長谷川ライナルト

前編

 黒壁町くろかべまち。名気屋町の東、羅宮凪島南東部に位置するこの町には商店やマンションの類は少なく、真新しくもおしゃれな住宅が立ち並んでいる。

 ここは世間一般で言うところの『閑静な住宅街』または、『高級住宅街』というやつである。

 しかし、ここは犯罪者天国の羅宮凪島。被害妄想に狂った富豪たちは普通では考えられないほどの防犯意識を持っている。

 なんと自分たちの住む区画を巨大な塀で覆い、通行には警察もビックリな検問を通して行うように作り変えてしまった。宅配便すら、検問所で受け取ってから専任の業者が家庭に届けるという念の入りようだ。

 しかも塀の内側は常にカメラの監視網が張り巡らされており、何人たりとも侵入を許さない構えだ。

 だが、最も驚きなのは……ここまでやっても、時折犯罪者が侵入して強盗や窃盗が行われる事だろう。

 最初は巨大な壁と、電子キーで開閉する門だけだった。しかし外の人間が門を乗り越えて侵入した。塀に電流が流れた有刺鉄線と武装警備員付きの検問、そして巡回する武装警備員を追加。

 すると今度は宅配便業者に偽装した窃盗団の出現。宅配便すら内部に入れないように手配。

 しかし、それでも侵入は止まらなかった。

 だから区画中に監視カメラを設置して対処へ。ここまでしてようやく、犯罪率が減少を始めたのだった。

 黒壁町の平和は遠い。



二〇一八年三月二八日

愛知県羅宮凪市 黒壁町


 昼下がりの夕方。向かいの邸宅を見れば、黒塗りの高級車に乗り込む少女が目に入った。

 恐らく、羅宮凪女学園の寮に戻ろうとしているのだろう。普通、この町で暮らす女子高生ならそこに通う。

 今日は日曜日だから、ほぼ間違いない。

「どうぞ」

「お構いなく」

 僕は今、僕に似つかわしくない部屋にいた。

 柔らかくて白い、本革のソファー。

 床に敷かれた、幾何学的かつ鮮やかな模様のペルシャ絨毯。

 穢れを知らない純白な壁紙。

 僕に芸術に関する学はない。そんな僕に理解出来たのは、このリビングに置かれる豪華絢爛な品々は、僕の貯蓄全てを使ってようやく一つ買えるか。そんな異世界の創造物である。

