第2話 真相と嫉妬

「遅いよ、海辺アマベくん!!」

 腕組みをして立つ彼女にユキヒトは申し訳なさそうに頭を下げる。人の少ないプレハブ校舎の廊下に、大きな声はよく響いた。

「すみません御園ミソノさん……部活の片付けが長引きまして……」

 しれっと嘘を吐き、人好きのする笑みを浮かべる。すると女子生徒はほんのり頬を赤くし、怒りを収めた。

「部活ならしょうがないよね、大丈夫だよ!」

 一時間ほどの遅刻すらも整った顔を笑みにかたちづくるだけで許してもらえる。こういうところが楽でいいとユキヒトはいつも思う。黒い内心は隠して、小首をかしげてみせた。

「じゃあ、教えてくれますか? 群青先輩のこと」

「うんいいよ……でも、ヘンなこと聞きたがるよね? うちの学年、どころか全生徒中でタブー扱いになってるのに……しかも、別に恋愛感情がある訳でもないんでしょ?」

「はい、ちょっと気になっただけなんです。もしかして、話しちゃいけないとかですか?」

 しおらしさを装うユキヒトに彼女は慌てて

「そういうわけじゃないよ、大丈夫! わたしも話したかった内容だし!」

 と親指を立てる。

「本当ですか! ……じゃあ、早速なんですけど、御園さんが群青先輩と知り合いって聞いたんですが……?」

「ああ、まあ。うん、彼女が一年生の時に入部してから三ヶ月くらい、同じ部活だったってだけだけど。知り合いって言えばそうかも」

 ユキヒトはにっこりと笑う。


 ――やっと先輩の過去を知る人間を見つけた。


 憧れの先輩を追って入学したユキヒトは彼女の変わりように驚き、今までもいろいろな人にアオイの変化につながる情報を探ってきた。

 ――半年で見つかるなんて、ラッキーだ。

「よかったです、なら質問できます! えっと、ただの興味本位なんですが。僕、同じ中学だったんですけど、あんなに暗い人じゃなかったよな、って思って」

 首を傾けつつ言葉を続ける。

「明るかった先輩が、なんでだろ、と気になって……良ければ教えてくれませんか?」

 上目遣いで見られた女子生徒は目をそらして口を開いた。

「えっと……長い話になっちゃうかもだけど……ほら、うちの水泳部ってほぼ潰れかけじゃん?」

「ああー、確かに。部活やってるの、群青先輩しか見たことないです」

「でしょ? わたしが入ってた頃もわたし含めて三人しかいなくてね、新入部員の彼女にずいぶん期待したの。クラスの子たち皆に自慢して回ったなー……懐かしい」

 まあ、あんな美しい人魚が来たら誰でもそわそわするだろう。

「でさー、最初は一人で好きなように泳いでた群青さんが、だんだんわたしたちの泳ぎ方とか記録に口出すようになったんだよね。多分善意だったんだろうし、中川にいいとこ見せるためだったんだろうけど」

「『中川』?」

「ああ、わたしの元同級生。彼女が空回りしてたのは、彼が好きだったからよ、きっと。群青さんは中川が好きだった。今は知らないけどね――で、話に戻るけど」

 うっかり肩を揺らしたユキヒトには気づかず彼女は眉をしかめて話す。

「わたしたちとしてはさ、そんなにマジメにする気なかったのよねー。夏の間だけプールに入っていればいいって、なんてラクなのって思ってるやつらだったから、群青さんがうざったくなっちゃって」

「……そうなんですか。確かに群青先輩って空気読めなさそうですよね」

「そーなのよ! 記録なんてどうでもいいってわたしたちは言ってるのに『でも、頑張ってみましょうよ!』とか言っちゃってさー。天才のあんたと比べんなっての!」

 べらべらとアオイの悪口を言い出す御園に、思わず嘲笑した。

 ――ただの嫉妬だ。

 そんなもので、先輩を汚さないで欲しい。


「それで、ある日限界が来たわたしたちは彼女に『口を出すのは止めてくれ』って言ったの。『わたしたちとあなたは違うんだ』って。そうしたら、群青さんはちょっと黙ってこう言ったんだ。『海で泳いだらいいですよ』って。わたしたちは喜んではしゃいで、一番泳ぎの上手な中川に頼んだ。中川も乗り気だったし、解放されるっ! って頭回ってなかったの」

 ユキヒトは彼女の話すまま黙って耳を傾ける。

「まあ、それに、中川もなんだかんだ群青さんのこと好きだったんだろうね。条件こなして海で泳げたら群青さんへの自慢になる、誉められるかもって言ってたし……ああ、話が逸れたね。えっと、だからこの誘いに乗って指導を緩めてもらおうって」

 なんとなく展開が読める。さっきの御園の『元同級生』という言葉。想像がつきつつも

「中川さんは、今、どうなって――」

 と言わずにはいられなかった。


 口を挟んだユキヒトにちらと視線を向けて、御園は目を伏せる。

「死んだよ。海で、溺れて……そうだよね、新入生は知らないよね」

 彼女は自分を落ち着けるように深呼吸して、顔を上げた。さっきまでの苦笑はなく、泣く寸前のような無表情。

「つまり、わたしたちの考えは甘かったってわけ。プールで泳ぐのと海で泳ぐのは全然違う。群青さんはそれくらい知ってるから、海で泳げたらっていうのを断り文句にしたつもりだったんだろうけど、中川は、わたしたちは、バカだった。さっき言った通り――溺れて死んだ」

