終章

Not a Hero

 彼らは優秀な戦士だ。

 例えどんな障害が目前に立ちはだかろうと、技術と装備、そして作戦によって乗り越え、確実に目的を果たす。

 だが優秀な戦士だからといって、英雄とは限らない。

 少なくとも、大衆は彼らを英雄とは認めないだろう。


◇ ◇ ◇


二〇一八年一一月二〇日

愛知県羅宮凪市 羅宮凪国際空港連絡橋


 羅宮凪国際空港。名気屋町の沖合約一キロの海上に浮かぶ、所謂海上空港である。年間千七百万人もの人間が利用し、同時に何兆もの金が巡る。

「シエラチーム。容疑者が不審な動きを見せたら発砲せよ」

「了解」

 海上空港である以上、陸へのアクセスとして連絡橋は必須だ。車道だけではなく、羅宮凪電鉄の国際空港線も並走している。

「レッドチーム、現在移動中」

「了解、動きがあれば報せる。ポイントAに移動せよ」

 自分とは関わりのない人間に興味がなく、同時に今の世界が気に食わない者にとって、破壊するにはすこぶる適した場所だろう。

「ミョートからレッドチームへ、報告する。容疑者が車両を放棄、徒歩での移動を開始した」

 検問によって生じた渋滞の中、二台のバンから集団が降車した。覆面で素顔を覆い、羽織ったベストには長いライフルの弾倉が差し込まれている。

 彼らに囲われるように、二人の少年が路上に出た。二人もベストを羽織っていたが、他の大人たちとは様子が違った。

 乗用車の後部座席で彼らが出てくる瞬間を見ていた少年が叫んだ。

「ねえ、あの人たち銃持ってる!」

 彼らが三メートル歩くたびに恐慌が広がる。

「ミョートから全チームへ。容疑者の中に爆弾ベストを着用した奴Suicide_Bomberが二人いる。……子供だ」

 即座にチェルノフが違和感に気付いた。爆弾ベスト。文字通り、爆薬を括り付けたベストであり、遠隔操作なりタイマーなり、起爆する条件が整えば着用者もろとも周囲を爆破する。意思のある不安定な誘導兵器というわけだ。

 爆薬といえばジョンの十八番おはこである。

「ミョート、爆弾ベストの特徴は?」

「……右手に筒のようなものを握っている。スイッチか? そちらの端末にデータを送る」

 間もなくして、標識の足場で伏せるチェルノフが撮影した画像がジョンの持つパッドに送信されてきた。

 体格に見合わないほど不格好に膨れ上がったベストによって、少年は歩きづらそうだ。

「M五A一(米軍が使用するC四爆弾)が最低十個。爆発すればただでは済まん」

「しかも、デッドマンスイッチ付き。最高だな」

 デッドマンスイッチ。指を放せば爆発する仕組みの事を指している。今回の場合、少年が握らされている筒が該当する。

 何かの拍子で手を放してしまえば、その瞬間に爆破されるということだ。

「全チームへ、発砲には最大限注意せよ」

 チームに緊張と怒りが走る。

 とはいえ、誰もが半分慣れていた。イラクやアフガニスタンに赴いたジョンはなおさら。中東のテロリストは妊婦や物事を知らない少年を洗脳し、町のど真ん中で手榴弾を投げさせていたのだから。