 理解できるのはこれだけだ。

 僕の目前にメイドさんが置いてくれたカップの中の紅茶すら、目玉が飛び出るような値段のものなんだろう。

 しかし、流石は紅茶の本場イギリス人。隣に座る僕の相方はわざとらしい付け髭に気を使いつつ、眉一つ動かさずに紅茶を含んでいた。

「レモン……」

 カップから口を話すと、不意に呟いた。僕も一口啜ると、確かにレモンティーだった。

 やはり、イギリス人にとっては紅茶=ミルクティーなんだろう。彼は眉をひそめると、そっとカップを置いた。


 時計の秒針が一秒ごとにちくちくと声を鳴らす。僕としては心地よく感じるが、現場で走り回るのが生きがいである相方にとっては、そうでもないらしい。

 時刻は予定より二十分遅れている。彼の苛立ちは、どちらかと言うとここから来ているのかもしれない。

 イギリス人は日本人と同じく時間に几帳面だ。でも見方によっては、日本人より厳しいかもしれない。

 日本人は五分前行動、つまり早めの行動を心掛けるが、彼らイギリス人は時間通りの行動を好む。

 つまり早すぎることに困惑はすれど怒りはしないが、時間の遅れには厳しいのだ。

 ジョンから無言の苛立ちを受けていると、上の廊下できしむ気配を感じた。メイドさんではない、少々体重が重いように思える。

 やがて、階段を下りてきた彼女……河内かわち夫人が姿を現した。

「すみません、お待たせしちゃって」

「いえ、お気になさらず」

 相方がイギリス流の嫌味を口走る前に、僕は席を立った。

「お時間の方は大丈夫でしょうか?」

「大丈夫よ。偉い人は、多少遅く来た方が威厳が出るってものよ」

 上に立つ者として、その考え方はどうなんだろうか。

 とはいえ、今の僕が口を挟むべきではない。道徳の授業は業務内容に含まれていないのだから。

 ふかふかのファーのついたコートをメイドさんに羽織らせてもらうと、ようやく彼女は席を立った。ジョンが先導して玄関の扉を開けると、僕は夫人のすぐ後ろについて歩く。

 護衛の基本は『例外を作らない事』だ。護衛対象の知り合いや、自分たちの知り合い。店の従業員から、背骨の曲がったご老体まで。

 全てを護衛対象から遠ざけなければならない。

 襲撃は、いわば命を賭けたサプライズパーティーのようなものだ。いかに虚を突くか、いかに不意を突くか。そんな勝負となる。

 油断とはそんな襲撃者にとって、最高の隠れ蓑となる。後手後手に回らざるを得ない護衛にとって、警戒するべき相手は少ないに越した事はない。

 だから、夫人にはこのセキュリティの整った家に引きこもっていて欲しかった。

 せめて旦那さんが市長になるまでの間は。


 市長の訃報、死因は自殺。出張先のホテルにて、ドアノブで首を吊って死んでいたらしい。

 陰謀めいた言説も多く見られるが、ドアノブ首吊りは時々いき過ぎた失神オナニーの結果であることがあるから、真相はわからない。

 だが真実がどうであれ、市政に関わる人間は否応なしに後釜を決めるために右往左往したのは変わらない。この唐突な訃報の中、期間内に市長選挙の準備を整えた職員達の手際は流石と言えるだろう。

 それはともかくとして、また別な問題が発生した。ここからが本題。

 新たな市長には二人の人物が立候補した。

 一人は新野友也しんのともや。無所属だが、日本最大野党の推薦を受けている候補者だ。

 職業はNGO、労働に関わる人間を守る会代表。労働者の為に日々活動している団体だが、数年前の富山大震災では真っ先にボランティアとして駆け付けたことで有名だ。

 それは構わないが、この団体が被災地で行った数々の問題行動もあって、僕個人はあまりよく思っていない。

 もう一人の候補者、河内拓也かわちたくや。中部の製紙会社の社長で、以前から奇抜な行動で地方ニュースに取り上げられる事もあった。

 こちらも一応無所属で、どこの政党も推薦していないが、少し調べれば与党議員との繋がりをそこかしこに見る事が出来る。

 さて、この二人の候補者だが、表面上の関係は悪くない。悪いどころか、カメラの前では握手や肩組みをするほどだ。しかし、裏の顔は違う。

 新野には友達の組織がいた。公安警察にもマークされている団体、労働改善党LIP。党とは名ばかりの団体で、政治的な活動はしていない。

 やっているのは、テロ行為。『ブラック企業と、それを支援する人間の抹殺』を掲げる組織で、企業の横暴とは関係のない、彼らの言うところの罪のない人々を含め、多くの人々が連中に殺された。

 彼らのテロ行為の手段はいくつかある。その中で最も多いのは、過酷な労働で心身を病んだ人間を洗脳し、爆弾を括り付けたベストを売る。あとはなるようになるだけ。

 LIPが今まで興味を向けていなかったはずの河内の会社をブラック企業扱いし、『不幸が起きる』とネット上で声明文を出したのは、LIPが新野を勝たせる為だと考えられていた

 お友達である新野が市長になれば、LIPの力は増す。それを国が止めれば良いだけの話だが、表向きには彼らは無関係という事になっている。

 新野はLIPを「労働者を騙る集団」と、遠回しにかつやんわりと批判し、LIPは新野を「労働者の為に戦う、我々と同じ正義の味方」と語る。それだけの関係だ。裏の関係はどちらも認めていないし、物証もない。あるのは状況証拠と噂のみ。