「……」

「群青さんはそれ以降あんな感じ。無口になって笑わなくなった。前みたいに記録や泳ぎ方を気にしなくなった。ひたすらに水中にいる彼女が『人魚』って呼ばれるようになったのはそれからの話。プールに棲む、口をきかない人魚。それがみんなが思う群青さん」

 そこで言葉を切って、切り替えるように笑った。

「これでおしまいだよ」


 ユキヒトは彼女の顔が見れず、目を盛大に泳がした。こんな、重たい話だなんて。死んだのだろうと思っていたけれど、それ以降の話が想像以上だった。

「……すみません」

「いいよ、気にしないで! ……わたしもみんなも、基本的にアオイちゃん……群青さんのことニガテなんだけどね、都合が悪くなったら頼っちゃうの」

 そこで彼女は言葉に詰まって、しかし絞り出すようにして笑顔を見せた。

「『もし、あの時に否定しなければ』ってね」


 立ったまましゃべり続けていた彼女は

「ああ、話せてすっきりした! 一年以上たっちゃったから嘘に近い噂ばっかりが広がっててね。そろそろ誰かにホントのこと言っておきたかったのよねー」

 と肩を回す。そしてぽつりとこう言った。

「だから、広めてくれる? わたしたちのせいで群青さんが悪者になってるのはさすがに寝覚めが悪いから……『人魚は王子を沈めてなんかない』ってさ」

 ユキヒトは真っ直ぐ彼女の目を見て唇の端を上げた。

「もちろんです」

 その返しに、元水泳部員は笑みをこぼした。

「そ、よかった!」


「……じゃあ、僕、失礼しますね。教えてくれてありがとうございました」

「どーいたしまして」

 最後に一礼して、ユキヒトは足を進める。そして誰の気配もなくなったところで、ポケットに手を突っ込んだ。彼にしては珍しく乱暴な動作で。


 ……人魚が、王子を、沈めた?

 眉間に寄った皺を自覚する。舌打ちを一つして、ユキヒトはその感情のままロリポップの包みを開けて口に入れた。

 ――甘さの欠片もないコーヒー味。

「苦い」

 棒を強くつかんで即座にガリガリと噛み砕いたところで、やっとユキヒトは自分が苛ついていることに気づく。折り合いをつけようと口に出して考える。

「先輩が人を殺したって、そんな訳あるかよ。あと、先輩の好きな人が死んでたって――」

 口に広がる苦味に顔をしかめる。そこでまた、ここまで動揺していることにも唇を歪めた。

「ああ、クソ」

 大きく深呼吸をする。乱れた思考を落ち着けるために、ゆっくりと。なくなってしまったコーヒー味のロリポップのことを忘れて次の味を突っ込む。じんわりと広がったレモンの酸味に頭が冷えた。三番目に好きなレモン味は、彼を冷静にさせるに十分な力を持っていたらしい。

「……さて」

 彼女はなんと言っただろうか。アオイが好きな相手で、おまけに暗い表情になった原因だという男の名前。

 ――中川って言ってたよな。誰だ、それ。先輩の心に残ってるなんて……

 滲むように強い怒りと嫌悪が広がった。

 それがアオイを変えてしまったのだと思うと……憎い。悲しそうな顔をさせる男なんて消えてしまえばいいのに。


 ――ああ、違う。消えてしまっているから心に残っているんだ。


 そう思い至って思わずロリポップを噛む。ひびが入った感触がしたところで慌てて一度とりだした。溶けかかった、割れ目の入った黄色を見つめてぽつりと呟く。

「二個目を砕いてしまうのは、もったいない……」

 呟いた自分に失笑した。

 そしてふと、泡のように一つの感情が湧いた。

「羨ましい」

 ……って、なんで?

 自分の口から出た言葉に疑問を挟む。なんで中川がうらやましいんだ?

 自分にとって憧れである存在に想われていたのが羨ましいんだろうか? それともあの泳ぎを近くで見ることができるから、とか?

「まあ、考えても仕方ないか……とりあえず中川は憎いし恨めしいし消えてほしい男だ……いや、違うな。群青先輩の記憶の中からキレイサッパリ消滅してほしい男だね」

 でも、記憶から消えたら今の先輩はないわけか。

 敵として認識したいのに、しづらい。確かに三年前の方が楽しそうだし人に囲まれてたし、泳ぐのが上手かった。でも、今の方がはるかに幸せそうだ。

 多少面倒な行動があるものの、水中でたゆたっているアオイは、よく満たされている顔する。他人を気にせずに自由に泳ぐさまにユキヒトは憧れたのだから、このままでいて欲しいという気持ちもある。

 ……だけど。

 刺すような夕陽を背に、ユキヒトは冷たく呟いた。

「中川に感謝することだけは絶対にないな」




 切り替えるように息をついて、ユキヒトはリュックからスマホを取り出した。もう暗記している電話番号を入力して、繋がるのを待つ。

《――ユキヒトくん? どうしたの?》

 そして、深く息を吸って、ゆるゆると吐いた。

「先輩。海に行きませんか? ……どうせ、プールで遊んでるでしょう」

 根拠がないのに確信があった。だから二つ目の質問の語尾は上げなかった。

 ユキヒトは王子を亡くした人魚を、海に誘う。

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