 だが、長谷川は違った。未来があり、自分たち大人が守るべき子供を使う手段に怒り狂っていた。

 一声も発していないが、わかる。長谷川が発する無言の怒りは、後ろに立つチームメイトでさえ感じることができた。

 そんな中で響いた銃声は不意打ちだった。レッドチームの面々は反射的に姿勢を低くして車の陰に隠れた。

「オーパルルール、状況を」

「シエラチームから報告。たった今、容疑者と警察とで銃撃戦が始まった」

「……どういう事です?」

「覆面パトカーだ。偶然居合わせた警官と銃撃戦になっている」

 なんと運の悪い事か。いや、運ではない。なぜ現場近くにいる警官が容疑者の事を知らないのだ。ジョンは激怒した。

「ふざけるな、なぜ警官がこちらの作戦を知らないんだ!」

「わからん。警察に交戦の中止を要請する……」

「それでは遅すぎる!」

 向こうがもはやこれまでと諦めれば、まず間違いなく爆弾を起爆させる。そうなれば、自分達や橋だけではない。車に閉じ込められたまま動けない一般人まで犠牲になる。

 ボマーに流れ弾が当たった場合も、同様の惨劇が起こるだろう。

「発砲を止めろ! 容疑者は爆弾を持ってる!」

 長谷川が大声で叫ぶが、容疑者の脅しと勘違いしたのか、それとも単に聞こえていないのか。銃撃が止む気配はない。

 どうする、このままだと爆弾が爆発する可能性がある。無暗に多数の犠牲者が出るぞ。

 ジョンはやむなく決断した。

 車の陰から身を乗り出して覆面パトカーと私服警官二名を捉えると、まず一人目の肘を狙撃した。

 血飛沫が迸り、警官が一人腕を押さえて倒れた。

「今のは味方だぞ!」

 長谷川の非難の声も聞かず、ジョンはもう一人の爪先を撃ち抜いた。

「言っても聞かない馬鹿はこうするしかねえだろ」

 平坦な声色でアルトゥールが言う。ポーターも同感と言わんばかりに頷いた。

「バーゲストだ。馬鹿を二人黙らせた」

「……了解した。作戦を続行せよ」

 ベカエールもそう言う。

 おかしいのは僕なのか? 長谷川は困惑したが、すぐに思考を目の前の任務に戻した。

 容疑者も応射がなくなったことを確認すると、前進を再開。

 作戦とはかなり違う展開だが、制圧すること自体に変わりはない。

「シエラチーム、発砲開始」

 ベカエールの囁きと同時に、狙撃班が発砲を開始。銃声が響くたびに容疑者が倒れる。

 その混乱に乗じて、チームが行動を開始する。

 爆弾を起爆する隙を与えるな。急げ、急げ。

 チームが素早く距離を詰め、追い越し車線で停車する車に隠れていた容疑者の側面に出た。

 その後に立っていたのは二人。少年たちだ。

「もう大丈夫だ」

 拳銃をホルスターに収める長谷川だが、アルトゥールとポーターが制した。

「タイマーが作動している」

 ジョンが二人の肩を見て言った。警察に見せびらかす予定だったのか、彼らが羽織るベストの肩部には目覚まし時計を改造して作られたタイマーが設置され、残り二分を切っていた。

「皆さん! 爆弾が発見されました、至急退避してください!」

 咄嗟に長谷川が叫び、車に取り残された人々に避難を促す。ややおいて、車の扉が開いた。

「そのままで」

 渋滞した車列が市民の行く手を阻んでいた。恐らく、爆発するならばほとんどが逃げ切れないだろう。

 ジョンはそう思いつつも手を動かし、ベストを着せられた二人を隅に追いやり、起爆装置と指をプラスチック・カフで固定した。

 続いて爆弾を確認するも、首を横に振った。

「他に手段は……」

 長谷川の願いもむなしく、タイマーは一分を切った。爆弾処理班は待機していない。待機していたとしても、生き延びるため少しでも遠くに退避する以外に有効な手段はない。

 ここで長谷川には無理だと判断したのだろう。「フレッシャ、ポーター」ジョンはメンバー二人を呼び寄せた。

「僕たち、助かるんですか?」

 少年が唇を震わせた。

「すまない」

 ジョンは謝罪の言葉を返すと、メンバーは少年の腰を抱え上げ、橋から放り投げた。

 間もなく、橋の下で巨大な爆発が巻き起こった。


◇ ◇ ◇


「……で起きたテロ事件。犠牲者は犯人十三名と、人質となっていた伊藤喜一君と佐藤玲奈さんの二名です。特別警備隊の発表によると、SIU隊員は逃げられなかった市民の犠牲を避けるため、やむなく爆破直前に橋から投げ落としたとのことです。警察はこの決断を緊急避難とし、法的に追及されることは……」

