第2話 脱走からの復帰

私が学校に行かないせいで、日に日に家庭の雰囲気が悪くなっていったのです。私は筋金入りの怠け者です。「病名」の切り札を得たのをいい事に堂々と休むようになりました。ある日の夕方、家族全員が食事の席に着いていました。もちろん、弟妹も一緒です。なんとも言い難い沈黙の中でのことです。真正面に座る父が、穏やかな口調で話し始めました。

「ゆう、お前、学校行かなかったのか。」

私は「うん」、と言って頷きました。

「また体調が悪いのか」

また「うん」と頷きました。 すると突然父はテーブルをバンッと叩きました。テーブルの上にあった食器が跳ねあがります。

「ふざけんじゃねえ、いったいいつになったら学校に行くんだ。明日は明日はって言って行った試しねえじゃねえかよ。」

まだ中学1年生の私は父の豹変ぶりに恐怖しました。母は哀しそうな顔をして

「ちょっと、いいじゃないの。そんなに言わなくても」

私は涙をこらえながら

「分からねえ、分からねえんだよ。体が動かねえんだ。」

父は少し落ち着きを取り戻して

「なぁ、嘘なんだろ。腹がいてえってのも気持ちが悪いってのも。」


私は黙ってしまいました。ショックでした。そこまで信用がないのかと。

父は再び激怒しました。

「おい、なんとか言え。」

私は涙をこらえきれなくなりました。

「本当だ。」

母が再び

「もうやめて」と言うと静かになりました。なんとか飯を食い終わると、父は最後にこう言いました。

「せめて、明日の準備くらいしろ。行かないなら行かないで家で勉強せい。」

私はまた「うん」と言いました。


その日から私が父の帰る夕方は寝ているか、外出しているかのどちらかになりました。夕方に散歩にでて公園で楽しそうにする小学生の姿を見てそんな頃に戻りたいと考えるようになったのです。あの美しい心のままでいられたらどれだけ幸せだったろう。同級生たちの目も避けたかったので、中学生が下校する時間帯は学区外に遠出するようになりました。先生が掛けてくる電話にも出なくなりました。私は全てから逃げたのです。


私には中学3年間、最高の逃げ場がありました。塾は丁度良く学区から離れていて、幸い同じ中学の者はいません。受講したのは英語と数学。塾でだけ人間らしさを取り戻せたのです。塾の先生は私を積極的に受け入れてくださいました。授業前の早い時間に入室を許され、私は16:00頃に通うようになりました。私の現状にも気を遣ってくれました。


それでも、あんまり長く逃げられるものじゃありません。ある日、学年主任と担任のと二人の先生が家に着ました。私は覚悟して家を出ました。

「ゆうくん、久しぶり。」とその時は他愛のない会話で終わりました。学校まで連行されると覚悟を決めていましたがその日はお開きになりました。

2回目に訪ねて着たときには覚悟を決めていました。私は呼び鈴がなるなり外へ出ました。そこには学年主任の先生が立っていました。遂にこの日が来たのです。

「ゆうくん、学校、行こうか。」学年主任は母の承諾をとって私を軽自動車で学校に連れていきました。私が1ヶ月入らなかった教室は相変わらず。机の中には大量の配布物が。担任がやってきました。体育会系の先生で厳しい人でしたが、私には優しかったです。「久しぶりに会えて嬉しいよ。」

「そうですか……」

「なんだよ、そうですかって……」

「すみません」

なんて言えばいいのかわからなくてこんな答えしかできませんでした。その日から放課後に通えるようになりました。ときに掃除を手伝ったり、教科担当の先生と話したりしていきました。下校中の友達に遭遇することもしばしばありましたが、それほど気にしていませんでした。クラスでは私のことが話題になっているようで、放課後部活動中わざわざ見に来て声をかけてくれるのは素直に嬉しかったです。そうやって失われた人間的な感覚を取り戻していきました。


母はこんな形でもゆうが学校に行けるならと毎日無理をして送迎していました。しかし母は私が心配かけすぎてパニック障害になってしまったのです。日に日に痩せてやつれていく母の顔を見ると罪悪感がありました。父は私に散歩に出ようと持ちかけました。私は父に連れていかれるまま、土手沿いを沈黙を保ったまま行きました。父は突然話し始めました。


父「俺も母ちゃんも心配している。お前が学校に行かないっていうのを何人かに相談したんだ。」

ゆう「……」

父「ある人はゆうは自閉症なんじゃないかと言っていた。俺はゆうが何を考えているのか判らない。」

ゆう「俺も判らない」

父「お前は自分から何も意見をいわない。ただハイかイイエしか言わない。俺も母ちゃんも困ってる。お前は医者に洗脳されているのか。先生に適当な病名付けられて。」

ゆう「いや、そんなことはねえよ。」

父「結局医者を肥やしてるんだろ。いつまで送ってやればいいんだ。母ちゃんも疲れてる。そろそろチャリで行ってくれ。」

父の嫌味な言い方に、私は悔しくて顔をしかめましたが、両親に心配をかけているのは事実でした。授業くらい出ようと思いきってまた自転車で通学してみました。3学期にはまた皆と授業を受けるようになっていました。

めでたしめでたし





























で終わらなかったんですよ。まだまだ続きます。

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