第4話 アイサちゃんむずかしくってわかんなぁい!

「で、ね。自転車を買う前には、まず決めないと行けないことがあるんだけど、愛紗ちゃん、なんだと思う?」

 光先輩に聞かれて、愛紗は考える。


 自転車を買う。

 となると、買う店を選ぶ。

 その店を選ぶには……品揃え? 行きやすさ?

 行きやすさはいいとして、品揃えが良いかどうか判断するには……台数?

 そもそも、どんな自転車を買うのか……。

 んー……分からなくなってきた。


「――えーっと、買う自転車のメーカー?」

「はい、ブーーッ。ハズレ」

 間髪入れずに光先輩は言う。

「スマホとか、パソコンとか、よく知らない人がそうだけど、『メーカーどこがいい?』とか聞きがち。でも、どうしてもココの自転車がいい! 憧れてる! とかいう以外は、メーカー縛りはしない方がいいよ。選択肢が狭まっちゃうし」

「うんうん」

 結理先輩が強く頷いた。

「正解は――」

「越後製菓!」

「違う。正解は予算」

「あーっ」

 確かに予算は大事。お金には限度がある。

 だが、

「ていうか、そんなに予算を決めないといけないほどなんですか?」

「自転車はピンキリでね、上を見るとキリが無いからね。それこそ、自動車が買えるレベルだから」

「うぇっ!」

 予想もしていない高さに、変な声が出てしまった。

 とは言え、自動車の値段もピンキリだ。フェラーリが買える値段ではないと思いたい。

「高い自転車って、何が違うんですか? 速いとか?」

「んー、速さは乗る人次第。脚次第だからねー。速く走れるというよりは、よりラクに走れるって言った方がいいのかな?」

「楽?」

「そ。価格と重さは大体反比例。同じパワーで比較すると、軽い方がより速く進むし、一定速度で進む時は、よりパワーがいらなくなる。まぁ、軽さは正義だけど、絶対じゃあない。あと、走れるかどうかって、乗り手次第だからね。漕ぐ人が疲れたら、当然進まなくなる。グレードが上の車種になっていくと変速の段数も増えるけど、それは余計な力を使わずラクに走るため。一定のパワーで走るためのね。レースとか、ロードバイクで長距離走りたいって人は何百キロと走ったりするからね。人に取っても省エネじゃないと早々と疲れちゃう」

「はぁ」

 一気に説明しすぎたかな? 光はちょっと思う。

 愛紗は分かってないような気もするが、今日一日で全部理解してもらおうとは、思ってない。

 話を戻そう。

「で、とりあえず予算を考える。そして、買う自転車はその予算から下のラインを設定する」

「なんでですか?」

「最初は色々必要なモノがあるのよ。意っっ外とそれが予算を食う。まず、買う自転車を見て、足りないモノとかを買い足さないといけない」

「足りない物って、売ってる自転車には必要な物付いて来るんじゃないんですか?」

「乗り手の好みで変わることもあるから、付かないモノもあるのよ。で、公道を走る際に、絶対装着してないといけないモノが二つ。ブレーキと警音器」

「え、ブレーキって付いてないんですか?」

 当然付いてるだろうと思っていた物が無いなんて、愛紗は驚く。

「いや、付いてるよ? 大体の自転車は。でも、トラック競技用の自転車には付いてない。トラック競技はブレーキ禁止だから」

「え、じゃあどうやって止まるんですか?」

「そりゃあぁ……気合い」

 本当はペダルを逆方向に踏んで減速停止になるのだが、説明が面倒なので省く。

 まぁ、気合いで止めるのは、あらかた間違っては無いとは思う。

「トラック競技やる人って凄いんですねぇ」

 愛紗は感心している。長々と説明するより、簡略的に説明した方が効果的なのかもしれない。勘違いしている可能性もあるが、訂正する気は無い。

「ちなみに、ブレーキ無しで公道走ると五万円以下の罰金ね。普通の自転車買えば、大体付いてくるけど。次に警音器」

「軽音楽をやる楽器の略ですか?」

「んな訳ないでしょ。字が違うし。ベルやラッパみたいな警告音を発するモノで、公道には単管キャップから雷が二本出てるような青くて丸い『警笛鳴らせ』って標識があるんだけど、自動車だけじゃなくて自転車も鳴らさなかったら、五万円以下の罰金」

