第2話 スワンプランドへようこそ!
「ちょ、ちょっと待ってて」
マント先輩が慌てて愛紗を制止すると、小さな先輩の手を引いて愛紗との距離を取った。
「ユリ、どうする? ナイってさ」
二人は愛紗に聞こえないよう、小声で話し始める。
「折角入ると言っている……逃すのは勿体ない」
「でも自転車部でエア自転車は、さすがにマズいんじゃない? 人数合わせと思われちゃうよ」
「私は入部してから暫く、自転車を持ってなかった」
「ユリは乗る方で入った訳じゃなかったからね――かくなる上は、高校デビューだ」
「私とか、先人も多くはそうだったと聞く……となれば、とりあえず部室へ連れて行って、そこで既成事実を作ってしまえば、きっとあの子も逃れられない」
「――ユリって、ヘンなトコで強引だよね」
「でも……この後に新しい部員が捕まると思う?」
「うーん……」
そんな保証は無い。逃した魚は大きいと言うが、ここで入部を希望している新入部員を逃すのは勿体ない。
実際、この新人は二人よりも背は大きいので、実物的に大きな魚ではあるのだが。
話が途切れた所で、二人の先輩が同時に愛紗の方を見る。
「なな、なんですか……?」
愛紗に二人の目線が突き刺さり、緊張が走った。
「本当に自転車持ってないの? ママチャリすら?」
マント先輩が聞いてきた。
「は、はい」
「学校までは、どうやって来てるの? バス? 電車?」
「歩いてですよ。近所ですから」
「ていうか、乗れるの?」
「小さい頃にレクリエーションセンターで練習はしているので、それは問題ないかと」
レクリエーションセンターや国営の海浜公園はレンタルサイクルやサイクリングコースが有る。市民が広い場所で自転車の練習をするとなると、大体どちらかになる。
「体力は?」
「歩くのは好きなので、それなりに有るとは思います」
尋問が終わり、二人の先輩は再び向き合う。
「小さい頃練習って、大丈夫なの?」
「少し乗れば思い出す……身体は正直だから」
「ユリのその言い方、なんかひっかかるけど、まぁいいや。自転車なんて、ヘンに力を入れずにある程度のスピード出してりゃ、安定して走るモンなんだから。すぐ乗れるでしょ。なら入部して貰うとして、自転車どうしよう――うえパー姉さんが組み立てるとか?」
「そんな都合良くフレームが余ってるとか、無い。新入生が入ると言えば、何か余ってるパーツをプレゼントしてくれるかもしれないけど」
「ナイのかぁー。レンタル……はダメよね?」
「街のレンタル自転車は、短距離しか想定していない……と思う」
街中で見かける赤いシェアサイクルの料金は一分単位で、自転車もミニベロでシマノNexus三段変速。歩くには遠いが、電車バスを使う程でもない距離で使うのが普通だろう。
「観光地でもシティサイクルや電動アシスト自転車、クロスバイクやマウンテンバイク、最近はロードバイクも貸し出している所が有る。ただ、行ける場所が限られてくる」
「だろうね。貸し出してない場所には行けないからね。となると、買ってもらうしかないかぁ。買った方が愛着湧くしね」
「それは有る。自分の愛車で行くと、気持ちが良い」
「じゃあ、いい自転車に出会えるよう、あたしが導いてあげるかな」
「みっちゃん、ヨロシク」
小さな先輩が言い終わる前に、マント先輩は愛紗に素早く歩み寄った。
「ねぇ、部室でお話ししない? 自転車についてアレコレと、ね? ドリンクとお菓子もあるよ?」
そう、にこやかな表情で話しかけてくるマント先輩。これはこれで逆に裏が有りそうで怖い。
断りたい所だが、断れる雰囲気では無い。部に入るとは言ったものの入部届はまだ書いていないし、いざとなれば逃げ出すこともできるだろう――多分。
決して、お菓子に釣られた訳じゃない――きっと。
「分かりました。そのお誘い、受けましょう」
