第187話 進路
三学期は他の学期に比べて過ぎるのが早く感じると言われているが、それには両手両足を上げ、そして更には声を大にして同意だ。
日の出だって遅いし、日が暮れるのだってまだまだ早い。つまり日中の時間が短いのだから一日それ自体が短く感じるのは至極当たり前の話なのではある。
しかしそれでも、カレンダーに日に日に刻まれていく黒いバツ印を見ていると、時の流れが加速しているようにすら錯覚してしまう。
寒さの中目覚め、寒さの中学校へ行き、寒さの中帰宅の途につき、温かいお風呂で長風呂して、ご飯を食べて寝る――こんなほぼルーティーン化されたような日常を過ごしていると、カレンダーは如月、つまり進路希望調査票が配られてから、かれこれ一カ月近くが経とうとしていたのだった。
俺がいつも通り学校に着くと、今日はやけに人が少なく感じる。
駐輪場に泊めてあるチャリも、駅から歩いてくる人の数も、それら全てがいつもより少ない。
どうしたんだろうか。どこかのクラスでインフルでも流行って学級閉鎖とか……?
でもそんな話題聞かないし……。あれ、もしかして俺だけ情報が回ってきてないとか? 何それヤバすぎかよ。俺だけ情報遮断とか、一体俺が何をしたって言うんだっ!
ついに学校組織から見放されてしまったのかと、半ば放心状態になりながら教室に向かう。
「伊織、おはよ――って、どうしたの? 何かあった……?」
「あ、結衣……おはよう。何か俺、学校からも孤立しちゃったかも……」
「え……えぇ⁉ それってどういう――」
ちょうど結衣の驚く声と予鈴の音が重なる。
柳先生が教壇に上がったところで、会話は途切れる。あの人を前にして堂々とおしゃべりなんてできやしない。あの鋭利な眼光で注意を受けて見ろ。たとえ無言の圧だとしてもその破壊力はダイナマイト級だからな。
「早速だが、進路希望調査票の提出期限まで一週間を切った。これはみんなも知っていると思うが――」
朝のホームルーム。柳先生は開口一番、進路の話題について触れる。
「――そして、二月から、三年生は自由登校期間となるから、実質的にお前たち二年生が最上級生として学校生活を送ることになる。だから、最上級生としての自覚と責任をもって日々の授業などに臨んでほしい」
「あっ、そうか……」
先生の話で、朝の違和感の正体が判明した。よかったぁ、情報網遮断とかされてなくて。
落ち着いて考えて見れば、さすがに学校からそんなことされてしまったら、それはそれで案件だということは明々白々だったな。
しかし、安堵を感じると同時に小さな針で突かれたように、チクリと胸が痛む。
それは、先輩と後輩がいる二年生が終わってしまうこと、つまりはこの高岡伊織という人間の人生における大きなターニングポイントとなった一年が終わってしまうことを意味するのである。
今年の一番初め、結衣とやり取りをしているときに何となく感じ始めていた、この二年生の終わり。それが気が付くとすぐ目の前までやって来てしまっていた。
このクラスが解体されれば、結衣と離ればなれになってしまうかもしれない。いくら結衣と同じクラスがいいと願ったとしても、それを決めるのは俺でも神様でもなんでもなく結衣の希望進路なのである。
「――ねぇ、結衣」
俺は気が付くと彼女の名前を呼んでいた。
「ん……どうしたの?」
「あ、あのさ……結衣は進路どうするのかなぁ~と思って……。ほら……もうすぐ提出期限だからさ……」
回りくどい。聞き方が回りくどいし、それにかみかみですんなりと聞くことすらできない。
それもそのはず。他人の進路ほどセンシティブな問題は、他に類を見ない程であると思ったからである。
ほら、高校受験のとき、誰がどこの高校を受けるのかを聞いたりしゃべったりするのが憚れるような雰囲気になったことがあるかもしれないが、今はそれに似たような空気感だからだ。
いくら彼女とはいえ、いわばそこはパーソナルスペースの一部となり得る部分であるともいえる。そこにずかずかと土足で立ち入っているようなものかもしれないからだ。
この紙が配られたときはそうでもなかったけど、今この提出期限が迫る中だと、どうしてもそういうことが頭をよぎってくる。
「わたし……わたし、か……」
「も、もしかして聞いちゃまずかったり……」
「い、いや……そんなことはないけど、ちょっと恥ずかしい、かな……」
「そ、そっか……」
「ち、ちなみに! い、伊織はどうするか聞いてもいい……?」
「俺は……『これがやりたい』っていうものは特になくて……。でも、大学でそれを見つけることができればいいなぁと思ってて。だから、やりたいことを見つけるために、少しでもいい大学には行きたいかな……って感じ。だから俺は特進コースにしようかな……。あ、でも、家から近いのは絶対条件だけどね」
当たり前だ。毎朝満員電車に乗って何時間も揺られて行くのだけは勘弁だ。それに一限とか絶対に間に合う自信がない。
大学でやりたいことを見つけるどころか、卒業できるかが心配になってしまうかもしれない。そしたら本末転倒。大学に入った意味がなくなってしまう。
「ふふふ……」
結衣は真剣な表情を和らげて笑みをこぼす。
「お、おかしかった……?」
「ううん。ただ、伊織らしいなって思って」
「そ、そうっすか……」
「うん……何か今ので恥ずかしさが吹っ切れたかも」
結衣は大きく息を吸うと、俺に正対する。
「わたしね――伊織と一緒の大学に行きたいの」
「お、俺と……?」
「あ~。伊織、今『こんなに学力差あるのに?』って思ったでしょ?」
「そ、そんなことないよ! 結衣はこの一年で何十位も順位上げてるじゃん。それに、俺だって油断なんてしてられないよ。今できても、本番できなきゃ意味ないからさっ!」
「ふふふ……冗談だよ。今行ったことがやっぱり少し恥ずかしくて、それを隠すためにちょっと言ってみただけだから」
結衣さん、なかなかやりますねぇ……。そんなことは一ナノメートルも思っていなかったけど、結衣を怒らせたのではないかと、かなりめちゃくちゃすごく焦りました。
「でも、クラスが一緒になるとは限らないんだよね……」
「そ、そうだね……」
特進クラスは、その年の希望者数によって多少の変動はあるが、だいたい文系理系合わせて二、三クラスほど。
いくら同じ大学を希望しても、絶対に同じクラスになれる保証なんてどこにもない。
「でも、同じクラスになるための進路希望調査じゃないと思うんだ」
希望をもとにクラス編成をするのは、何もそれのために使うのではなく、効率的に学習を進め、希望進路を実現するためのものであることは決して忘れてはならない。
「そのときはそのときで、きっと何とかなるって」
いくら心配しても、先の未来を予知することなんて、コンピューターでもできないんだから、人間なんかができるわけもない。
それに心配事の80%以上は起こらないなんていうことと言われているから、そうなったときに考えるのが得策と言えるのかもしれない。
「そうだね……でも、わたしは伊織と同じクラスになれたらいいな」
「もちろん、俺も結衣と一緒なら……」
この後、まだ何一つ書くことなく空欄のままだった紙に、俺は結衣と一緒に同じ大学の名前を書いて提出した。
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