第5話 わかったかくそったれども! へんじはにゅうぶとどけだ!
部室の入口には、腰の辺りまでのロングヘアーで、ワインレッドのメガネをかけた女が立っていた。
大人っぽく見えるが、みんなと同じように、鴇凰高校の制服姿である。
一つ違うとすれば、彼女は制服の上から白衣を着ている事。
これがコスプレで無ければ、同じ鴇凰高校の生徒という事だが……。
で、誰だ? 化学部なのか? なぜここに?
「あ、部長」
光先輩の声で、あっさり疑問は解決した。
この人が部長なのか……。自転車部なのに白衣という時点で、もう変人の香りしかしない。
「ほう……新人か。よくやった」
いや、まだ入ると完全に決まった訳では。
「これで我が自好部も、一年間は安泰だな」
部長と呼ばれた人物は、ズカズカと部室内へ入ってくる。
「さぁ、立ってごらん」
「は、はぁ」
愛紗は言われるままに立ち上がった。なんとなく、逆らえない状況だった。
立ち上がってから分かった事だが、部長と呼ばれる人物は、愛紗よりも少し身長が高かった。自分よりも身長が高い女子が間近にいるのは、久しぶりかもしれない。
「ふむふむ」
そう呟きながら、部長は愛紗の全身を触りだした。特に脚を念入りに触ってくるような気がする。そういうプレイなのだろうか。
「な、なんなんですか……?」
愛紗は恐る恐る聞いてみたが、
「――うむ、いい身体じゃあないか」
と、部長は頷いて一人納得していた。
ヤバい。この部はヤバい。
当初思った自転車しか愛せない部なら、まだ救いはあったかもしれない。
いや、一般的な目線で見れば救いは無いのかもしれないが、救いはある。
だが、この部長と呼ばれた人物は、自転車に乗る人も愛する人なんだ!
きっと先輩たちも部長の手に落ちたに違いない。
――禁断の世界。
この部室が辺境の地に有るのは、実績が無いからじゃない。
別の理由が有ったからだったんだ!
そんな思考が愛紗の頭でグルグルと回る。
「あわわわわ……」
愛紗は一人混乱していたが、先輩たちは至って冷静だった。
「これなら自転車に乗るのは問題なさそうだな。今から自転車を買うのだろう? 大いに悩んで買うがいい。乗っていて不満点が出てパーツ交換をしたくなったのなら、それはもう立派な自転車愛好者となった証拠だ!」
「ていうか部長、今来たばかりなのに、なんで愛紗がこれから自転車買うって知ってるんですか?」
「ん? 話を聞いていたからな、外で」
「なら、もっと早く入ってくればよかったのに」
「こういう場合は、センセーショナルに登場した方がいいだろう? 部長として」
「普通に登場して下さい」
光先輩と部長のやりとりを見ながら愛紗は、
(やっぱり変な人が多い部活だなぁ……)
などと、思っていた。
この変な人集団の一員になるのかと思うと、距離を置きつつも少しだけ入部寄りに傾いていた気持ちも揺らぐ。
「そう、試乗の話だったな」
部長が話を戻した。
「私の通学用を使えば、二台試乗出来るだろう。幸い、今日はグラウンドもあまり使われていないし、部室棟周辺やグラウンドの端で乗るのは問題無かろう。今日なら邪魔にならないと思う。駐輪場から自転車を持ってくるから、江淵は下郷のペダルをフラペに換装しておいてくれ。あのビンディングペダルじゃあ乗れんだろう」
「分かりました」
「それでは、行ってくる」
と部室を出ようとした所で、
「おっと」
と、部長は戸枠に手をかけて足を止めた。
「私の名前は
後ろを振り向かずにそう告げると、部長は静かに外へと出て行った。
あの人が部長なのは話の流れで分かってる。分からないなら、相当鈍い。
呆気に取られていると、
「部長、ちょっと変わってるでしょ?」
と、光先輩が声をかけてきた。
いや、みんな変わってると思います。
「部長は乗るというより、パーツが好きな人でね。新しいパーツが出ると、色々試してみる人なんだ。だから余ってるパーツとかいっぱい持ってる。あたしはこっそりうえパー姉さんって呼んでる」
『部長』の方が短いし、呼びやすいと思うが。
「去年あたしたちも貰ったから、今入部すると何か貰えるかもよ?」
「はぁ……」
パーツが貰えると言っても、どんな物が貰えるのか愛紗には皆目見当も付かない。
「うちの部はパーツが好きな人、メンテナンスが好きな人、あちこち行くのが好きな人、山登るのが好きな人、旅に出るのが好きな人、と分野はバラバラだけど、みんな自転車が好きという共通点で繋がってる。初心者だからって、臆することはないよ。自転車は楽しんだモン勝ちなんだからさ」
「うぅーん……」
そう言われると揺らいでいた気持ちも、ようやく方向性が固まった。