 長谷川は自室のテレビに流れるニュースを耳にした途端、チャンネルを壁に投げつけた。

 ジョンが下した決断は間違いではない。さもなくば、自分は今この場にいない。こうして、休暇の為に荷物をまとめているこの瞬間さえないだろう。

 爆風を受けて内臓がムース状になって死ぬか、あるいは細切れ肉に変じて魚と餌になっていたか。

 どちらにせよ、彼が決断を下してくれなければ、今は存在しないのだ。

 爆弾が今にも爆発するという時、長谷川は間違いなく決断を躊躇ってしまった。最適解はあれしかないと脳は理解していたのに、理性が現実から目を逸らさせてしまったのだ。

 僕は甘い。甘すぎる。その甘さゆえに巻き込まれた無数の市民を死なせ、僕を待っている妻と快斗……息子を悲しませるところだった。

 怒りの矛先が向かうと同時に、自身の無力に腹も立った。

 もっと良い結果を迎えることができたんじゃないのか。あの若者二人を救い出すことができたんじゃないのか。

 いや、誰であろうと無理だった。諦めろ。

 そんなことはない、出来たはずだ。僕は無力だ。

 真っ向から対立する意見が長谷川の脳内に反芻する。常人の倫理観なら、どちらも肯定できるだろう。


 ジレンマに耐えきれなくなった長谷川は自室を出ると、寮の喫煙室に飛び込んだ。

 そこでは、ジョンとポーターが普段と変わらない様子で紫煙を燻らせていた。

「ほら」

 ジョンはそっとポーターの煙草を差し出した。

「勘弁してくれ、自分の出せよ」

「素人に私が吸うものは厳しいだろう」

 そう言って葉巻が発する煙を吐いた。確かに、煙草を少しだけ吸う人間に葉巻はつらいだろう。

「ダメなのか?」

「いや構わねえけどよ」

 吸ってないとやっていられない。長谷川が煙草を咥えると、ポーターがライターで火をともす。

「どうも」

「それにしても、今回の仕事はヤバかったなぁ」

 空気を読まないポーターが気の抜けるような声で呟いた。それが、どうにも長谷川の癇に障った。

「ああいうのは慣れっこって事か?」

 間抜けのポーターも、皮肉に気付かないほど間抜けではない。すぐに長谷川の怒りに気付いた。しかし、いつものように茶化せるような雰囲気でもない。

「そんなにキレんなよ。お前の言いたいことは何となくわかるけどよ、結局天秤だろ? 二人と……百人近い人間。簡単な話だ、三十過ぎて気に病む話じゃねぇだろ」

「僕は子供を見捨てるために訓練を積んだんじゃない!」

 あの厳しい訓練は巻き込まれた人々を救うためのものであり、橋から投げ落とすためのものではない。

 わかっている。そんな時が来ると覚悟はしていた。今までこんなケースに出会わなかったのは、単なる幸運に過ぎない。

 だがやはり、覚悟と現実はあまりにも違いすぎた。

「ごめん。ただ、ただ……」

 言葉が見つからず、思わず強く煙草を吸った。肺に入り込んだ煙が苦しくて、思わず咳き込む。だが、ニコチンは思考に落ち着きをもたらしてくれた。

「長谷川。お前の言っていることは間違いじゃない」煙を吐いたジョンは言う。「その悩みは人として当然だ。訓練の日々は無実の人々を殺すためのものではない、救うためだ」

 しかし、この先は他人が言っても意味がない。恐らく、長谷川自身が自覚しているはずだ。自分で踏ん切りをつけなければならない事なのだ。

 さもなくば、重圧に耐えきれずに自壊する心を病む。他人は回避するための手助けをするよりほかないのだ。

「あまり私に言えることは多くない。ただ、一つだけ言わせてくれ」

「構わない」

「辛いなら言ってくれ。道は一つではない。固執して、大切なもの家族を見失うなよ」

 その言葉は、長谷川の心にずしりとのしかかった。

 同時に、一つの道を作ったのかもしれない。


◇ ◇ ◇


二〇一八年一二月二四日

愛知県豊明市 保見ヶ丘


 アルトゥールはふと目を覚ました。

 アパートの狭い部屋に、衣類に半ば占拠されたソファー。

 懐かしい光景。彼が抱いた感想がこれだ。

 汚職警官じゃなかった頃、こんな狭いアパートの一室に居を構えていた。常に何かしら問題を抱える生活ではあったが、汚職警官の頃を鑑みれば十分に満ち足りた生活だった。

 では今は……

「パパ」娘のマリアだ。現在はリオの狂気とは無縁の生活を送っている。「私の携帯知らない?」

「知るわけないだろ、なんで俺が知ってると思うんだ?」

 しかしまあ、せっかくの我が娘の頼みだから、手を貸してやることもやぶさかではない。アルトゥールはマリアを見た。

「今日、愛知県全域で珍しい雪模様。素晴らしいホワイトクリスマスになりそうです」

 ニュースキャスターが画面の向こう側で言う。

 マリアの髪は久し振りの雪に濡れているが、服は着替えたのか濡れている様子はない。帰って来て早々なのだろう。

「俺が寝てる間、ここに来たか?」

「ううん」

「じゃ、下駄箱の上」

 トテトテと廊下を歩く音が響き、やがて早足で戻ってきた。

「あった!」

「そうかい。ママはどうだ?」

「着替えてるから待っててだって」

「なるほど」

 アルトゥールは視線をニュース番組に戻す。そこではちょうど、一ヶ月前の爆弾テロ事件を報じていた。

 羅宮凪島で爆弾が爆発するのは珍しくないが、さすがに子供二人に爆弾を括り付けたのはインパクトが強かったらしい。

「……あの時、ガスマスクを被った特警の人が子供たちを海へ投げ捨てたんです」

「特別警備隊の発表によると、タイマーが作動して爆発寸前だったとのことですが」

「わかりません。タイマーがあったのかどうか……」

 当たり前だ。あの状況下で冷静にタイマーがあるか確認できたとしたら、よほど冷静なのか頭がおかしいのか、脳味噌の中身を疑う必要がある。

 場面が切り替わり、続いて最大野党の議員の顔が映し出された。

「果たして、本当にベストにはタイマーが設置されていたんでしょうか? まったく、明確な証拠がありません。本当は爆発に巻き込まれることを恐れ、海へ投げ捨てたのではないでしょうか。これからも追及していきたいと思います」