 法治国家であれば、これだけの証拠では彼らをどうこうすることは出来ない。公安が二者を繋ぐキーを見つけるのを、こちらは待つことしか出来ないのだ。

 そう、僕たちSIUが駆り出されていたのは、市長候補者の妻である河内夫人の護衛の為。

 これは『脅迫を受けた人間をテロリストから守る』という、れっきとした特警隊員としての任務なのだ。


 玄関前に止めた車の助手席に座るポーターがこちらを覗いてきた。

「来たか?」

「ああ。待たせたな」

 ジョンがまず後部座席に入り、次に夫人、そして最後に僕が入る。

 これで車が撃たれて最初に弾をもらうのは、僕かジョンだ。少なくとも、護衛対象は守ることが出来る。

 車が発進すると、北西へ。

 今日、夫人は名気屋町の北区で行われる製紙技術に関する博覧会の式典に出席するそうだ。

 式典に参加する以上は壇上に立つなりして、人々の注目を集めるだろう。その瞬間は、襲撃者にとって最高のチャンスだ。

 目立つ事なく接近でき、なおかつ自分達の行動を多くの人間に見せつけることが出来る。

 もし僕が襲撃者なら、このタイミングを狙う。


「……河内拓也さんはご多忙と言うことで、夫人の河内茂登子さんにお越し頂きました」

 そして、その時は来た。

 名気屋郊外の会場に到着して五分ほど、名前を呼ばれた夫人は壇の階段をゆっくりと登った。

 夫人が来るまでに相当間をもたせたらしく、博覧会側の人間はやれやれと呆れ顔だ。

 僕とジョンも壇上に登り、夫人の両サイドに陣取る。

「こちらシエラ・ワンS-1。定時連絡、会場に異常なし」

 式典を向かいのアパート屋上から見守るチェルノブからの報告。彼はこの式典の観衆及び、近づいて来る人間の監視が任務だ。いざという時は、その腕を振るうことだろう。


三十分後……

「ゆえに拓也さん、私の旦那がこの博覧会に……」

 長い。

 この人、予定よりも遅く到着したくせに、予定よりも明らかに長くスピーチしている。それも同じような事をくどくどと、何回も。

 周囲に気を配っている間、普通はスピーチに耳を傾ける暇はない。それでも、断片的に聞こえる言葉はほとんど変わらない。

 冗談に聞こえない脅迫を受けていると言うのに、こんなに悠長に話せるとは。

 この人、ボケているんじゃなかろうか。

 博覧会側だけでなく、観衆の表情にも陰りが見えて来た。

「……と言うわけでありまして。この博覧会は日本の、ひいては日本の製紙業を……世界の製紙業を飛躍させるものになると信じております。以上です」

 最後で盛大に失敗したが、とにかくスピーチは終わった。

 一拍子ほど間をおいてから拍手が鳴り、夫人も一礼して壇を降りようとした。

 その時だ。

「エリア1-3に動きあり」

 チェルノブスナイパーからの報告。

 エリア1-3は式典を開いている広場の西側、僕から見て左側に位置する場所だ。

 見ればスーツ姿の男が一人、過ぎ去りもせずに呆然と立ち尽くしていた。視線は夫人に向けたままで。

「退避を急がせるぞ」

 ジョンの指示と共に僕は夫人の後ろにつき、階段を下る。すると、

不審者バンディット移動開始」

 男が夫人に向けて歩き出した。

「ブルーチームに通達、エリア1-3から接近するバンディットに対処」

 今回のブルーチームは武装していない民間の警備員だ。彼らが食い止めればそれで良いが、相手が本物だったらそうはいかない。

 ちらりと視線をやると、紺色の制服を着た安寧警備の警備員二名が不審者の後方についた。

 十年前ならこれで安心出来たんだろう。でも今は、嫌な予感がする。

 そう思ったのもつかの間、不審者が背後を振り向くと、ポケットの拳銃を抜いて警備員に向けて発砲した。

「頭を低く、止まらないで!」

 警備員の安否を確認する暇はない。僕は反射的に夫人の頭を抑えつけながら、舞台の裏側に回った。

 今回の襲撃者がLIPの刺客だろうが、影響を受けた単独犯であろうが、現状には関係ない。

 とにかく、夫人をこの場から逃さなくては。

レッド・ツー長谷川パッケージ夫人は無事か?」

「問題ない、進路の確保を頼む」

 ジョンからの確認に応えつつP7を懐から出すと、安全装置を解除。もうこの場では味方と護衛対象、そしてそれ以外しか存在しない。襲撃者は誰で、どこに潜んでいるかわからないのだ。

 目的地は仮設会場の舞台裏を抜け、広場の階段を下った先の駐車場で待つ送迎車。各種防御装備の整ったあの車なら、どこに当たっても小銃弾ぐらいなら防ぐ。

 そこに滑り込めば、ひとまずは安心だ。

「こちらブルーチーム、容疑者一名拘束」

 安寧警備は元自衛官や警察官の集まりだ。両組織で行われた人員整理の時、海外企業に拾われなかった、いわば残り物の集まりではあるけど、そこらの民間警備会社とは練度が違う。