「私、やっぱり自好部に入部しようと思います!」
「よく言った! 試乗するといっても、漠然と乗るのと、自転車を知るために乗るのじゃあ、全然違うからね」
「先輩四人に付いていけるか心配ですが、頑張りたいと思います」
と言った所で、愛紗はふと思った。
「あの……あと一人部員がいるんですよね?」
外で先輩たちと出会った時、部員は四人と言っていた。ここに居るのは光先輩、結理先輩、そして出て行った部長で三人。
つまり、あと一人いるはずである。
「ああ、
「そうなんですか……」
どんな先輩なのか気になる。いつか会えるのだろうか。
――やっぱり変な先輩なんだろうか。
「……出来た」
結理先輩がボソッと呟く。
結理先輩の方を見ると、光先輩のロードバイクはペダルが赤くて平たく、普通に見かけるペダルよりも大きな物に変わっていた。
「でっか!」
「踏み面が大きいと、多少ズレても安心。その代わり重め」
やっぱり、こういう自転車は普通のママチャリなんかとは違うんだなぁと、愛紗はシミジミ思う。
「どうする? 乗る?」
ロードバイクの持ち主である光先輩が聞いてきた。
「待って」
止めたのは結理先輩だった。
「久しぶりに乗るから、まず自転車に乗る感覚を取り戻してもらった方がいいと思う。それをするのにロードバイクは向かない」
「言われてみれば……幼少期以来だもんね。いきなりロードは無いか。うえパー姉さんを待とう」
部長を待つ間に、愛紗は入部届を書いた。
書き終わると同時に、
「フハハハハハハ! 来たぞー!」
再び部室のドアが勢いよく開け放たれて、部長の声が響き渡った。
「さぁ、乗る覚悟が出来たのなら、外へと出てくるがいい」
そう告げると、部長はグラウンドへと戻っていった。
自転車って、覚悟がいるような乗り物だっただろうか。
だが入部届を出してしまった以上、覚悟を決めて行くしか無い。
愛紗は部室の外へと出た。
「――来たな」
部長の前にはネストの黄色いクロスバイク。
形は結理先輩の物と似ていたが、前カゴと荷台完備。ママチャリのような姿だった。ペダルはシルバーで、フックのような物がぶら下がっていた。
「クロ――いや、ママチャリ?」
「クロスバイクだ。バスケットとリアキャリアはオプションで用意されている。通学には丁度いい車種だ――ターニーだけどな!」
ターニーってなんだろう――愛紗は思うが、聞ける雰囲気じゃない。
「まぁ、これから学校だって言うのに、本気で走る必要もないからな。ターニーで十分だ」
だからターニーってなに。
説明の無いまま、話は進む。
「街中の自転車を見れば、サビサビの状態で走ってるのは多いからな。あんな状態でも走るのは、さすがシマノとしか言いようがない――っと、話が逸れたな。試乗……というか、自転車の練習の開始だ」
「愛紗ちゃん、これ」
光先輩がキャップを差し出してきた。
キャップはキャップなのだが、野球帽なんかよりツバの部分が小さい。
「これは……?」
「ヘルメットのアンダー」
「そう、私の通学用ヘルメットを貸すからだ!」
部長は部長で、ヘルメットを差し出していた。通学用の白と黒のヘルメットだが、通学用でおなじみのまん丸ではなく平たい感じで、穴がいくつか開いていた。
「通学用? これが?」
想像していた自転車用のヘルメットとまったく違う事に、愛紗は驚く。
「今の通学用はこんな感じのヘルメットが増えてきている。昔ながらの『マサル』と書きたくなる現場用みたいなタイプも有るが、『どっちを被りたい?』と聞かれたら、ほとんどこっちを選ぶだろう。あっちはまず重いからな。その重さが、自転車に乗る時にヘルメットを被りたがらない要因の一つだ!」
時代は進化してるんだなぁと思いながら、ヘルメットを眺める。
「で、ヘルメット被るのにこのサイクルキャップがいる訳」
今度は光先輩の番である。
「まず、ヘルメットはそうそう洗えるもんじゃないから、汚れ防止。それと、キャップが汗の吸収、発散をしやすいから、暑くなりすぎるのを防ぐというのもある。で、後は穴から虫が飛び込んでもいいように被る」
「飛び込むんですか? この穴から」
「たまにね。だから侵入防止にネットが付いてるメットもあるけど、それでもキャップは被るかな。あ、このキャップは部の備品で、洗ってあるから安心して被っていいよ」
「分かりました」
愛紗は光先輩からサイクルキャップを受け取り、被ってみた。後ろはゴムの伸縮で大きさを調整出来るようになっており、気分は小学校時代に被った赤白帽子だ。
「次はヘルメットだ!」
愛紗は部長からヘルメットを受け取った。思ったよりも軽く、黒く見えていた部分は発泡スチロールで出来ていた。
