ柴田恭兵ですからー!」

 ――残念!

 愛紗はしばらく右足着脱の練習をしてから、左足も着脱の練習をしておく。

「そろそろ実践練習を」

 今回は制服の下にジャージも履いて、準備も万端だ。

 なのに、

「の前に」

 また光先輩に止められた。

「サドルの高さ、大丈夫?」

 サドルはそれなりに合わせてきたつもりだが、合ってるかどうかは分からない。

「取りあえず、簡単なチェック方で確かめてみようよ」


 簡単なサドルの高さチェック方。

 まずは身体を壁に付けるか、片足を乗せられる適度な踏み台を持ってきて、普段乗ってる姿勢が出来るようにする。

 次に、ペダルを一番下へ持ってきて、踵を乗せる。

 その時に、伸びすぎない程度に膝が真っ直ぐになる高さへとサドルを調整する。

 次に前後の調整。ペダルを前方へ。クランクが水平になる位置で、膝のお皿である膝蓋骨しつがいこつの裏ぐらいとペダルの軸が縦に並ぶ位置に合わせる。

 再度膝が伸びすぎていないかチェックをしたら終了である。

 この方法は、自転車の電子フラッシャーがどうとか言っていた頃から有る伝統的な方法だ。

 キチンと高さを出したい時は、股下に本等を水平に挟んで股下をキッチリ計測した後、係数をかけてBBの中心からサドルまでの長さを合わせる。これは、先ほどの方法よりもやや高くなる傾向にある。

 サドルは低すぎると力が出ないし、高すぎると膝に負担がかかりすぎて、長い距離を走ると膝痛を起こす。なので、ベストな位置に合わせたい。


 さて、調整も終わった所で、三人は広い場所で両足を着脱する練習をする為、部室の外へと出た。

 出た所で丁度、結理先輩も帰ってきた。手には売店の自販機で買ってきたアイスを持っている。

「練習が終わったら、みんなで食べようよ」

 やる気が出た。

 ご褒美のアイスは部室の冷凍庫で保管される。

 ありがとう、冷蔵庫様!

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