「ひぃっ……」

 さっきから出てくる五万円というとてつもない額に、愛紗は驚く。『払え』と言われても払えないかもしれない。払えなかったらどうなるんだろう。今からは考えたくない。

「でも、その標識どこに有るんですか?」

 光は黙り込んで、

「――背振せふり?」

 と、自信なさげに答えた。

 背振は県境に有る千メートル級の山である。

 斜めの黄色い正方形に黒い感嘆符が描かれた『その他の危険』標識は市内の平地にも有る。幅員減少の標識も一緒に有るので、この先すっごい狭いよーと警告してるんだと思う、多分。

 だが、警笛鳴らせはそこまで多く見るような物でも無い。見通しの悪い所に有りがちなので、山道には比較的有ると聞いたことはあるが。

「あると聞いたような聞いてないような……ユリ、知ってる?」

 光はいつの間にか自転車の整備を始めていた結理に聞いてみる。

 が、

「知らなぁい」

 と、振り向きもせず、素っ気ない返事が返ってきた。

「でも、大体見通しの悪い山に有りがち……」

 見通しの悪い山とは言うが、昨年は山好きの先輩に連れられて山道をよく走っていたが、あまり見かけた記憶が無い。昔よりも道路状況が良くなって、標識が減ったのだろうか。

「なら、そういう所に行かなければ、いらないんですか?」

 愛紗が聞くと、光先輩は首をゆっくり横に振った。

「残念なことに、都道府県の施行細則とか道路交通規則なんかの運転者の遵守事項で『警音器が付いてない自転車は運転すんな!』みたいな事が、ほとんどの都道府県で定められてるんだよねぇ。違反すると五万円以下の罰金」

「うぇ……。ところで疑問なんですけど、罰金は五万しか無いんですか? さっきから五万しか言ってない気が」

「いや、二人乗りとか歩行者の妨害は二万だから、五万しかないということは無いよ」

「それなら良かった」

 良くもない。

「で、ここからは義務じゃないけど、ほぼ必須なモノ。まずは……ライトと反射板リフレクターか尾灯かな」

「ライトって……大体付いてますよね?」

「ライトって、日没から日の出まで、先の見通しが悪いトンネル、キリ等天候状況で先の見通しが悪い時には点けろとなってるけど、装着は義務じゃない。でも、昼しか乗らない! とか思ってても、時間がかかって暗くなったとか良くあることだから、装着はほぼ必須。点けるべき時にライトを点けなかったら、罰金五万円」

「また五万ですか」

「また五万です。で、後ろは赤い反射板を装着か、赤い尾灯の点灯。注意したいのは、ライトは点灯であること。たまに点滅で走っている人いるけど、バイクとか車の前照灯やリアライトは点滅じゃないでしょ? 反射板付けているならリアは補助灯として点滅でもいいんだけど、そうじゃないのに点滅とか、前照灯が一灯だけなのに点滅させているとか、後は前後逆。前に赤とか後ろに白だと無灯火と一緒。五万円コース」

「そんな人がいたら、『やーい五万!』って笑ってやればいいんですね?」

「――ユリじゃないけど、無用なトラブルは避けよっか。ライトは主に二種類あって」


●乾電池・コイン電池式

 多くは単三か単四乾電池で使用する。コイン電池のタイプも。

 もし電池が切れてしまっても、調達が比較的容易。

 ただし、あまり明るくない。

 明るめの物は電池の本数が増え、その分大きくて重くなる。


●充電池式

 充電すれば使える。コンパクトな割に明るい物が多い。

 充電池を交換出来る物もあるが、多くは充電が切れると終わり。

 乾電池式と比べると、値段は高め。


「で、大体はケチってそこそこの明るさのモノを最大光量で使って、長く持たない! とライト沼にハマりがちなんだけど、明るめで長い時間照らして欲しい! って言う時は、明るいライトを買って、ローモードみたいな長持ちするモードを使うのが一番。明るいライトって、その分バッテリー容量も大きいから、そこそこの光量で使うと長持ちするのよ」