愛紗の言葉にマント先輩の顔は満面の笑みというレベルを突破した。よほど嬉しかったらしい。
「いやぁ、よかったよかった。それじゃあ、来てよ」
マント先輩は愛紗の腕をグイッと力強く引っ張ると、そのままグラウンドの方へと進んでいった。
マント先輩と愛紗はグラウンドの方へと回ってきた。普段なら運動部の活動で人が多いグラウンドも、今日は人が少ない。どの部も勧誘で忙しいのだろう。
そんなグラウンドの校舎寄りの方に、白い壁が眩しいデザイナーズ物件かと思うようなおしゃれで三階建ての建物が有るのが見えた。
「これは……?」
「これ? 新部室棟よ。オシャレでしょ? 新築して間もないの。綺麗な更衣室、綺麗なシャワー室、綺麗なトイレ完備で、トレーニングルームも有る特別な棟よ。それなりの実績が有る部や部員の多い部が優先で入れた、選ばれしモノの為の棟ね」
「ほぉ……」
と愛紗は明るい未来が見えそうになったが、最後の言葉にひっかかった。
そう。『選ばれしモノ』という部分だ。
「えっと……『実績の有る部や部員の多い部』ということは、部員の少ない自好部は……」
「ああ、自好部の部室がある部室棟はあっちでね……」
声のトーンが落ちたマント先輩は、グラウンドの奥を指差していた。
その指の先をよーく見れば、昭和のアパートを彷彿とさせる二階建てのボロい建物が建っていた。
あれじゃあ部室棟ではなく、部室荘と呼ぶ方が正しいのではないだろうか。
「あたしたちの部は旧部室棟にあるんだよ」
「ですよねぇー」
いくらなんでも格差が酷すぎた。トレーニングルームは別として、綺麗な更衣室、綺麗なシャワー室、綺麗なトイレ――そんな物には期待出来ないというか、どう見ても無い。
「こんなボロでも、住めば都って言うしね。裏に手と足を洗う場所は有るし、綺麗じゃない更衣室、数の少ないシャワー室、とても綺麗じゃないトイレは体育館のを使えるから、安心して。着替えは部室使ってもいいけど。どうせあんな所、誰も来ないし」
安心出来ない。大体、先輩もちょっと自虐気味だし。
やっぱり格差は酷かった。綺麗な環境は新部室棟に入られるような部にしか、与えられないようである。
入部、やめようかな?
そんな事を思っている間に、部室荘へと着く。
自好部の部室は一階の左端に有った。各部室の入口に有る色褪せたサーモンピンクの鉄扉と、はめ込まれた表面がデコボコの網入り型ガラスが、この建物の古さをより強く実感させる。
その扉の上には『自転車愛好部』と書かれたプラスチックの白いプレートが掲げられていた。本当にここが部室のようである。ドッキリの可能性は、もう無いだろう。
「ようこそ、自好部へ」
マント先輩が扉を解錠して開いた。
中は六畳程の広さで、縦長の薄暗い室内が見える。
さっき見たような学校机とイスがあり、その近くのカラーボックスには本が詰まっていた。自転車関連の本と思われる。
その横には小さな冷蔵庫が有った。
奥には一畳程のマットが敷いてあり、端には工具箱らしき物が載っていた。
マットのすぐ近くにカバーが掛かったものが二つある。恐らく自転車なんだろう。
壁に付いたフックにはネットバッグがいくつかかけてあり、中には丸い物が入っている。よく分からないが、スイカでは無いと思う。
「……意外に何も無いんですね」
愛紗は率直な感想を述べた。
「入らないからねぇ、狭くて。『隣の部室が空いたから、ください!』って言ってみたんだけど、断られたし。旧部室棟に残ってる部は少ないんだから、くれてもいいのにさ……まぁいいや。座って座って」
マント先輩はそう言いながら電気を点け、冷蔵庫を開けた。
「あー……これしかなーい! これは……ユリに怒られるよね、やっぱ。こっちは……」
と言いながら、冷蔵庫の上に有るもち吉の
「補給食だけど……ハリボーよりこっちかなぁ……」
(この人、大丈夫かな?)
