第7話 中学3年 ひねくれ者

私は中3の初め頃にどういうわけか有名でした。多分レアキャラみたいな扱いだったのかな。「3年デビュー」そう冷やかされたかもしれません。不登校で都合のいい時間にだけ学校に来るので、色々嫌われたり陰口叩かれたりしていたとしてもしかたがありません。一度も話したことのない人が声をかけてくることも多かったのです。私はこういうことには結構ポジティブに受け止めていました。私は話しかけられるだけで満足でした。


私は寂しがりやなんです。いつも誰かが隣にいないと、生きている心地がしないんです。わがままですよね。人が多いと疲れるとか言っておいて。後で仲良くなった友達には、私がひとりで何でもできるように見えたと言っていました。本当は見栄を張ってるだけなんです。


私は教室にも通えるようになりました。1日授業時間分はフル稼働できるようにもなりました。5月にはマラソンで自己ベストを更新するなど絶好調でした。陸上競技の練習にも毎回参加して充実していました。


それでも 、学校の方はあんまりいい思い出じゃないかな。


私のことを悪く言う人がいました。修学旅行でもはめようとしたり、一緒に写真に写りたがらなかったり。情緒不安定な奴でした。口が上手くて計算高く、体育祭でも執拗に私が不登校であることをイジるので嫌いでした。でも、彼は寂しかったのかなって思います。後で聞いた話立ったんですが、彼は周りの人にもかなり嫌われていたそうです。他人より優位に立とうと必死だったのかもしれません。そういう思いは私も同じなので否定できないんですよ。今だったらまともに面と向かって話せるかな。いや、無理か。


夏休み。例の仲間たちと塾で勉強。5教科固めていました。私の目標はこの段階で定まっていませんでした。公立の高校に入れればいいかなとぼやっとした目標がありました。とにかく授業時間が長かったので、目標なんていうのを考える暇もなかったんです。


その間私が誰にも邪魔されない秘密の場所がありました。ムカつくとき、疲れたとき、そこに行けばどうでも良くなりました。幼稚園の頃から知っていて、今でも時々行きます。川の近くの生い茂る森。吹き抜ける爽やかな風。少し落ち着ける場所なんです。私の学区を川の対岸から眺めます。そうするとあの中にいることがちっぽけに見えてきて、どうでも良くなるんですよ。また、そこには関係の薄れた父との思い出が眠っていました。私がはじめて釣りをしたとき、ここで巨大ナマズを釣り上げたんです。私はその頃の関係を戻したいと考えていました。中3の春、学校に通いはじめてからも父との間には大きな谷がありました。父は不登校である私は認めてくれません。私はそんな父が嫌でまだ逃げています。どうすればいいのか正直悩んでいました。父との関係が戻ったのは高校生になってからです。それまでずっとポッカリと穴が空いた状態でした。


塾ではがむしゃらにただ与えられた問題を解いていました。夏休みの内150時間を塾での勉強に費やしました。今は少しずつ変わりつつありますが、考えることよりも覚えることと納得することが優先されました。たった一つの作業をこなすのは難しいことではありません。


当然オフの日もあって、特に記憶に残っているのは他の家族が母の実家に行った日でしたね。これはチャンスだと思って2日間遊んでいました。ゲーセン行って、映画見て、夜に期限間近の安くなった弁当を食う。これがささやかな幸せでした。なんて親不孝なんでしょうね。


どうこうする間に二学期が始まってしまいました。体育祭の練習が始まり、それがかなり応えました。一日の殆どを体育祭の練習に費やしました。組体操の5段ピラミッドで私は決まって一番下。173cmとそこそこの身長があったからなんです。その割に、体重55kgに満たないガリ男。学校でこんなに自分の限界を突き詰められたことはありませんでした。上に乗る人には、背中細すぎて乗りづらいなどと文句を言われ、体育の先生には言うこと聞かないと引っ叩かれました。私の田舎ではそれを虐待ではなく精神鍛錬と呼びます。だから指導してくれたお礼に個別に「ありがとうございました」って頭下げに行くんです。威圧感がありましたが、それが普通でした。ここ2、3年教育委員会からの御達示でもう近代化されてしまっています。なくなると寂しいものです。学校の先生が近頃の若者が礼儀を疎かにしている、お前たちがこうなるのを見たくない。そう言って喝を入れてくれました。真冬の武道場での説教が一番の思い出です。これが一番効きました。授業中は軍隊の上官みたいな感じだったんですが、体育以外では優しい一面もありました。だから、耐えようと必死だったんです。ところが、……組体操は体育祭3日前に中止。大人の事情とのことで仕方がないんですけど、そう話す大人でさえも受け止められていないのは隠し切れていませんでした。当然私もショックでした。こんなにがっかりしたのは多分これが最初で最後だろうな。


これがキッカケでまた崩れます。体育祭当日も疲れすぎてぶっ倒れそうでした。友達に助けられてばっかりでした。体育祭の中盤、気づいたら私をよく思わない人と二人きりになってしまいました。

至って真面目と言うような表情で突然こう言いました。

「なんでお前ここにいるの?」

補足すると、係の仕事を何故サボっているんだと聴いているんです。係決めの時、私はいなかったんです。誰も教えてくれていなかったんです。多分係は私の負担になるからと先生が外してくれたんだと思います。先生は正しいことをしていてそれを確認するのでさえ、私には困難でした。本当は、そう言えれば良かったんです。それがカンペキな答えでした。それが言えれば、向こうも

「あ、そう。ちゃんと先生に確認しとけよ。」で終わったのかもしれません。


修学旅行での件を引きずっていた私は、こうも苦手な人から先制口撃されるとテンパってしまいました。向こうもそれを意図していたんだと思います。黙っていると威圧的になってきます。「なんでだよ、オイッ!」「この不登校児死ねや」

負けず嫌いの私は悔しかったです。その後、しばらく揉めたんですね。私もそんな状況で平静を保てるほど人間できていません。泣きはしませんでしたけど。彼は普段はおしゃべり好きで気さくでゲームの趣味の合う幼馴染でした。だからこそ裏切られたようで胸糞悪かったんです。気のいいときは全く差別的な発言や行動もありません。彼には人格が複数あったのかもしれません。そういう私も彼には相当キレていますが。


そんなこんなで色々なヘビーな状況が重なってしまいました。そんなに気合い入れなきゃ良かった。真面目にやらなきゃ良かった。そう思いました。そうやって教室に行けなくなりました。

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