第169話 同じ気持ち

 どんよりと広がる鉛色の空が夕日に染まり、夕闇へと主役が変わりつつある中、俺は家からチャリで駅へと向かう。

 呼吸の度に白い息が漏れ、今が凍てつくような寒さであることを実感させる。


 それでも今日は、やはりと言っていいほど人通りが激しい。

 だから、いつもみたくダンシングで道を疾走するわけにもいかず、めちゃくちゃ徐行運転になった。何なら、途中から歩いた方が早いんじゃないかとすら思ったほどだ。


 そんなこんなではあったが、駅にチャリを止め、集合場所である広場に向かう。

 広場に着いて時計を見ると、まだ十七時を過ぎたばかりだった。


 「これはミスったかな……」


 流石に早く着き過ぎてしまったようだ。でも、遅刻するよりかは全然いい。

 駅ビルの方から聞こえてくるクリスマスソングや道の端に植えられた木々に灯されたイルミネーションと、その下を歩く人々。それを見ていると、まるで異世界に来てしまったんじゃないかというような、変な感覚に陥る。


 まさか、自分がこちら側からこの世界を見ることになるなんて――。

 それからこの景色を飽きることなくどれくらい眺めていただろうか。駅の改札の方からこちらに向かってくる一人の少女を視界に捉える。


 クリスマスだけど、今日は平日。そしてこの時間は帰宅ラッシュが始まる時間帯。

 だから、人の往来は一際多いはずなのに、その中にいる一人はすぐに見つかった。多分、俺が無意識のうちに探しいてたからだろう。


 「――伊織~!」


 俺の名前を呼びながら、結衣がこちらに駆けて来た。


 「ご、ごめんね! 遅くなっちゃって……」


 少し頬を染めた結衣は、少し息を切らしながら膝に手をついている。


 「ぜ、全然そんなことないって! 結衣も時間通り――いや、むしろ十五分前に着いてるからさ!」


 「ほ、本当だ……伊織ってば、来るの早すぎだよぉ……。わたしびっくりしちゃった……」


 「あはは……。ごめんごめん。今日が楽しみだったからつい……」


 「わ、わたしも……」


 結衣は小さく身を捩りながら視線を斜め下に落とす。


 「い、伊織と早く会いたくて……」


 「うぐっ‼」


 な、なんだ!? かわいい、かわいすぎる! それは反則級だぞ!

 すでにライフポイントを半分以上削られる――いい意味で。


 ただ、俺も結衣もお互いに照れてしまい、次の言葉に詰まる。

 と、ここで達也大先生の言葉がフラッシュバックする。


 ――結衣ちゃんの洋服を褒めろ。


 「――ゆ、結衣……」


 「は、はいっ⁉」


 結衣さん!? そんなに硬くならないで! 俺もつられちゃうから!

 速まる鼓動を抑えるように深呼吸をしてから、すっと息を吸う。


 「あ、あの……結衣の着てる服、とってもかわいいと思うよ」


 「ひぇっ⁉」


 想定外の言葉だったのだろうか、結衣は目を大きく見開いたまま直立不動になってしまった。

 結衣は、白いニットに黒のチェックのスカート、そして袖先のもこもこが印象的なキャラメル色のロングコートを羽織っている。全体的に落ち着いた色合いで、結衣の柔らかなイメージと絶妙にマッチしている。


 この組み合わせでかわいくないという方に俺は無理を感じる。どう見てもかわいいだろ!

 ってか、結衣が着る洋服なら何でもかわいく見えるのは俺だけですか? え、みんなそうだよね(圧)。


 「――う、うれしい……」


 結衣は頬を緩めてそうつぶやく。


 「わたし……今日のためにいつも以上にお洋服とかメイクとか……お洒落に気を使ってみたの……」


 「そ、そうだったんだ……」


 たしかにそう言われてみれば、洋服がかわいいのはもちろんのこと、いつものナチュラルメイク(っていうの?)よりも少し凝っている……ような気がする。


 おっと待てよ。きっと結衣はこれにも気づいてほしかったんだよな……何ですぐに言わなかったんだ、バカ! 俺の鈍チン!

 達也大先生の教えがまだ完全に会得できていなかったようだ。……未熟者っ!


 「き、気づいてあげられなくてごめん!」


 「そ、そんなことないよ! どれか一つでも、その……かわいいって言ってもらえて……それだけで、頑張ってよかったなって思える」


 「ゆ、結衣……」


 洋服もかわいい。メイクもかわいい。それらを身に纏っている結衣自身もものすごぉぉぉくかわいい。

 つまり、何が言いたいかというと、結衣がかわいすぎるということ(真理)。


 「――い、伊織も!」


 ハッとした表情で結衣が声を上げる。


 「ど、どうしたの?」


 「伊織のお洋服も……その……とってもよく似合ってるよ……かっこいいと思う」


 「あふっ!」


 やばい、一瞬昇天しかけた。

 あんなに顔を染め上げながらも笑顔の結衣に言われると、「最高」の二文字以外に表す言葉が見つからない。


 何かを褒められるって、こんなにも嬉しいんだ。俺が嬉しかったように、結衣も同じように嬉しい気持ちを感じてくれているのだろうか。できればそうであって欲しい。


 このふわふわとした感情は、友達とかに言われても多分感じない。結衣に言われたからこそ感じる、どこか特別なものだと思うから。


 「――ねぇ、伊織!」


 結衣は俺に一歩距離を詰める。

 さっきからそんなに二人の距離は空いていなかったから、今この状況だと、ほとんど密着しているんじゃないかと思ってしまうほどだ。


 結衣は香水も付けてきたのだろうか。街を歩いていてよくいる強烈で不快な匂いがする人とは違って、この距離だからわかる程度の心地よい甘さに、脳がくらくらしかける。


 「今日はい〜っぱい楽しもうね!」


 「う、うん! もちろんそのつもりだ!」


 結衣の言葉に、俺はついついデートプランのハードル、その天井を自分の手でぶち上げてしまった。もう止まらない。青天井だ。

 だが、言葉にしたものはもう元には戻らない。


 「じゃ、じゃあ、早速行こうか」


 「うん!」


 どっちからともなく二人手を握り合うと、駅ビルの方に向かって歩き出す。

 さっきまで妬みさえ感じていた凍てつくような寒風が、今だけは火照った体温を程よく冷やしてくれた――。

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