「へぇー……」

「明るい市街地と暗ぁい郊外だと、ライトも違う。明るい市街地なら、どちらかと言えば『ここにいるぞ!』とアピールするため。郊外は、それに加えて路面状況を確認するため。真っ暗だからね。道路の状況がなーんにも見えない。でも、自分をアピールするのは変わらない。自分が他を見えてるからといって、他人が自分を見えてるとは限らないからね」

「なるほど」

「尾灯……というかテールライトは自分の好みで。反射板付いてて点滅させるというなら、点滅パターンで選ぶとかね」

「点滅パターン、そんなに有りますか?」

「LEDの数とか、点滅早い、点滅遅い、ピカピカー、ナイトライダーとかね」

「ナイトライダー? 夜走る人?」

「むかーしあったドラマよ。あのナイトは騎士だけどね。チェイスフラッシュとか、循環点滅、往復点灯とも言うけど、赤い点が左右に動くモードをナイトライダーって言う方が、説明が要らなくてすぐイメージ出来るから早いの。特にちょっと年上のおじさま方にはね。憧れだから」

「なんでそんなおじさま方の憧れを知って……まさか、おじさんと付き合ってるんですかぁ!?」

 愛紗に衝撃が走る。

 こんな可愛い先輩がおじさん好きだったなんて……。

「付き合ってないから! 有名なドラマだから知ってるだけよ!」

「――もしかして、留年してすごい年上って事は……」

「ねぇよ! もういい。先に行く。ライトの次は――ペダル」

「ペダルって……大体付いてますよね?」

「なんか、さっきも同じようなこと言ってたような……。あたしたちの自転車見て、ペダル違ったでしょ」

「そう言えば」

 二台は普通に見かけるペダルと違う物が付いていた。

「乗り手で好みのペダルがあるから、別に買うか持ってるモノを流用することが多いの。ペダル付もあるけど、ほぼフラットペダル」

「フラットペダル? ふらーっと乗れるから?」

「そうそう。靴も選ばないからふらーっと――な訳ないでしょ! ざーっくり分けると、四種類かなぁ」


●フラットペダル

 いわゆる普通のペダル。

 利点としては、靴を選ばないという点だけ。


●トゥークリップペダル

 取付穴の有るフラットペダルにクリップを付けて、ストラップで靴を固定するタイプ。

 競輪はこの方式。

 簡易的にして、ストラップを無くしたハーフトゥークリップも有る。

 靴は比較的選ばないが、ストラップを締めて固定力を上げると、信号停止や急停車時に外すのが大変。弱めるとハーフトゥークリップと大差が無くなる。

 フラットペダルに取り付けなので重量もやや重めになるし目立つが、安価。


「こっからはビンディングペダルと言われる物で、これらが登場するまではトゥークリップが主流だったからクリップレスとも言われるんだけど、ベストな位置に設定できれば常にその位置で固定できるし、着脱も比較的ラクなのが特徴ね。ただし、靴底にクリートをボルトで取り付けるから専用の靴が必要となるんだけど、この靴が結構いい値段するのよねぇ」


●SPD-SL系列

 靴底に大きなクリートが付いたタイプ。ボルトが三本、または四本。

 自転車をより速く安定的に走らせるのには適しているが、クリートと硬いソールが邪魔で歩きにくい。

 だがゴールしたいという強い気持ちがあれば、カメラバイクにぶつかって自転車が壊れた後に山道を走る事だって出来る。


●SPD系列

 靴底に小さなクリートを埋め込み、歩きやすくした物。ボルトは二本。

 マウンテンバイク向けと言われることもあるが、マウンテンバイクに限定した物では無い。

 クリートは金属製なので、岩場やコンクリートの上を歩くと、カチカチ音が鳴る場合が有る。

 SPD-SLとSPD両用タイプの靴もあるが、靴底にアダプタを付ける形になるので、歩きやすいという利点は失われる。


「とまぁ、簡単に説明すると、こんなところかな?」

「ところで、なんで『系列』という言い方なんですか?」

「ああ、『SPD』って、何の略だと思う?」

 愛紗はしばらく考える。

「――スゴイ・パワー・ダセマスヨ?」

「そうそう。パワーを効率よくペダルに伝えられるから、凄いパワーが――って、んな訳ないでしょ! 正解は『シマノ・ペダリング・ダイナミクス』。つまりシマノ製品の呼び方なんだけど、他のメーカー使う人でもシマノを知らない人は居ないから、この呼び方が手っ取り早く通じるって訳」