「けっ、アバズレめ」

 現場をロクに知らない無能が、妄想で俺らの仕事を語るな。

 アルトゥールは政治屋の多くを嫌っていたが、特にこの手の人種を嫌っていた。

 よそ者の外国人が信用できないのは理解できるが、他者の批判だけが自分達の存在意義と言わんばかりのしたり顔がアルトゥールの癇に障ったのだ。

 だがなによりも癪に触ったのは、決断を下したジョンを侮辱する発言だ。犠牲は出たが、あくまで最小限だ。あの状況下では最善の方法だったに違いない。

 とはいえ、ジョンが決断を下さなければ、アルトゥールは自分一人でも少年たちを橋から落とす覚悟ではあった。

 なぜなら……

「準備できたわよ」

 廊下から綺麗に着飾った彼女が姿を見せた。

「綺麗だよ、アモール」

「そっちはもう行ける?」

「もちろん、さあ行こうか」

 スーツのジャケットを羽織ると、アルトゥールも二人に続いて玄関へ向かった。

―――俺はこの家庭を守るためなら、この姿を保つためならなんだってやろう。

 家族の守護、それが彼の信条であるからだ。


◇ ◇ ◇


二〇一八年一二月二四日

東京都渋谷区


 都会には多くの人がいる。

 大人・子供・凡人・秀才・金持ち・貧乏人、そして犯罪者。様々な人間がこの土地にいる。

 ここは平和な羅宮凪島か。いや、逆か。世界トップクラスにクソな都会こそが羅宮凪島なのだ。

 チェルノフは雪の降る町を早足で歩み、一軒のバーに飛び込むように入店した。

「いらっしゃい」

「バルトは?」

「ありますよ」

「ナンバーセブンを」

 バーテンダーにビールを頼むと、チェルノフはカウンター席に腰を下ろした。

 狭いビルの一室にある小さな店だが、客が窮屈に感じないよう計算された家具の配置や、店内に会話を阻害しない程度の音量で流れるブルースなど、諸々の雰囲気がいい。

 チェルノフが一口ビールをあおると、バーテンが尋ねる。

「人をお待ちですか?」

「ええ」

 短く答えると、バーテンは何も言わずにグラスを磨き始めた。

 しかし、これほど静かな飲酒は羅宮凪島では味わえなかった。

 羅宮凪島の飲み屋は良くない何かを引きつけるのか、店で飲んでいると、不思議と事件が起きてそれどころではなくなってしまう。

 これは特警隊員のみならず、警察官も例外ではない。一種のジンクスのようなものだ。

 静かな店内で一杯飲み終えたチェルノフは、続いてスコッチ・ウィスキーを頼んだ。彼のようなロシア人にとって、風味豊かなジュースのようなものだ。

 チェルノフはジョン・ユキムラに勧められて飲み始めたが、少々煙臭い事を除けば、まあ悪くない。アルコールエンジン・スターターとしては上々である。

 グラスの三分の一が消えた頃、バーに新たな客が訪れた。チェルノフの待ち人である。

「チェルノフ」

 名前を呼び掛けられて、背後を振り返る。

「サーシャ」チェルノフは席を立ち、軽いハグを交わした。「久しぶりだな」

 とりあえずサーシャに座るように促し、ビールを注文した。

 サーシャはチェルノフのパートナーである。連邦保安庁時代からの関係で、任務について詳しく話せない時、いつも支えてくれていた。

