第7話 自転車が、夢見てた自転車。
部室へと戻ってきた光先輩、愛紗の二人。
部長は自転車置き場へ通学用クロスバイクを置きに行っていて、ここにはいない。
「おかえりなさい」
ジャージエプロン姿の結理先輩が出迎えてくれた。
やっぱり結理先輩は自好部のママなんじゃないか? 愛紗はそんな気さえしてきた。
「おなか……すいた」
呟いたのは、結理先輩。
出迎えた方が言うのか。普通、逆じゃないのか?
「もう? 早いよ、ユリ」
光先輩はいつものことであるかのように言う。
これが自好部の日常なのか……。やはり、この部は何かがおかしい。
「休憩。おやつぅ……」
結理先輩はふらふらーと身体を揺らしながら、重い足取りで冷蔵庫の前まで歩いて来て、おもむろに扉を開けた。
「……あった」
結理先輩は冷蔵庫から小さな袋を取り出した。透明な包装で、中には茶色で長方形の物が入っているのが見える。
おやつ――フィナンシエだろうか?
いや、フィナンシェは冷蔵庫に入れると固くなる。それがいいと言う人もいるが……。
見ていると、結理先輩は袋を開けて、中身を少し飛び出させた。
その中身はフィナンシェでは無いようだ。フィナンシェにしてはぷるぷるしてるし、表面も妙にでこぼこしているような……。
と思っていると、袋にはこう書かれてあった。
角天
なんじゃそりゃああ!
呆気に取られているのを、光先輩は気付いたようで、
「ああ、角天? ユリの大好物なの。うちの部は冷蔵庫有るから、いくつかストックしてあるのよね」
やっぱり、この部の人たちは変わった人たちばかりだ。結理先輩は数少ないまともな人だと思ってたのに。
入部すると言ってしまったが、やっぱりこの一員になることに少し不安を覚えた。
「さぁて、自転車体験も終わったことだけど」
光先輩が机に座りながら言う。
部室じゃイスに座らないのか、この人。
「自転車は――どこで買う?」
「えっ……」
そう言われても、答は一つしかないだろう。
「自転車店」
「まぁ、そうだろうね。そういうことを聞きたかったんじゃないんだけど」
「じゃあ、どういうことですか?」
「どういう自転車店で買うかって話」
「普通に自転車を扱っているお店で」
「そういうことじゃない。どういう系統のお店で買うかってこと」
「系統……?」
自転車店って、自転車を売っているから自転車店なのだ。
系統とかあるのか?
「ちょーザックリ分けたら、五種類あるけど――」
●町の自転車屋さん
ママチャリは得意。電動アシスト自転車も扱ってたり。
スポーツ車? あればラッキー。たまに、どうみても町の自転車屋さんな外見なのに、幅広い車種を扱ってる店が有ったりする。
パンク修理は任せて! 値段? ハハッ!
●メーカー直営店
そのメーカーの品揃えが豊富で、スタッフも知識がある。
意外とイベント開きがち。
ただし、都市部や首都圏しかないというパターンが多い。
欲しいメーカー・ブランドが決まっていて、近くに店舗がある人用。
●大型量販店
ママチャリからスポーツ車のエントリーグレードぐらいまで取り扱い豊富。
基本、誰でもウェルカムなので、店舗に入りやすい。
取り扱いパーツは定番品が多め。ただ、いつから置いてるの? みたいな物が店頭に並んでいたりすることもある。それが掘り出し物かどうかは、また別の話。
●ネット通販
選択肢の幅は広いが、メーカーによってはネット販売を認めてない所もあるので、そういうメーカーの物は無かったり。
大体値段は安めだが送料は高めで、多少組立が必要な状態で届くことも。
また、店舗によっては自分で防犯登録をしないといけない。
この街で登録するなら交番へゴー。都道府県で違うので、防犯協会等で確認を。
実物は見れない。店が掲載している写真で想像。イメージ力が必要。
基本的に自分で整備が出来る人向け。
●町のスポーツ車屋さん
取り扱い車種やパーツは店によって違い、ショップの特徴が出やすい。
サービスは良く、購入時から購入後まで調整などはお任せ。
走行会や講習会を開いているショップもあるが、レベルは初心者向けからガチまでピンキリ。チームがある店も。
誰でもウェルカムなショップから、ツンデレなショップまで幅広いので、どういうショップか分からないと入りづらい。入れても相性の問題もあるが、相性が合えば長い付き合いになる。
「――ツンデレ?」
まさかの単語に、愛紗は戸惑う。
