第186話 本心
「はぁ……疲れたなぁ~」
わたしが大きく息を吐くと、白い煙が空へと舞い上がって行く。
それを見ていると、まだ春の訪れは先に感じてしまい、終わりの見えない基礎練習の嵐にげんなりとしてしまう。
冬至が過ぎて、確実に昼間の時間は長くなってきているはずだけど、それでも夕方の五時くらいになると、辺りは街灯なしではちょっと不気味な薄暗さに感じる。
それにしても、とにかく寒い。
走っているときは汗ばんで暑いとすら思ってしまうけど、こうして練習が終わって部室に戻るまでの道のりは、湯冷めをしたかのように一気に身体が冷えてしまう。
ちょっと小走りで部室に戻り、風邪をひかないようにすぐに制服に着替える。
荷物の片付けが終わって部室を出たときには、もうすでに日が完全に落ちていて、部室から見える学校や周辺の町は、完全に夜の景色になっていた。
わたしは一人学校を後にする。
いつもは佳奈が一緒だけど、今日は、佳奈は予備校の説明会があるとか何とかで部活を休んでいる。
「みんなはちゃんと頑張ってるんだよな……」
年が明けてから、そして進路希望調査票が配られてから、みんなの意識がちょっとだけど変わってきたように感じる。
それは高校生活をいつまでも遊んで楽しく過ごせる時間の期限というものを強く突き付けられたようで、こうして今日も何もせずに、ただ学校に来て部活をして授業を受けている自分に焦りを感じる。
とはいっても、何をしていいかもわからない。ましてや、進路希望を書けと言われても、将来したいことも全然決まっていない。それなのにどうして頑張っているみんなと同じようにその紙に希望を書けるんだろうか……。
こうして一人でいると、普段は考えないようなことにまで考えが向かってしまい、その度に自分の情けなさにうんざりとしてしまう。
ため息を繰り返していると、後ろから自転車のベルの音が聞こえた。
「あ、すいませ――」
無意識のうちに道路の真ん中にでも来ていたのかもしれないと思い、振り返って謝ろうとしたんだけど、わたしの視界に映ったのは――
「み、宮下くん……⁉」
なんと、宮下くんだったのだ。
「よっ、結衣ちゃん!」
「こ、こんばんは……」
びっくりした。まさかこんなところで宮下くんに会うなんて。
男女で別れているけど、わたしと宮下くんはたしかに同じ部活だから、こうして部活帰りに会うことは何も珍しいことではない。でも、実は初めてなんだよね。
「うっす、こんばんは! あれ、今日佳奈ちゃんは?」
「佳奈は予備校の説明会に行くって」
「あぁ、そういえばそんなこと言ってたような……」
「そうなんだ……」
そこで、ふと思うことがあった。
「――ねぇ、宮下くん」
「どうしたの?」
「宮下くんって、佳奈と普段から進路の話とかするの? 例えば、どこの大学に行きたいとか……」
「ん~とね……いつもするわけではないけど、この前進路希望調査票が配られたでしょ?」
「うん」
「そのときは結構話したね~。佳奈ちゃんに『あんたの学力で行ける大学あるの?』って真顔で言われたときはかなりショックだったけどね……ははは」
「そ、そうなんだ……」
やっぱり。やっぱりそういう話はするんだよね……。
「結衣ちゃんは伊織とそういうの話すの?」
「えっ……⁉ い、いや……したことない」
「え~どうして……?」
「――どうして……?」
宮下くんの特に深い意味はないであろう素で出てきた言葉に、わたしは胸を貫かれる感覚を覚える。
でも、すぐにはっきりとした答えが浮かび上がってくる。
「――い、伊織とわたしなんかじゃ、比べ物にならないから、話しててもたぶん話が合わないと思うから……」
本当はわたしもそういう話を伊織とだって進路のことを話したい。将来のことだって色々な可能性を、伊織とたくさん話したい。
でも、そんなちっぽけな願いだって、わたしと伊織との学力の差が、それを見えないところで阻んでしまっている。
だから、だから――
「――でもさ~。それって何か違くね……?」
「えっ……?」
「あっ、いや、その……別に結衣ちゃんたちの関係に口出す権利なんて俺にはないからあれだけど……。その理論でいけば、俺と佳奈ちゃんの方がもっと話し合わなくて、とっくのとうに関係決裂してんじゃねぇかなって思ってさ」
ゆっくりと漕いでいた自転車から降りて、宮下くんはわたしの隣で歩き始める。
「そんな俺達でもできてるっていうか……。そもそも、そういった抵抗感って自分で勝手に作り出してるんじゃね?」
「自分で……?」
「ほら……『病は気から』って言うじゃん。あんな感じ」
「な、なるほど……」
上手く理解できなかったけど、それでも言いたいことは何となく言いたいことは伝わってきた。
実際はそんなことないのにもかかわらず、自分の中で勝手に「そうではないか」と思い込んでしまう。そして、その思い込みがその後の自分の行動を指図して、結局悪い方向へと結果が流れていってしまうということかもしれない……。
「――俺はさ……」
宮下くんはいつもの元気な様子からは想像が付かないような、いつになく真剣な眼差しで口を開く。
「冗談抜きでマジで勉強できないんだよ。試験の結果見てもわかると思うけどさ……。でも、俺は佳奈ちゃんと同じ大学行けたらいいな~っていうぼんやりとした目標だけはブレてなくてさ……。なんか、ブレたら負けな気がして。いくらテストで点取れなくても、そこだけは変えないつもりでいるんだ」
「そ、そうなんだ……」
「結衣ちゃんはどう? 伊織と同じ大学行きたいとかないの……?」
「わたしは……」
そういえば、一度、前回の期末試験のときにぽろっと零したっけ。「伊織と一緒の大学に行きたいから」勉強してるって。
それが今のわたしの本心だとしたら……。今の話を聞いて、宮下くんの確固たる目標を聞いて、わたしはどう思った……?
その答えが自分の中にぼんやりと出てきたとき、自然と手に力が入った。
「――その様子なら、もう心配いらないかな……?」
「うん……。宮下くん、ありがとう」
宮下くんとバイバイしてまた一人で歩くことになったけど、心なしか、駅までの足取りが、今日はいつもよりも軽く感じた。
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