愛紗がヘルメットを眺めていると、
「自転車用のヘルメットは基本的にクラッシャブル、壊れることで衝撃を吸収するシステムだ。形は軽量性と通気性を追求した結果だな。プロのロードレースでさえ、ヘルメット着用が義務化されてから二十年経っていない。暑い、重いと被らなかった選手たちも、幾度と起こるレース中の落車死亡事故で、ようやく被るようになったぐらいだからな」
腕を組みながら、部長は説明をする。
「へぇー……」
「うちの部は被る事推奨だ。ヘルメットが有れば絶対助かるという訳じゃあ無いが、安全を心がける気にもなるし、被ると『乗るぞ!』とスイッチも入る。さぁ、被るがいい」
愛紗はヘルメットを被ってみた。
確かに、なんか身の引き締まる思いだ。部長が言ってた事も分かる。
ストラップをバックルにハメると、その思いはますます強まった。
「次は自転車だが……多少サドルは下げておいたぞ」
部長は下げたと言うものの、サドルは腰近い高さにある。
「高すぎませんか?」
「自転車を漕ぎやすくする為の高さ、一輪車と一緒だ。一輪車にサドルが高いとか文句をつける奴ぁいない。足が着かない? 一輪車と一緒でサドルから降りりゃあいいんだ。普通の自転車よりも長い距離を走るからな。おしりだって、休ませてほしい」
「なるほど」
キックスタンドで自立したクロスバイクを受け取ろうと手を伸ばした所で、愛紗は気が付いた。
ハンドルが普通の自転車とは違い、左右とも外側に向かって幅広になっている。さらに端っこにはツノのようなものが付いていた。
「これは?」
愛紗はツノのようなものを指差して聞く。
「バーエンドバーか? 乗降の際にヘルメットを一時的にかけておくのに丁度いい奴だ!」
「ホントはそんな使い方じゃないんだけどね。気分転換や疲れ防止で握る場所を変えるのに使うものよ」
「色々あるんですね、パーツ」
そう言いながら、右膝を上げた所で気付く。
普通に乗ろうとすると、トップチューブが邪魔で乗ることが出来ない。脚が当たる。
「前から乗るつもりか? 中々高度だな。田原俊彦ばりに上げないと無理だぞ。普通は脚を上げつつ、車体を手前に傾けて後ろから跨がるんだ。まずはサドルの前のトップチューブの所に立つがいい。それが停車時の基本体勢だ。その前にキックスタンドを忘れずにな」
結局脚は上げる必要があるのか。制服のままなのは失敗したような気がするが、今更言えない。
部長に言われたとおりにして見る。思ったほど脚を上げる必要は無く、なんとか自転車に跨がることが出来た。
「発車は普通の自転車と変わらん。右のペダルを踏みながらサドルに座りつつ、左のペダルに足を乗せればいい」
「それはいいんですけど……このペダルに付いてるのはなんですか?」
愛紗はペダルに付いたフックのようなものを指差しながら聞いてみる。
「それか? ハーフトゥクリップだ」
なんか、部室で光先輩が説明してたような気がする。靴を選ばないタイプのペダルだ。
「ハメ方は、ペダルの縁に足を乗せて後ろに引くと持ち上がるから、足をズラして一気に突っ込む」
説明されたがいまいち分からないので、実際やってみることにした。
右ペダル側面に足を乗せて後ろに引いてみた。下を向いていたハーフトゥクリップが持ち上がる。踏み面も上を向くので足を置くと、ペダルは水平状態で止まった。
(これで足を入れるのか)
右足をハーフトゥクリップに入れてみた。靴の先の方が固定されたようになる。
「左は漕ぎ出してからハメるのだが、その時注意したいのは、下を向かないこと。前を見たままハメられるようにならないと、危険が迫った時に回避が出来ない。下を向けば地面しか見えないからな!」
「分かりました。やってみます」
頭の中で、何度かイメージを描いた。
「よし、行きます!」
愛紗は右足を踏み込んだ。漕ぎ出しが思っていたよりも軽く、クランクはあっさりと下を向いてしまった。
「あうっ」
取りあえずサドルに座る。
一旦落ち着こう。
いや、落ち着いてる場合じゃない。左足がある。
走り出した自転車はすでに失速しつつあり、ハンドルがふらつく。
「慌てなくていいよ。左足がハマらなかったら、ハマらないままでもペダル一周回して、スピードが落ちないようにして!」
光先輩からアドバイスが飛んでくる。
ペダルを一周回すと、スピードが出てハンドルが安定した。
左足も同じようにハーフトゥクリップにハメる。
ようやく自転車を漕ぐ準備が出来た。なかなかに大変である。
ペダルを踏む左足に力を入れた。
ここから、私の自転車ライフが始まる!
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