「うん。ツンデレ」
「例えば『あ、あんたの為に組み立てたんじゃないんだからね!』とか『ちゃんとヘルメット被りなさいよ。別にあんたのケガを心配してる訳じゃないんだからね!』とか、そんなお店ですか?」
「そんなベタなツンデレ、今時無いでしょ――多分……多分ね。ま、ショップでの自転車購入者とか、あと常連客以外にはキビしいお店。あったりするのよねぇ。外から見ただけじゃ分からないし、スポーツ車店は『プロショップ』と名乗ってたりするのが、初心者がお店に入りにくい空気を作ってる。まぁ、そういうお店は『自転車のこと、なんも知らん!』みたいな人が入ってきても困るんだろうけどね。自転車を愛してるからこそ、自転車を知ってる人に乗ってほしいという想いが有るんだと思う。その表現が不器用で、ツン状態に」
「デレさせたら、どうなるんです?」
「――そりゃあもう、凄いことに。ココでは言えない」
光先輩の真剣な目に、震えが来る。
「それ、逆に怖いんですけど……。そう思うと、量販店が一番マシなような」
「量販店は、店員の腕や知識が店舗間どころか、店内でも大きく違ったりすることもあるし、調子悪いなーと持っていったら『パーツ取り寄せになります。一ヶ月待ち!』と長期入院とか、そんな事が起きたり。代車貸してくれたりするけどね、ママチャリを。あとは、退色したアウターを平気で店頭に並べてたりね。チェックしろよって思う」
「各店舗、メリットデメリットあるんですね」
「でも、初めの一台は量販店でーって人は多いかな? やっぱり入りやすいし、最初はエントリーグレードって人が多いし、軽ーい気持ちで行けるからね。まぁ町のスポーツサイクル屋さんもエントリーグレード扱ってたり、サイト持ってる所もある――更新されてるかどうかは別として、事前に多少の情報を入れることも出来るけど……実体は行ってみないと分かんないね。これはどの店でも言えるけど。でも、フィッティングとかしてくれるから、本格的に乗りたい人にはオススメ」
「そういうもんなんですね。光先輩はどこでロードバイクを?」
「あたし? ネットで買って店頭受け取り」
「時代は進んでるんだ」
「初めてなら……何かと分からないことだらけでお店のお世話になるから、行きやすい場所の店がいいと思う」
結理先輩が話に混じってきた。
「みっちゃん、ペダルは戻しておいた」
「あ、ありがとう」
いつの間にやっていたんだ。角天を食べてる所までしか見てないのに。
「購入店を悩むのも、また楽しみ……私は自転車の時点で選択肢があまり無かった。だから、この部に入るまでは乗っていなかった」
結理先輩は身体が小さい。小さい人向けのロードバイク等は無い訳ではないが、数は多く無い。それらが扱ってるかどうかで購入店を選ばないといけない。
「でも、メンテや調整で困ったら私がするから、店は意外と悩まなくていいかもしれない。本当はメンテ・調整は店の方がいいと思う。自分で弄るのは自己責任だから。でも、少しぐらいは弄れた方がいい」
「なんなら、私もやるぞぉ!」
部室のドアが勢いよく開け放たれ、駐輪場から戻ってきた部長が叫ぶ。
普通に登場出来ないのか、この人は。
「部長はやめて。すぐ変なパーツを付けるから」
「変なパーツでは無ぁい! 自転車界の発展の為に、新しいパーツを試しているだけだ! 大体、江淵は堅実すぎるのだ。自転車には、もっと冒険心が必要だぞ?」
「私は着実な進化を望んでいるだけです」
「進化もいいけど、EZ FIREシリーズのカバーネジの固さはどうにかならないものか。どんな力で締めたんだというぐらい固い。私のトーコマですら、ネジをなめたぞ」
トーコマとは、名前はアレだが性能はガチな工具メーカーだった。過去形なのは、破産して現存しないからである。
「あれを綺麗に回せるかどうかが、プロと素人の違いです」
「そうか、私は素人だったのか……」
そりゃあ自転車愛好部部長を名乗っていても、世間から見ればタダの女子高生である。プロでは無い。
と、部長が軽くヘコんだ所で、話題を変えることにした。
「さて、後は自転車を買うだけだ。我々が同行したい所だが、どうしても主観が入るからな。フィーリングで買えばいい。例えガチ勢でも、自転車のスタートなんて『この自転車に惚れて買った』とか、意外とそんなもんだしな」
確かに、光先輩はそんな理由だった。スペックがどうこうより、金色だからって理由だが。
