終章 3学期
進路
第185話 モラトリアム
初詣が終わってしまえば、三が日、そして冬休みなんてあっという間に終わってしまうのが世の常というもので、今日からはまた学校が始まる。
ニュースでは「今年一番の寒さ」だの「山沿いでは吹雪に注意してください」だの、毎日ように同じような文言を横耳に、ぱぱっと朝食を済ませ、自室で制服に袖を通す。
およそ二週間ぶりの制服なのに、どこか張りを感じる――ふ、太ってなんかないんだからね。成長してるんだよ。俺はまだまだ成長期……だと信じたい。
靴紐を結んでから、結衣からもらった手袋を付ける。
結衣からのプレゼントが嬉しすぎて、クローゼットの中の小物入れに入れることはしないで、あの日からずっと机の上に置いている。
肌身離さずに持っていたいとすら思っていて、何なら、常にはめていようかなとすら考えてしまう。まぁ、それだと本当の意味で「肌身離さず」になってしまうだろうけど。
肌を刺すほどの寒風を受けながら学校に到着する。
駅から歩いてくる人や、俺と同じようにチャリで来る人は、「まだ休んでいたい」という願望がダダ洩れに見える。かくいう俺もおそらくはそっち側だから、妙な親近感を覚える。
むしろ、「学校が始まってくれてよかったよ」といって爽やかな笑顔で登校してくるやつがいたら、そいつはきっと感覚が麻痺しているに違いない。それかよほどの陽キャで、群れることが生きがいになっているかの二択だ。
教室に入ったところで、俺の仮説は正しかったことが証明された。
本田、片山両名を中心に、加藤などのナウでヤングな最前線を生きる者たちが集い、魔方陣を展開して何やら怪しげな召喚呪文を詠唱をしている――のではなく、ただただバカでかい声でしゃべっていた。
そうだよな、そんなはずがない。俺が生きているのは異世界でもフィクションの世界でもなんでもないんだから。
「なぁなぁお前ら、正月に餅何個食べたよ」
「俺は十個は食べたぜ」
「うわっ、少ないな!」
「はぁ……? じゃあお前は何個食べたんだよ」
「まぁ、軽く二十個は食べたな」
「嘘だろ⁉ そんなに食えるわけねぇだろうが」
「嘘じゃないって。このお腹がそれを証明してんだから」
あいつらは、俺が入って来た入り口からほぼ対角線上の位置にいるのにもかかわらず、すぐ近くにいるグループの会話よりもはっきりと何を話しているかが聞こえてくる。
っていうか、食べたもちの個数を競い合うとか、小学何年生の話だよ。いや、俺はそんな話小学生のときでもしたことないけどさ。
もしかして、君たち小学十一年生ですか? だったらめちゃくちゃ留年してるじゃん。
まさに「見た目は高校生、頭脳は子供」じゃないか。このフレーズ、どっかで聞いたことがありそうだけど、どこも絶妙に違う気がする。
とにかく、もちをのどに詰まらせたら危ないし、食べ物の量でマウント合戦をしてはいけません。きちんと感謝していただきましょうね。
ナウでヤングな最前線に一人心の中で突っ込みを入れながら、自分の席に向かう。
「――あっ、伊織だ。おはよう」
「おはよう、結衣」
今年こそは結衣よりもはやく席に着いてやろうと思いながら今年初登校をしたのだが(嘘)、やはり結衣の方がいつも通り早かった。
「もしかして、今日も朝練?」
「う、うん……おかげでちょっと寝不足かも……ふぁ~」
結衣は小さくあくびをする。
「あ、あの……あくびしてるところを見られるのは……ちょっと恥ずかしい」
「……っ⁉ ご、ごめん……」
目尻に涙を浮かべながら、結衣は頬をほんのりと染める。
正直、あくびをしている結衣もかわいいから何も問題はないと思うんだけど、本人が恥ずかしいというなら、そうするべきなのだろう。それにしても、結衣はかわいい。
「や、やっぱり部活大変そうだね……」
「あはは……おかげさまで基礎練習ばっかりだから普通にテニスするよりもきつくて……」
「そっか……」
そういえば達也も同じようなこと言ってサボってったな。やっぱり、冬は基本的にどの部活も基礎練習が多くなるから、みんな敬遠しがちなんだろう。
でも、強くなるためには避けて通れない道。
強くなりたいけど基礎練習はあまり乗り気じゃない。もしかすると、その相反する感情のコントロールが、メンタルを鍛えたりする……みたな狙いがあったりして……。
そんなこんなしていると、騒がしい教室に予鈴が鳴り響き、柳先生が入ってくる。
「あけましておめでとう。さぁ、今日も元気にスクールライフを――なんて陽気に言えればそれがいいんだろうが、あいにく、今の私にそんな余裕はない。ということで、まぁ……なんだ。三学期も健康第一に勉学に励んでくれ」
いつもより口数が多いことに、教室中が驚きに包まれる。あぁ、きっと柳先生もこっち側の人間なんだろうな。もっと休みたかったんだろうな。
最後の方のちょっと投げやりな感じから、そんな本心が見え隠れしているような気がする。
しかし、それでもさすがは社会人。いくら文句を言っても、与えられた仕事はしっかりしていくスタイルは崩さない。これが「ジャパニーズ・社畜」というものの真髄か。恐るべし。
「――次が最後の連絡事項だ」
すると、柳先生はA4サイズのプリントを配り始める。
生徒が後ろへ後ろへと回している間に、柳先生は説明を始める。
「今配っているのは、『進路希望調査票』だ。期限は今日から一カ月後。だいぶ時間を設けてあるから、各自まずは調べるところから始めて、しっかりと考えた上で記入、そして提出してほしい」
「もうそんな時期か……」
我が桜浜高校は、県内では(一応)進学校というくくりに入っているから、それなりに進学実績を重視している。
二年生ですでに文理選択を終えているが、三年生では、難関私立や国公立大学への進学を目指す「特進コース」と、私立大学や短大などへの進学を目指す「進学コース」にそれぞれ細分化される。
柳先生は「もちろん」と前置きしてから、さらに話を続ける。
「将来の夢を書きだして、それを実現するためにどの大学に行きたいかという逆算も、進路実現にはとても有効な手段だと思うぞ」
「将来の夢、か……」
ぽつりとした俺のつぶやきに、結衣が反応した。
「伊織は将来何をしたいの?」
「俺か……。今のところは……特にないかな。なんだろう、何がやりたいとかがぱっと出てこないな……」
「実はわたしも、あんまりよくわからないや。えへへ……」
「そうだよね。普通はそうだよね……」
高校生の内から将来を見据えているなんて、そんなスーパー高校生がいるのであれば、是非ともあって話がしてみたい。
まぁ、話が合わないか付いていけずに、最後の方は羨望の眼差しを向けるだけになるかもしれないけど。
高校生、大学生なんて、社会人になるまでの、いわば「モラトリアム」的な時間を過ごしているといっても過言ではない。
それをどう使うか、どうしたかは、その人にしかわからないし、ましてや他人が口出しすることもできない。決めるのは、誰でもなく、自分自身なのだから。
薄っぺらく、風が吹いたら飛んでいきそうな紙を見つめながら、俺はすぐ目の前に迫ってきている未来に思考を向けた――。
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