 だがもしこの襲撃が計画的なものだった場合、こちら側の行動は読まれている可能性がある。襲撃犯を捕らえたからといって、油断は出来ない。

 すれ違うスタッフや死角に注意しつつ、ジョンが待つ裏口の扉にたどり着いた。

「もう、大丈夫なの?」

「わかりません。まだ頭は下げたままでお願いします」

 夫人に呼び掛けつつ、ジョンに視線を向けると、彼はわずかに頷いた。『問題なし、移動再開』の合図だ。

「こちらレッド・シックスジョンワンポータースリーアルトゥール、状況を」

「レッド・ワン、現在こっちに異常は……*銃声*くそっ、背後から撃ってきた!」

 無線から漏れる着弾音、こちらの足を潰しに来たか。

 しかし妙だ、何故向こうにこちらの移動手段がピンポイントで気付かれているんだろう。

 車で到着する瞬間を監視されていたのだろうか。嫌な予感がする。

「ワン、無事か?」

「弾は貫通してない。そっちへ向かう、待ってろ」

「了解。今からプランBを開始する。アウト」

 簡単に言えば、普通に送り迎えすることがプランA。それに対するプランBは極めてシンプル。

 互いに広場へ向かい、夫人を強引に回収することだ。

 ジョンが裏口の扉を蹴破ると、一気に階段に向けて駆け出す。

 地下駐車場に続くトンネルからタイヤの鳴き声が反響し、続いてヘッドライトの灯りが見えた。

 来る。オブジェクトに身を隠しながら黒塗りの高級車がトンネルから飛び出し、車止めのポールを弾き飛ばしつつ、僕らの目前で派手に急停車させた。

「今だ、乗せろ!」

 ポーターが助手席から飛び出し、MP5を構えた。アルトゥールも運転席から後部座席の扉を開くと、僕は夫人を半ば押し込むように座席につかせた。

「位置についた! 行けるぞ!」

「よし、出せ出せっ!」

 高級車のエンジンがらしくない唸りを上げ、急加速を始める。

 すると、僕のすぐ目前の窓に着弾し、丸い弾痕が浮かんだ。

「ひいいっ」

 夫人が呻くが、貫通しないだけまだましだ。


 博物館は見る間に遠のき、車は県道五百三十号羅宮凪環状線に入った。

 LIP構成員の多くは哀れな労働者の末路だ。富裕層ではない一般人を傷つけすぎる事は彼らの大義を損ない、潜在的な支持者からの失望を買う。結果としてマンパワー戦力の減少につながる。

 つまり、人通りの多い道なら安全度はぐっと高まる。もっとも、これはかなりの楽観論だし、絶対に安全と思ってはいけない。それこそ現場の暴走という不確定要素や、相手が思ったほど賢くないというパターンがあり得るからだ。

 幸い、パトランプをつけているため止まる必要はない。時間が経つごとに応援の警察や特警のパトカーが集まり、防御が整えられていく。


 約三十分後、送迎車は名気屋南警察署に到着。夫人は警察署にてしばらく保護という形に落ち着いた。

 しかし今回はよほど無駄な犠牲を避けたかったらしく、五人の襲撃者にお得意の爆弾ベストではなく拳銃を使わせた。おかげで、全員を逮捕することが出来た。

 今回逮捕された容疑者は二種類。LIPの狂信的信奉者と、河内拓也の所有する製紙会社の元社員(彼は壇上の夫人を狙った)だった。

 前者はともかくとして、後者は元々会社の経理部で働いていたが、上司の横領を告発しようとしたところ失敗。その後、彼は転属となり『業務改善部』と言う名の部署に送られた。

 そこは、いわゆる追い出し部屋。企業が体よく社員を追放するための部署だ。職務内容は備品と資料の仕分けばかり。給料も経理部の二分の一だったという。

 しかし彼は諦めずに十年間そこで働いていたが、五年前の法整備によって企業は容易く従業員を解雇できるようになり、施行された当日に彼は免職になった。

 動機はまさにそれ。自身を苦しめ抜いた上司と会社への報復心。そこをLIPに付け込まれたのだ。

 彼らからすれば、自分達の活動には正義があると考えているのかもしれない。本当の悪役は河内拓也の方で、僕たちは悪の手先なのかも知れない。

 でも暴力に訴えた。ましてや、直接関係のない配偶者を狙った。その時点で、僕は彼らの正義を受け入れる気にはなれなかった。

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