 今回も手を借りなければならない時だとチェルノフは判断したのだ。

「五年ぶりか」

「正確には、五年と三ヶ月。前はアメリカだった」

「そうだったな」口に笑みを浮かべ、一口。「元気だったか?」

「そればっかり。民間に行っても、口の重さは変わらないな」

「まあな」

 視線を伏せるチェルノフの状態を察したのか、サーシャは顔を寄せた。

「何かあったんだな」

「そうだ」

「聞くよ。話してくれ」

 やはり守秘義務の観点から、全てを話すわけにはいかない。それは軍であろうが保安庁であろうが、ましてや民間であろうが。

 だから、ところどころをぼかして話した。

「俺の見えるところで、仲間が決断を迫られていた。辛い決断だ。だが俺は安全圏で彼らの運命を見守るしかなかった」

 言うまでもなく、チェルノフが抱えている心労は一ヶ月前の爆弾事件である。彼は爆発地点から五百メートルほど離れた標識の足場でライフルを構えていた。

 もちろん、爆弾を括り付けられた少年たちを見ていた。爆弾が間もなく爆発するとの報告も、無線越しに聞いていた。

「チームを組まされて一年経たない奴らだったが、仲間であることに違いない。死ぬんじゃないかと思うと、困った。だが、俺にはどうする事も出来なかった。結果として……犠牲は最小限にとどまった」

 サーシャは何も言えなかった。これはチェルノフが多くを語れない事にも原因があったが、彼の仕事を知るサーシャからは、とても凄惨な事件を語っているのだと推測できたからだ。

 下手に何かを言っては、かえって傷つけてしまう。

 そう考えたサーシャは何も言わずに、チェルノフの肩を抱いた。

 実際のところ、チェルノフがサーシャに求めたのはこれだけだった。

 一緒にいて、つらい心を癒してくれる存在。彼はそれだけを求めたのだ。


◇ ◇ ◇


 他に誰も喫煙室からいなくなると、ジョンは独り自嘲した。

 素晴らしい。固執して、大切なものを見失うなよとは。

 大切なものをなくし、見つけることを止めた人間が言う言葉か。しかも、自分は復讐に固執しているというオチまでついている。

 よくもまあ、偉そうに言えたものだ。吐き気がする。

 ジョンは葉巻を揉み消すと、ジムに向かった。


 サンドバッグに向け、無心に拳を振るう。こうしていると、世界への苛立ちと無力感が消える気がしたからだ。

 香織が死んだ時と何も変わらない。がむしゃらに動いて、苛立ちを発散しようとしているのだ。今回の場合、子供二人を見殺しにしたことか。

 ポーターだってまったく気にしていないわけではない。彼の場合、あらゆる事象が大したことない些事だったと考えることで―――ジョンは理解に苦しんだが納得はした―――精神への負担を避けているのだ。

 もし少年たちが自らの意思でやっていたのなら、―――あの場で間違いなく爆破されていたことを除けば―――ジョンは後腐れなく投げ捨てることができただろう。中東で銃や爆弾を握っていた子供を撃った経験は少なくないし、当時思うことはなにもなかった。