「それに、我が部は大会に出ないから、ジュニアカセットがどうとかも考えなくていい」
「ジュニアカセット……きこりの与作ですか?」
「そうそう、モンスターマンションとか、パクパクモンスターとか、モンスターブロックとか、モンスターが付きがち――って、カセットビジョンジュニアじゃねえよ!」
光先輩のノリツッコミにも動じず、部長は説明を始める。
「ジュニアカセットというのは、競技用として付けるスプロケットのことだ。スプロケットとは、後ろのギアの事な。高校生以下はペダル一周で規定の距離以下しか進まないよう、規制がある。この距離をGD値と言うけどな。それに適合するように付ける物だが、トップギアが大きい分、一番大きなギアとの幅が狭く、ギアの変化が小さいと大人も使う事があるぞ」
「そんなの有るんですか……。で、もし来て貰ったとして、三人はどういう自転車を選ぶんですか?」
「ん? 直感だな。欲しくなった自転車こそが、いい自転車だ!」
「カッコいいの。カラーに金色入ってればベスト」
「今なら……シマノ多めを選ぶ」
これは――来て貰っても決まらない奴だ。自分で決めた方が良い。
「ここにある二台を見て、何か気になる点が有るなら聞いておくがいい。答えられる範囲なら何でも答えるぞ」
「うーん……」
部長はいつものように腕を組み、仁王立ちで質問を待つ。
これは何か質問しないといけない奴だ。
愛紗は部室の奥にあるクロスバイクとロードバイクの前にしゃがみ込んで、じっくり眺める。
「これはなんですか?」
愛紗が指差したのは、ボトルケージだった。
「ボトルケージか? これらの自転車に乗ると、思っている以上に汗をかくからな。水分補給が重要だ。そこに専用のボトル、もしくはペットボトルを入れるのだ。ケージはボトル用、ペットボトル用、あとはどちらにも使える可変型がある。どっちを使うか決まっていないなら、可変型がオススメだな」
「ボトルとペットボトルって何が違うんですか?」
「これがボトルだ!」
部長は白く細長いボトルをどこからか出してきた。どこから出しているのか、本当に謎である。
「一番の利点は、片手で飲める事だな。手や口でキャップを開けるか、これみたいに握れば出るタイプだったり、水分補給がしやすいようになっている。保冷タイプと呼ばれる奴も有るが、まぁ過度な期待はするな。氷を入れてもな。そういう人はステンレスボトルを使え。だが保冷、保温力高い代わりに重いぞ。デメリットとしては、使用後よく洗わないとカビるし、ボトルによっては買った瞬間から臭い。使っていると、前に入れていた飲料の匂いが残って臭い、なんて事がある。まぁ、よく洗えって事だな」
「ほうほう」
「ペットボトルの場合は詰め替えの必要も無く、そのまま載せられるし、ボトルは使い回しじゃないから、衛生面でも安心だな。ボトルの臭いも無い。最近は商品によって太さが違うから、ペットボトルカバーを使えば多少の保冷効果も出るし、カバーが滑り止めになるから飛び出しにもくくなるぞ。少し取り出しにくくなるがな。欠点はキャップを回して開ける必要があるから、片手だと辛い。登り坂なら、詰みだな。ワイルドにキャップを取り払って付け替えれば、ボトルと同じようなことが出来たり、ワンタッチで蓋が開くという便利な物も有る。ただ、汎用品だから合わない可能性が有るから注意だ。あと、ケージの大半がボトル向けだから、ペットボトル用ケージの選択肢は意外と無い。そして、飲み終わった空き容器はリサイクルボックス等に入れるまで持ち運ぶことになるが、意外と面倒でな、これが。最近はリサイクルボックスにペットボトルや空き缶以外を突っ込む
「それは問題ですねぇ。結局、どっちがいいんですか?」
「好きに選べ!」
聞いた私がバカでした。
「だから、どっちか決まっていないなら可変型と言っている。ま、これはこれで専用品よりも重めだが、気分でボトルとペットボトルを切り替えられるし、なんなら缶も持ち運べるぞ。開けて挿して走ったらこぼれるけどな」
「ボトルで使うとしても、ボトルはいりますよね?」
「そりゃあ、当然だ。どっちかに統一ということでは無く、ボトルとペットボトルの併用というのもありだ。ボトルには水を入れておく。水は万能だからな。飲料としても優秀だ。ぬるくなっても飲みやすい。それ以外にも暑ければ被ったり、色々洗うなんて使い方も出来るぞ。ま、これは一例であって、何を入れるかは、その人次第だな」
