第15話 東岡山から早島、そして児島へ

 昨日・2020年9月4日は、数年前に亡くなられた鉄道研究会の先輩の誕生日にあたる日でした。その方は1961年生まれでして、ご存命なら59歳。まだ定年まで時間があるはずでした。今年の1月にふと思うところあって電話をしてみると、奥さんが出られて、数年前に病気で亡くなられたとのこと。その方のことについてはここでは述べませんが、鉄道研究会に小学生からお世話になっていた中でも、ものすごくお世話になった人の一人ですから、何とも言えませんでした。ちなみに、顧問の先生は別として、元会員の方の訃報は、この方が初めてでした。


 そういう日だったというのもあるかもしれませんが、なぜか、昨日児島まで散髪に行く連絡(実質的にも実務的にも予約)をその前日にK氏にすると、今度の日曜は台風がどうなるかわからないから、金曜日のうちに、と言われました。ちょうどこの日は予定を空けられましたので、昼から行くことになっていました。そして確かに、行ってまいりました、以上、で済ませればよさそうなものですが、今回はそうもいかなくなりました。


 私はこの日、朝早めに起きて2時間ほど仕事した後、7時過ぎに岡山駅前の松屋までカレーを食べに行きました。それから帰って、少し横になって、また仕事をしておりました。10時には歯医者の予約が入っていましたので、それには出向き、戻ったら10時40分ごろ。まだ時間があるなと思い、また仕事。

 12時過ぎに、突如携帯に連絡が入りました。

 「15時過ぎに、東岡山にこれこれこのような列車が来るので撮影に行くから、その後、児島まで送るがどうか?」

とのこと。特に予定はないから、ではぜひということで、15時前に東岡山まで行くことにしました。

 それからまた2時間ほど仕事をして、14時過ぎに自宅を出て岡山駅まで移動、駅前の眼鏡屋で眼鏡の掃除をしてもらい、来週使うためのハレカカードにチャージをしておき、それから、岡山駅の改札に向かいました。ちょうど、赤穂線の長船行の列車が出る時間でしたので、直ちにホームに向かい、元マリンライナーの213系電車で東岡山へ。ホームの待合室でしばらく待って、通過する貨物列車をタブレットで撮影したりしているうちに、K氏がクルマでやってきて、入場券を買って1番線のホームで撮影準備をしはじめたので、そこに合流。

 赤穂線からの213系電車を撮影後、予定の貨物列車を撮影。EF66型100番台の後ろに、新鶴見機関区から貸出される(実質は疎開?)元ブルートレイン色のEF65型1000番台がついている。それが目当て。

 その写真を撮る前に、実はもう一つ、東福山からくるDE10型ディーゼル機関車の牽引する工臨があるからというので、私がやってきた2・3番のホームに戻り、こちらも無事に撮影。あまり速度を上げていなかったので、タブレットでもそれなりにとれたように思えました。


 ようやく撮影が終わり、15時15分頃、K氏のクルマに便乗して、児島に向かうことに。

 その前に、早島町立図書館に寄っていただけることになりました。

 本来ならこの日、児島に行く途中早島で下車して図書館まで歩いていこうと思っていたのですが、こういうことになりましたから、クルマで直行に。去る日曜日、高梁市が暑さの記録を出していたような日に、隣の総社市で駅から図書館まで15分の道のりを2回歩き、その後倉敷に移動してこれまた駅から図書館まで同じくらい歩いたために、かなり体力を消耗していました。それがあっただけに、この「行きがけの駄賃」は、私にとっても非常に助かりました。

 早島町立図書館は、町役場の向かいにあり、その建物の横には教育委員会なども入っています。建物の前には他の大手市町村や県立クラスの図書館のように「町立図書館」の大きな看板は出ていませんが、さすがに建物内には、それなりに分かる表示がありました。

 こちらでは、14年前に出した前著は置かれていなかったので、今回は前著とともに先日出版した拙著の2冊をもって、寄贈することに。

 ここでは、寄贈の申込用紙に記入を求められ、書名も記入することになりました。まあ、字がお世辞にもきれいなほうではありませんので、ミミズの這ったような字を何とか急いで書き連ね、その用紙をコピーしていただきました。ついでに、その紙と寄贈する書籍、それに最初に渡した名刺を並べて、カウンターに置いてタブレットで撮影させていただきました~この手法は、倉敷市立図書館から行っています。

 そこまで3分ほどで何とか済ませられましたので、急いでK氏のクルマに戻り、児島まで移動しました。なぜか、この日は赤信号に引っかかったり、前のクルマが遅かったり、そういうことがしばしばありましたけど、無事に児島の散髪屋(K氏の自宅も兼ねています)まで到着しました。

 普段なら結構時間をかけるのですが、今回は大急ぎで散髪してもらい、顔そりも軽めに済ませ、何とか40分で終了。普通なら、こんなに早くは終わらんのですけどね、まあ、いろいろありまして(苦笑)。

 再びK氏のクルマに乗せていただき、今度は児島駅まで。マリンライナーは、予定通りに児島を出発。

 と言えばなんともなさそうですが、この日は四国島内で何かあったらしく、マリンライナーは側線に停められていました。すでに客が何人も乗っています。どうも、この列車は児島折り返しになっていた模様。というのも、案内放送で、これから運転再開だとか何とか、そんなことが言われているわけでしてね。

 ああ、最後の最後に、ようやく正常に戻ったか、って気持ちになりました。

 マリンライナーは、側線から出発し、なぜかいつもより速く運転されているように思わせる走りぶりを見せつつ、岡山に定刻で到着しました。

 この後は、駅前の立ち飲みの店でキリンラガービール大瓶1本をつまみなしで飲み、それからビックカメラに行って用事を済ませ、近くの居酒屋、と言っても、これは私の小説のモデルにもしている場所なのですが、そこに参りました。

 席について早速、先日取り込んだプリキュアの曲を聞こうと思うと、イアホンを忘れているのに気づいて、それは、断念。

 この日は、ボトルの焼酎をロックで少しだけ飲み足し、あとは八宝菜と焼うどんを順に頼んで夕食代わりにしました。焼酎よりも、水割りセットの水を別のグラスで飲んでいたような感じでしたね。この店では以前は一人で来ても飲み放題でしっかり飲みまくっていたのですが、最近はそれをすると体がもたない気がしてきたので、焼酎のボトルを入れてそれで軽くロックで飲みつつ、できるだけ(!)もう一つの水割り用のグラスに氷と水を入れて、それを飲むようにしておるのです。


 19時過ぎにようやく店を出て、帰ろうとすると、小雨がぱらついていました。このところ雨が降る降ると言われているにもかかわらず、なかなか降らないのがこの岡山という場所なのですが、ここでようやく振り出した。そんなこともあろうかと思って、あまり大きくないカバンの中にかさばっていた折り畳み傘を途中から取り出し、自分よりも荷物をぬらさないようにかけて、自転車とともに自宅に戻りました。

 最後の最後に、ほんのちょっとばかり、背中を押してもらえたような、そんな壱日の終わりを迎えられたように思えました。


 何の記録なのか、さっぱりわからない行程になりましたが、少なくとも、退屈はせずに済みましたし、何より、冒険でもしているような1日でしたね。

 

 それから、最後に一言。

 冒頭で触れた先輩というのは、私が中2のとき、岡山大学の入学式で鉄道研究会のビラまきをしていたときに、一緒にまいていた方でもあります。

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