「シマノ凄いんですか?」

「シマノ凄いんです。そして、最初は大体シマノにするんだけど、もう少し軽いのがいいとか、膝への負担が少ないモノを、とか考えだすと――ペダル沼にハマる」

「自転車の沼は深い……全て沼。一度嵌まると、中々抜け出せない」

 結理先輩が手を止めてボソッと呟いた。その言葉自体が深く感じて震えが来る。

「恐ろしいんですね」

「恐ろしいんです。後は欲しいものとして挙げると」


●サイクルコンピュータ

●ボトルケージ

●グローブ

●ヘルメット

●鍵


「最初としてはこんなモンかなぁ。空気入れとか工具は、取りあえず部室のを使えばいいし、いきなりタイヤやサドルやクランクを交換とか言わないし、サドルバッグとか、それに詰め込む予備チューブや携帯エアポンプとかボンベも必要になればでいいし、パッド付きのボトムスとか、サイクルソックスはそれなりの距離を走るようになってからでもいいよ。距離が短いと、あまり恩恵を感じないからね」

「結構多いですねぇ」

「だから、予算より少し下って話をしたの。最初だと、自転車本体以外に必要なモノが多いからね。本当はもっとあるんだけど、とりあえず点数を絞って、これ」

「なにか注意点は有りますか?」

「うーん……今はマーク付いてないヘルメットはほぼ無いんだけど、一応知っておいた方がいいかな? 安全基準適合のマーク。次の三つのどれかが付いてるか確認した方がいいよ」


●SG(一般財団法人製品安全協会)

●CE EN1078(欧州連合を中心とした国々)

●CPSC(米国消費者製品安全委員会)


「他に日本自転車競技連盟のJCF公認・JCF推奨シールが貼ってあるのも有るけど、審査を通過するのに安全基準適合マークが必要だから、それを確認でもいいよ」

「JCFの公認と推奨の違いってなんですか?」

「えっ……」

 愛紗に尋ねられた光先輩は黙り込んでしまった。公認と推奨のヘルメットが頭の中でグルグル回るが、違いがよく分からない。

「いやぁ……メーカーや代理店の申請料は同じだけど、多くのレースは公認ヘルメットじゃないと出られないから……ガチ勢とエンジョイ勢の違いぐらい? 多分」

「それでいいんですか?」

「いや、だってそれぐらいしか違いが分からないし。メーカーの中の人なら違いとか言えるかもしれないけど、あたしたちは利用者だしねー。知らなくていいよ。あと必要なモノ、なにかあったかなぁ……」

「あ、ごまかした」

「ユリ、なんかある?」

 結理先輩は作業の手を止めずに考える。

「んー……いつの間にか増えるパーツや工具を保管する為のケースとスペースの確保」

「それはまだ考えなくていいから! 確かにいつの間にか増えてるけど、パーツと工具」

「部屋からサドルがいくつも出てきたり、いつ買ったかよく覚えてないチューブやブレーキシューが発掘されたり」

「あるよねー。このシュー、まだ使えるのかなぁ――てか、そんな話をしている場合じゃない」

「実際、乗ってからの方が乗り手として必要な物が分かると思う。私がそうだった」

「そっかー。じゃあ実際乗ってみて――って、まだその前の段階だから!」

「自転車の違いを知るためにも、一回乗ってみた方がいいと思う……私は」

「乗るって言っても、ロードはあたしのがサイズ的にも大丈夫と思う。でも、クロスはユリのだと小さすぎるんじゃない?」

「ならば、私の出番だな!」

 突然、部室の扉が勢いよく開き、室内に声が響き渡った。

 入口には人影が見えるが、光が眩しすぎてよく見えない。

「誰?」

 光先輩も、さっき同じように現れた結理先輩もここにいる。

 と言うことは、これは自好部の三人目なのか?

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