第8話 卒業まで
中学生の私は、卒業まで別室に通い続けました。次第に自分はこのままでもいいやと思えるようになってきたのです。無理して通わなくていい。それは周りが変わったからなんです。そして、終わりが見えたからです。
最後の三者面談。ここで志望校を確定させなければいけなかったんですが、私はまだ決め兼ねていました。私立校を単願にするか、併願にするか考えていました。面談30分。親は私立校を勧めました。そこは付属校で将来が保証されています。私が学業で多少コケてもやり直せるという点が長所でした。欠点としては私立校からの私大なので学費が高いです。加えて、やりたいことが定まっている私にはもっと専門性の高い道を選びたかったのです。そこで私は県立の工業高校に行きたいと言いました。マイペースで学習を進められ、入試の敷居が低いので私にも行けると思ったのです。私の興味のある情報科学の分野の専門技術を学べる環境があると考えました。欠点としては、入学の敷居が低く同じ中学の不良がたくさん入ってきそうなことです。母と私がごちゃごちゃ言い合っていて先生が入れない状態。私大で安定するか工業高校で冒険するかで迷っていました。確かに無茶言っていたのかもしれません。2年も不登校だったやつがいきなり工業高校で頑張れるとは考えられません。親の言うことを聴いて、私大の付属校を単願受験することにしました。先生曰く、この休みでは底辺でさえも県立高校は厳しいとのことでした。その一言で余計に納得しました。
その学校なら単願推薦で入るのが確実でした。単願推薦なら校長のお墨付きということで簡単な試験、面接で進めます。ところが、それを使えないということに気づいたのです。別室で推薦の志望理由書を書こうとしたとき、休みが多いのでやっぱりだめだと知らされたのです。私は一般単願で試験勉強することになりました。
過去問を買ってみるとその難しさに圧倒されました。4ページに及ぶ英語の長文読解にスッキリ解けない数学の問題。学校の授業に出ていないやつがこんなので受かるわけないと思いました。初回各教科30点がいいとこです。受験の厳しさを思い知ったのです。それでももうそこに入るしかなくて、塾、家、学校で必死に勉強しました。大学受験の勉強量には及びませんが、その時の自分なりにベストを尽くしたと思います。
9時頃家を出て別室登校、16時頃帰ってくると塾に行くっていう生活をしていました。この頃、別室の友達ができました。アイドル好きの女の子2人と仲良くなりました。今まで全然喋らなかったのですが、ある日突然話すようになったんです。かなえとマリリンの二人は仲良しで授業時間や昼休み関係なくよく喋っていました。私はそんな二人の邪魔をしないように一番遠い席にいました。ある日の昼休み、突然別室備え付けの電話がなりました。私が出ました。大した用事じゃありませんでした。するとかなえがクスクス笑いながら、「ええーすごい……普通出ないよねー」と。どうやら認められたようでした。それから親しくなって話に混ざるようになりました。正直男のアイドルなんか全然知りませんでしたが、色々教えてくれました。話せば話すほど普通の明るい女の子なんですよね。だから余計に謎が深まって行きました。私のようにひねくれていたり、前に出てきた鈴木君みたいな頭のキレる男なら悩ましくて教室に行けないのは判るんですが。受験のときも、ガンバレって応援してくれました。体育祭のあとからほとんど教室行っていないんですよ。それでも会いに来てくれる人はいたし、それで自分も許せたので、良かったんです。
冬休みは家での過去問演習と足りない分を塾の演習で補っていました。珍しく一般の単願受験でも面接試験があったんです。学校の放課後の面接練習には参加していました。最後は校長と教頭と面接練習しました。その時の緊張感ってのはまた本番とは違ったかな。
いざ当日となると緊張でガタガタでした。安心させてくれるものは、面接の先生のほほ笑みくらいでしたね。洋風な彫刻デザインの門をくぐり、金魚のいる銅像の乗った円形噴水を抜け、だだっ広い玄関に入るわけです。こんなところに入れるのかって感じでした。見るからにお金持ちがいそうな学校だったので。私がここに通う姿を全く想像できませんでした。教室に入ると全然普通のボロい教室でした。田舎者の私は少し安心できました。どうなんでしょうね。私が何点取れたかなんてさっぱり分かりませんでした。この問題は確実に合っているっていうのがほんの一握りしかなくて(それこそ数学の大問1の(1)みたいな)、それだけではとても合格とは言えませんでした。面接会場の扉を開けるときが一番緊張しました。いつ開けてもいいと言われると、性格出ますねこれ。せっかちで半分衝動で生きている私は即ドアをノックして開けました。むっつり顔のおじさんと笑顔のおばさんが座っていました。大体作法通りにやってありきたりな質問をされて終わりました。
帰りは迎えに来た母の車でハンバーガーを食べました。緊張してると飯が食えないんですよね。
合格発表の日、いつものように別室登校していた私は保健室の横の面談室で封筒を渡されました。合格通知を見て発狂しました。窓の方に立ち上がって「よっしゃあ」って叫びましたね。こんなに努力が結果になって帰って来たのははじめてのことでした。この時は確か県立の受験を控えている人が多く、2月くらいの事だったので皆には黙っていました。塾の先生に電話をかけると、まるで自分のことのように喜んでくれました。そのとき、この塾にいてよかったなって思えたんです。そして先生に大きな恩ができました。
それからの生活はあっという間でした。思えば、かなえやマリリン、そして塾の仲間たちのおかげで最後くらいは普通の中学生でいられました。結局私は卒業式の日まで教室に入りませんでした。それで後悔したこともありません。私の居場所は教室になかった。ただそれだけのことです。
卒業式、数少ない友達と何処に行くのかなどと言葉を交わしました。そして、お世話になった先生とかなえと写真を撮って(マリリンは欠席だった)私の中学校生活は終わりました。この学校に何もやり残したことはありませんでした。
私は塾も卒業することにしました。これからは自分でどうにかしなきゃならないと考えていました。最後の日、男友達に泣かれたんです。別れ際にこんなにきつく抱きしめて泣いてくれる人、未だ他に会ったことありません。やっぱり塾は最高の逃げ場で、最高の友達がいました。私も帰り道で泣いちゃいました。いいやつだったな。そいつ、いつか一緒に飲みに行こうぜって言っていました。私は待っています。10年先でも、20年先でも忘れられないだろうな。
こうして私は中学を卒業したのです。不登校の過去を洗い流すつもりでした。都合の良いことに、同じ中学から私の通うことになる高校に行くのは他に1人だけでした。私はまたやり直せると信じていたのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます