想いって、重いんだよね

梁川航

第1話

 「……なあ、もう少し考えてからにしたらどうだ?入れちゃったら、本当に後戻りできなくなるんだぞ、未央」

 「いい。このまま入れる」

 「即答すんなって……」

 俺と未央は、真っ赤な『ポスト』を前にして、小一時間口論し続けていた。未央は手に持つ封筒をポストに投函しようとし、俺は未央の右手をつかんでそれを阻止しようとする。

 「離してよぅ!」

 「いいや、ダメだ。考えろって」

 ……膠着状態が続いていた。

 『ポスト』があるのは、大通りから一本入った人目に付かないところ。自分から探そうとしないと見つかりそうもないような場所に、わざわざ立てられている。

 『ポスト』は、あの特徴的な立方体の胴体と、円柱の足で構成されていた。その二つが組み合わされた全身が、真っ赤に塗られている。

 つまりは、一見ふつうの、ただのポストなのだった。

 だが、しかし。

 外見をよく見てみると……胴体にはピンクがかった赤で大きくハートマークが描かれている。

 俺の記憶が正しければ──いや、記憶をたどるまでもなく、ふつうのポストにハートマークはないだろう。

 ハートマークの中にはPOP体で、

 ──あなたの秘めた想い、届けます。大きなものや重たいものなど、どんなものでも構いません。注意事項・現時点では、人から人への恋心のみ対応しています。形式は自由です──手紙、ぬいぐるみ、アクセサリーなどなど。ただし、業務の都合上、投函口に入れられる大きさのものまでに限定します。

とファンキーな説明書きがなされていた。


 いま、未央の右手には一枚の封筒が握られている。ラブレターである。

 未央はいま、まさに秘めた恋心を伝えようとしている瞬間なのだった。俺は『不安だから付いてきて』とのたまう未央に引っ張られ、無理矢理付き添わされていた。

 ──それだけであれば『未央の人使いが荒い』という話だけで済むのだが。しかし未央がポストに封筒を投函する直前になって、ある大きな問題が発覚した。

 問題。

 それはつまり、相手が、女の子だったということなのだ。……いや、別に女の子同士だから問題だと言っているわけではなく、女の子は女の子でもそれが具体的に誰なかが問題だという話で。

 その対象は、俺も未央もよく知っている相手、幼なじみの明梨だった。

 「別に俺は女同士だからダメとか、そういうことを言ってるわけじゃない。そんなのは些細な問題なんだろう」

 「タカくん、分かってんじゃん。じゃあ……」

 しかし掴んだ右手は離さない。

 俺は顎でポストを指し示しながら、

 「だが、それとこれは全く別の話だ。だいたいこんなイカれたポストを使わなくてもいいだろ」と諭す。

 だが未央は、

 「分かってないなあ……私は自分の気持ちを後押ししてほしいんだよ。一回入れたらもう後戻りできないっていう、その保証?みたいなものが欲しいんだよ。今一瞬エイッって入れちゃえばそれで済むって、魅力的なんだ。ちょっとは恋する乙女の気持ちになってみろって話よ」

 と一向に理解してくれなかった。


 ──俺と未央、そして明梨は、幼稚園からのつき合いである。単純に家が近かったという理由で親しくなり、やがて毎日のように遊ぶようになった。他の友達と遊ぶのも楽しかった。けれど、未央と明梨と遊ぶのが一番楽しかった。

 当然のように同じ小学校に進学し、誘い合わせたかのように三人は同じクラスになった。

 それも、六年連続で。さすがに高学年になると『女子とべったりなのは恥ずかしい』と思って一緒に遊ぶ頻度や学校で話しかける頻度は減った。

 だが、一度動き始めた時計の針は止められない。どんなに離れても、離れようと思っても、親友であるという事実は少しも変わらないのだ──俺はそう思っていた。

 三人で同じ中学に進学したのが三年前のこと。

 俺は今の今まで、三人の関係はこの三年間変わっていないと信じ続けていた。この三年間、何かあったら相談相手(サンドバック)にもなったし、たまの休日には三人で遊びもした。

 、友達として、楽しかったのだ。

 だが、未央は俺の知らないところで変化していて。

 話を聞くに、同じバレー部だった二人は、段々と二人だけで話したり、遊んだりする機会が増えていったらしい。

 その過程で、もしくは結果として、未央は明梨に──恋をした。


 正直言って、寝耳に水だった。

 彼女ら幼なじみは俺にとって、たとえ自分から少し距離を置いたり、色々な理由でしばらく顔を見れなくなっていたりしても、心の奥底ではずっと二人の存在がどうしようもなく存在していて、いざ顔を合わせてみるとすぐに「続き」から始められる。そういう「切っても切れない」関係だと思っていた。だから、お互いにどんな感情を抱こうとも、それを積極的に動かしてはいけないという不文律があるものだと、俺はてっきり思いこんでいた。

