第5話 大切なもの
書こうか迷いました。不登校の話題とはちょっと離れます。ただ、私にとって大きなことだったので残します。
私が塾に通う間、私の妹は喘息のように発作的な咳を何度も繰り返していました。9月に入ると、妹の咳で夜も眠れなくなった母親はついに弟を連れて里帰りしました。楽しい時間はどうやら去ってしまったのです。
悪いことは重なります。私の住む地域に台風が上陸。堤防の水は既に氾濫危険水位を超え、直ぐに家諸共流されてもおかしくない状況でした。連日道が浸水するほどの大雨が降っていたので学校は休校でした。父はあいにく仕事中。母は弟を連れて里帰り。家の1階には祖父母が、2階には私と小学生の妹がいました。祖父は頑固なので避難しようと言っても無理そうです。祖母は病気ですぐには動けません。
防災無線からサイレンが鳴り、近所には車一台ありません。私の知る平日なんかよりずっと閑散としていました。雨の音もする、サイレンも鳴っている、しかし人気が感じられない。不安を掻き立てます。私は母に電話しました。こういうときは、現場の焦りを知らない人に助けを求めたほうが吉だと考えたのです。今は多分昼休みだから直ぐに父に電話しなさい、とのことでした。
言われたとおり、電話をかけました。会話はこんな感じ。
父「おう、ゆうか。今飯食ってるんだけど、雨の様子はどうだ。」
ゆう「土手のところは結構ギリギリまできてるらしいな。皆逃げちゃったみたいで、車が見当たらない。それに、妙に静かなんだ。」
父「あず(妹)はどうなんだ。一緒にいるのか。」
ゆう「ああ、俺と一緒にいる。咳は大丈夫そうかな。そろそろ避難したほうが良さそうだサイレンがずっと鳴ってる。取り敢えず非常用の缶を準備したから……」
父「よし、俺も帰りたきゃ帰れって言われてるから、すぐ戻る。爺さんを説得してくれ。」
ゆう「ああ、わかった。気をつけて。」
早速私は一階に行きました。妹が怯えているのが分かりました。俺だって怖い。祖父は避難しないの一点張りでした。
「ゆう、避難先やその途中で水没したら元も子もないだろう。それに、今までもこうして生きてきたんだ。それで死ぬなら運命ってもんだろう。」
祖父は元救急救命士。数々の修羅場をくぐり抜けてきた。中学生の私にはこの言葉は重い。
しばらくして父が家に着きました。
結局父が説得しようとしても折れず。結局祖父母は置いていくことになりました。私と妹は父の運転で市内の避難所に行きました。
すでに続々と人が集まっています。市民体育館の壁に沿って座っていました。ショックで顔面蒼白になった人、安心してくれと電話をかける人、家族で寄り添って非常食を食べる人。自衛隊のヘリの音が度々聞こえます。私の知る日常とは違っていました。避難して間もなく堤防は決壊しました。私達は、溢れる川のライブ映像を携帯でみたり、ラジオを聴いたりして過ごしました。私の家は無事でした。水没することもありませんでした。時折妹が咳き込んで、父が心配そうに見ていました。
日が暮れると体育館は自衛隊の方々が使いたいと言うことなんで、避難者は柔道場で寝ることになりました。柔道用の畳でクッション性はあったものの、流石に背中が痛くなりました。妹が深夜に咳込み、私は起きてしまいました。それ以外にも一度目が冷めたのは覚えているのですが、かすかな記憶では、誰かが救急車で運ばれて行った。
次の日の早朝、私達は戻ってきました。空には晴れ間が広がります。まるで今までの大雨がうそみたいに。しかし乾いた泥に塗れたアスファルトが白味を帯びていてしっかりと爪痕がのこっていました。
避難所での一泊といいその後の災害派遣の活動といい、私は貴重な体験をしました。学校での派遣は2,3回くらいしか参加しませんでした。それでも自分の中学時代の記憶の一番でかいパーツです。家族や友達の無事。それだけが全てになるという瞬間は、失いかけた絆を取り戻すきっかけになりました。
それから数年。あの日のことはいつまでも私の脳裏にきつく焼き付けられています。
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