 だが、今回は違う。あの二人は強制されて爆弾の起爆装置を握っていたのだ。

 これで思うところがなかったと言うのなら、そいつは戦士ではない。血も涙もない、単なる異常な殺し屋だ。

 ジョンは復讐を糧に生きている冷酷な殺人者だが、残酷ではない。


◇ ◇ ◇


 チームスリーには一ヶ月の休暇が許されていたが、ジョンは断った。またいつ殺すべき者たち日本革命連合が尻尾を見せるかわかったものではない。

 彼にとって、長い休息は隙でしかないのだ。

 しかし思うところがあって、一ヶ月の休暇を一週間に縮めてもらうと、本州の長野へと向かった。


二〇一八年一二月三日

長野県上田市 諏訪形


 上田市の郊外、市街地を一望できる丘の上に墓石が並んでいた。ジョンはここを訪れるためだけに、一週間の休みをとったのだ。

 ジョンは手慣れた様子で備品を借りると、香織の遺骨が眠る墓に臨んだ。

 宗教の違い? そんなもの、死者を悼む気持ちの前には何の意味も成さない。

 しばらくぶりの彼女の墓は遺族が手入れを行なっているらしく、供えられた花は枯れていたが、これといった汚れは目につかなかった。

 ジョンは積もった雪を除けると、墓石を磨いた。

 汚れを取り除くと、続いて花立の花と凍りかけの水を捨て、新しい花と水を足す。

 これでようやくサマになった。インターネットで聞きかじった程度のジョンにはこれ以上の墓参りの仕方がわからず、とりあえず手を合わせて瞑目した。

 なんちゃってキリシタン国家の、なんちゃって信者のジョンは墓に向けて両手を合わせた。

 本来なら神に向けて感謝を祈るのだが、香織は自覚がなかったが間違いなく仏教徒だった。そのため、仏教に従って香織の冥福を祈った。

 ジョンは教会では手を合わせるが、そもそも神の存在を信じていない程度には適当だ。

 いたとしても、こんな世界肥溜めなぞとっくに見捨てて、楽しく新たな世界を作っているだろう、と考えている。

 カトリックが聞いたら卒倒しそうな話だが、ジョンは確信していた。

「おいっ!」

 遠い昔に聞き覚えのある声で、ジョンは瞼を開いた。声の方を見ると……やはり。

 顔を真っ赤にした老人は大股でジョンに歩み寄ると、再び叫んだ。

「ここから離れろ! このっ、疫病神め!」

 香織の父親だ。彼は娘の死を、婚約者であったジョンに責任があると信じた。

「お前が香織を誑かさなければ」

 初めて顔を合わせた時、彼はジョンにそう言い放った。

 客観的に見れば、こんなものは見当違いも甚だしい。本当に悪いのはテロを起こした犯罪者たちであり、あの場で死んだクズどもなのだ。

 しかし、言い返さなかった。

 香織の母親はやはり何も言わず、ただジョンを生涯の怨敵を見るかのような目で睨んだ。

 あえて口にはしないが、意見は夫と変わらないということだろう。

 しかし、彼女を疎ましく思わなかった。

 彼らも、ジョンと同じなのだ。

 ジョンはあの事件に関わったクズどもに直接報復する機会があった。

 だがもし、あのテロ組織とは関わりがなく、戦う術もなく、構成員の名前を知る術もなかったら?

 彼らにとって連中は手が届かず、実在も確認出来ない、それこそ悪魔のような存在に違いない。

 そんな中で唯一、名前と顔を知り、あの現場へ赴く原因となったジョンがいた。

 もしジョンが香織と会っていなければ。あるいは、恋仲になっていなければ。

 歴史にイフなぞ存在しないが、事件に巻き込まれなかった可能性は高いと言えるだろう。

 つまり、彼らにとってわかりやすい娘の死の原因がジョンだったということ、それだけ。まさに見当違いの逆恨みだ。

 しかし、彼らは香織の両親だ。うるせえ黙れと殴るのは簡単だが、彼女を失って喪失感に苦しんでいるのは同様。言わば、同志と言っても過言ではない。

 香織を知る数少ない人々に、これ以上苦しみを味わって欲しくなかった。

 ジョンは一礼すると、踵を返して立ち去った。

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S.I.U.~傭兵特殊部隊~ シーズン1 穀潰之熊 @Neet_Bear

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