そう思いながら、愛紗はイスに座る。
「ごめんっ! これしか無かった!」
マント先輩が手を合わせて謝る。
机の上に出てきたのは、ペットボトルのいちごミルクと、竹皮柄の細長い小さな塩ようかんだった。甘そうな組み合わせだが、甘いのは嫌いではない。
「なんなら、バナナもあるよ!」
とマント先輩はバナナを取り出すが、私はサルか!
(どうやって開けるんだろう、これ)
塩ようかんをひっくり返すと、裏に切れ込みが有った。両方をひっぱって開けろみたいなことが赤い字で書いてある。その通りにして見ると、中のようかんが顔を出した。
なんか、こんな感じでもう少し細長いカラフルなゼリーが駄菓子であったような気がする。
袋の下を押して、口の中にようかんを入れた。
主張しすぎない程度の塩味が舌の上で広がった。甘いのかと思っていたが違ったのでビックリしたが、よくよく考えてみたら『塩ようかん』と書かれているのだ。しょっぱくて当たり前だ。だが、その後に甘さが舌の上でじんわりと広がってくる。
不思議な感覚だ。
お菓子が想像とは違う物だったが、これはこれで悪くない。
「そう言えば自己紹介がまだだったね。あたしは
ユリと呼んでた小さな先輩にみっちゃんと呼ばれてたようだが、光→みつ→みっちゃんなのかな?
キラキラネームとまでは行かないが、なかなかに初見殺しな名前だ。
「私は平田愛紗です」
はっ!
なんか着々と周囲が固められている気がする。
もう入部する事前提で話が進んでるのではないだろうか。
入るとは勢いで言ってしまったものの、まだ本当に入部するとは決まった訳では無い。
今更言うのもなんだが、自転車無くて自転車部と言うのも、なんだか申し訳無いし。
「て言うか、よく自転車無しで生きていけるね。大変でしょ?」
「中心部なら歩いて行けますし、バスだって大量に走っているじゃないですか」
「バスは時間通り来ないし、下手するとバスが何台も連なって来るけど、その中に乗りたい行き先番号のバスが無かったり、行き先だけ見て『降りるバス停の所通るかな?』と飛び乗ったら、全然別のルートから行き先の方に行ったり」
「あぁー、有りますねー。乗りたいバスが無かったと待ってたら、その後目的のバスが中々来なかったり」
「どうせ遅れてるだろうとまったりバス停に行ったら、時間通りに出てたりね」
あれ? この部はバス愛好部だったかな?
「自転車はいいよぉ~」
そう言いつつ、光先輩はもう一つある机に腰掛けた。
「行動範囲がグッと広がるし、自由に動ける。なんと言っても、目的地に着いた時の達成感! これを味わうために走るようなモノね。遠出すると、達成感もすっごいんだよ」
光先輩は身振り手振りを加えて楽しそうに語る。そんなに楽しい物なんだろうか、自転車。
「遠出って、どれぐらいですか? 五キロ? 十キロ?」
「うーん……あたしたちだと、その十倍ぐらいかな? もっと長い距離を走る時も有るけど、寄り道しがちだからねー。あんまり距離は走れないんだ。部員によって走り方は違うけど、あたしたちは自転車に乗りたいからどこかへ行くというよりも、どこかへ行きたいから自転車で行くってタイプだからね」
愛紗は言葉を失った。
想像の出来ない世界が広がっている。
五キロでも遠く感じる。十キロなんてとんでもなく遠い。近くの駅から電車に乗れば、二つ隣の市まで行けてしまう距離だ。
自転車の練習をしていた時にレクリエーションセンターを一周でもとんでもない距離だと思っていた記憶が有るが、その二倍の五キロ、さらに十倍! ってどんな距離だ!
――五十キロだけど。
光は開いた口が塞がらないといった表情の愛紗を見つめる。
でも、これは想定内。
「多分ねぇ……愛紗ちゃんの頭の中では、子どもの頃に乗った自転車とか、ママチャリで走ることを想定してるんじゃないかなぁ」
光先輩の言葉に愛紗は大きく頷く。
「そうじゃないんだよなぁ、あたしたちの乗る自転車って」
「え? どんなのですか?」
(食いついた!)
仲間が増える。そんな予感がした光の口元が、思わず緩む。
自転車界へ引き込む準備は出来た。
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