 しかし、いま。未央はそんなしがらみを全部蹴り飛ばして、壮大な冒険に出ようとしている。

 「なあ、これを出したら、お前と明梨の関係も、そしてきっと俺とお前らの関係も、変わらずにはいられなくなっちゃうんだぞ。明梨の反応次第では、もう友達同士でいられなくなるかもしれない。それに、俺にはお前が親友からフラれて立ち直れるほど図太い人間には思えない。これまで十数年間積み上げてきた『友達』としての想いを、全部捨ててしまうことになったとして、それでいいのか」

 「うーん……まずフラれる前提なのには突っ込まないとしても、多分タカくんは根本的に思い違いをしてるんだよ」

 未央は困ったように、首をかしげた。

 「つまり、つまりだよ。人と人との関係性なんて、ずっと同じで変わらないなんてことはあり得ないの。たとえそれが私たちみたいな十数年来の幼なじみだとしても。タカくんは鈍いから私たち三人の関係は小学校からずっと変わっていないって信じているのかもしれないけど、私には分かるよ。関係は緩やかに変わっていった。私と明梨、二人でいる時間が増えていったのもそう。人と人との関係は、やっぱり変わらずにはいられない」

 「だからって、それを積極的に変える必要もないんじゃないか」

 「……そういう考えもありえるかもしれないね。でもさ、オトナになっていくにつれて、いつの間にか自然と疎遠になっていきました、ってのはやっぱり嫌じゃない?私たちも一応は同じ高校を受験しようとしてる。でも、同じ高校に行けるかどうかなんて、誰にも分からない。模試の成績も内申点も、本当の意味で合格を保証してはくれないよね」

 「……一時の気の迷いってことはないのか」

 俺は意地悪く言い放つ。しかし未央は動じず、

 「確かにそうかもしれない。でも、恋愛それ事態が気の迷いだと考えることもできる。さっきタカくんも言っていたとおり、別に女同士だっていうのは些細な問題。明梨がそれを気にするか気にしないか、ただそれだけの問題だから。……タカくんはそんなことじゃなくて、私のことと、そして三人で築き上げてきた大切な関係のことを心配してくれてるんだよね。それは、本当に嬉しいことだよ。やっぱり友達なんだ、ってことを実感できて。ありがとう。でも、でも──何もかも変わらずにはいられないんだったら、やっぱり私は『今』を大切にしたい。『今』私がしたいから、明梨に告白したい」

 未央は堅い決意の口調で、俺と目を合わせようとする。俺は未央の迫力に押されそうになって、思わず目をそらしてしまう。

 「それに、さ」

 未央は続ける。

 「。どうしようもないんだ」

 ──もうこいつに何を言っても通じない。俺はそう悟って

 「……分かったよ。じゃ、その代わり俺も手紙を書くから。ちょっと待ってろ」

 「え」

 未央はポカンとした顔をする。

 「……おい、便箋と封筒くれよ」

 俺は未央に手を伸ばす。未央は素直に、可愛らしい装飾の便箋と封筒を渡してくれた。

 俺はポストを机代わりにしてささっと書き終えると、すぐに封をした。そして、封筒に宛名を記す。

 「じゃ、入れるぞ」

 俺は未央に呼びかけた。

 「う、うん…。ちょっと待って、タカくんは誰に何を伝えるつもりなの」

 俺は未央の質問を無視する。それには答えられなかった。答えてしまうと──ポストの意味がなくなってしまうから。一悶着起こる前に、俺は手紙を投函口の中に滑り込ませてしまった。

 「あ、ずるい。私の時は必死に止めたくせに」

 未央は膨れてみせた。続けて、未央も明梨宛の封筒を投函する。

 これでもう取り返しは付かない。ポストに一度投函したら、決してそこから中身を取り出すことなんてできない。誤配……なんていうのもありえないだろう。想いを帳消しにするなんて、そんな都合の良いことはできないのだ。

 聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、俺は未央に語り掛ける。

 「──きっとすぐに分かるはずだよ、未央」

 未央は振り返る。

 「あれ、なんか言った?」

 俺は笑顔を繕った。

 「いや、な。ひょっとしたら、取り返しなんて、最初から求めちゃいけないのかもなって」

 「どういう心情の変化?最初からそうしてくれればよかったのに」

 「ま、結果オーライということで。おい、そろそろ行こうぜ」

 じきに日が暮れる。西の空は、綺麗な夕焼けに染まっていた。もうすぐ、寒い、寒い冬がやってくるのを肌で実感する。

 でも──。そういうものなんだろうな。全部全部、きっとそういうものなんだ。

 俺はカバンを背に、ゆっくりと歩き始めた。枯れ葉を運ぶ秋の風は、ひんやりと寂しいようで、どこか未来の到来を予想させる暖かさも包んでいた。

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