「なるほど」
改めて二台のボトルケージを見て、一つ気付いた。
「ケージって、光先輩は二つ付いてますけど、結理先輩は一つですよね?」
「ああ、ケージはフレームにネジ穴があって、そこに取り付ける。車種によって一つだったり、二つだったりする。フレームが小さいとか、ケチったとか、理由は色々だろう。二つ有ってもシートチューブ側にはツールボトルという工具などを入れるケースを挿してる場合も有るから、一つでもそう気にするな。もし一つしか無い場合、穴はダウンチューブに付いているぞ。そっちがメインだからな。増やしたい場合は、ベルクロで取り付けて増設できる奴が有るが……固定力が弱いから、フレーム保護で自己融着テープ巻いてホースクランプで締める。ナイロンタイよりも固定力強いし、薄いからな。ホースクランプ剥き出しが恥ずかしいなら、ベルクロを上から巻けばいい」
「自己融着テープ?」
「文字通り、自分の力でくっつくゴム製のテープだ。普通のテープと違って粘着剤がないから、跡がべたべたしにくい。絶縁や防水で使う物だが、滑り止めとしても有用だから自転車なんかでも使うぞ」
「そんなの有るんですね。知らなかった」
「まぁ、日常生活じゃあ使わんだろうな。他に何かあるか?」
「えっ……えー」
再び、二台の自転車を見比べて、似ているようで違う部分を見つけた。
「これ、書いてある文字が違うんですけど、何が違うんですか? 見た目あまり変わらないんですけど」
そう言いながら愛紗が指差したのは、リアディレイラー。光のロードバイクには『105』の文字、結理のクロスバイクには『ALTUS』の文字が書かれている。
「リアディレイラーか……」
部長の表情が険しい物になった。
「下郷、説明出来るか?」
「え、ぇえ?」
突然の指名に、光先輩は戸惑う。
「いや、説明すると面倒なんだよ」
「面倒なだけかい! 確かに説明長くなるけど……」
光に断る理由もない。
「仕方無いなぁ。リアディレイラーってのは、後ろの変速機のことね。各パーツのセットをコンポーネントと言うんだけど、一部パーツは他社製を使ったり、違うグレードだったりする。だから、完成車の大体のグレードは一番分かりやすいリアディレイラーを見れば分かるんだけど、完成車を買おうと思うなら、シマノだけを覚えていれば大丈夫」
「それでいいんですか?」
「イタリアのカンパニョーロ、アメリカのスラム、台湾のマイクロシフトと何社かあるんだけど、シマノのシェアが約八割。だから、買う時は大体シマノが付いてくる」
「それは楽ですね」
「ラク……か? いいや。で、系統がロードバイク系とマウンテンバイク・クロスバイク系と分かれてるんだけど」
●ロードバイク系
「あっ、これ」
愛紗は部長が言っていたターニーが何であるかを、今知った。
●マウンテンバイク・クロスバイク系
XTR
SLX
DEORE
Tourney
「あれ? ターニーってさっきも出てきませんでした?」
「細かく見ると分かれてるけど、大きな分類だと一番下は同じターニーなのよ。『シマノパーツ使用!』って書かれてたら、ほぼターニーだと思っていい。それより上のグレードだと、ちゃんとどのグレードかを書くから」
「他にもダウンヒル系の
シマノの話なせいか、結理先輩も混じってきた。
「ユリ、そこまで説明すると混乱するよ」
「覚えていて、損はない」
「そうは言っても……」
光は愛紗を見る。
愛紗は目が点になっていた。処理が追いついていないようだ。
「まぁ、全部キッチリ覚えようとせずに、105より上か下か。DEOREより上か下かぐらいでいいよ。そこから、リムブレーキであれば効きの強い舟付になるから、より本気になれる」
それを聞いた愛紗の表情がパァッと明るくなった。
「それなら、覚えられそうです」
「それは良かった」
光がそう言ったところで、部長は拍手を始めた。
「――いやぁ、見事な説明だった。私なら、完璧に覚えるまで学習させるけどな」
「鬼か!」
「予習はこれぐらいで良いだろう。あと現地で分からないことが有れば、店の人に聞けばいい」
いよいよショップデビューだ。
一体、どんな自転車と出会えるのだろうか。
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