第168話 煽り

 クリスマスイブを楽しみにしていたのは、いつまでだっただろうか。

 物心ついて間もない頃は、毎年その日のためにいい子にしていたといっても過言ではないくらいにいい子にしていた記憶がある。

 そして、次の日の朝、眠気眼を擦りながら、枕もとの大きな靴下の中に、寝る前にはなかったふくらみを見つけて大喜びしていたっけ。


 でも、サンタさんの正体が両親だと気付いた小学生中学年あたりから、その日はあまり楽しめなくなっていった。

 だってほら、想像してみろ。サンタコスしている両親だぞ。

 顔の見えないコスプレイヤーさんならまだ許容できる、というか歓迎しちゃうレベルではある。


 しかし、身内の、それに年齢もそこそこいっているおじさんおばさん(これ言ったら確実に処刑される)ときたときには、どう反応していいかわからない。

 むしろそこから先の気まずさマックスの展開が俺にですら簡単に読めてしまうのだから。

 もはやプレゼントを渡すどうこうを気軽に言っている場合じゃない気がする。


 町を歩いていたってそうだ。

 手をつなぎ、腕を組み、イチャイチャしながら公共の場を甘い雰囲気で埋め尽くしていくカップルたちの何と多いことか。一人で歩く俺の身にもなってみろよ。肩身が狭いっちゃありゃしない。


 だから、記憶のある限りではクリスマスにあまりいい思い出はない。

 正直に言って、「イエスキリストの誕生日になぜかかこつけてカップルたちが我が物顔で町を占拠する祝日」くらいにしか思っていなかった。

 だから、何もそんなに自分にとっては特別感はなかった。


 しかし、今年は違う。いつもは一年の内のただの一日に過ぎないのだが、今日は違う。

 クリスマスシーズンになって聞こえてくるあの聞き慣れたクリスマスソングも、日の暮れた街を彩るイルミネーションも、そこを行きかう人々の話し声も。どれも全てが今年の俺の目や耳には美しく響いてきた。


 約束の日の前からこんな調子じゃ、きっと緊張の糸が何本あっても足りないくらいで、他のことに集中することもあまりできないでいた。

 そのまま眠れたのか眠れなかったのかわからないが、気が付くとクリスマスイブの当日、ついにその日がやって来た。


 結衣との待ち合わせは十七時半に駅前の広場なのに、俺はもう朝の段階からやる気マックス伊織ックスだった。

 ……うん、自分でも何を言っているのかよくわからない。

 たぶん、それくらいこの日が楽しみで、でもちょっとした不安も交じったりしていて。そんなたくさんの感情が飛び交っているんだろう。

 普段の五割り増しくらいでおかしい気がする。


 どうにかして高ぶるこの気持ちを抑えるように、今日のために立てたプランを確認する。

 クリスマスデートが如何なるものか、そしていつものデートとはどう違うのか、この世の叡智たるインターネット様を使ってしっかりと学び、それを踏まえながら丸一日かけて作ったプラン。我ながらいい感じにできたのではないだろうか。


 あとはそれを実行に移すだけ。

 もちろん、達也から学んだ「無理をしない、見栄を張らない」のデート二原則を何度も何度も復唱する。


 いくら完璧なデートプランだとしても、独りよがりに自己中心的になってしまったら、それはもはやデートとは言わない。

 自分の好きなことに相手を無理矢理付き合わせているだけ。

 いくらプランが崩れても、そこだけは崩してはいけない、いわばデッドラインだ。

 ひたすらそれを繰り返していると、時計の針が集合時間に近づいてきた。


 「よし、そろそろ行くか」


 俺はクローゼットから真新しい洋服たちを引っ張り出す。

 白のハイネックにベージュのカーディガン、そして黒いジーンズ。

 それらにそでを通して姿見で確認すると、なかなかにいい感じではないだろうか。

 お洒落にまったくと言っていいほど無頓着だった俺が普段着で行ったら、デートは初手で頓死レベル。


 だから、結衣とのデートのために、いつもなら足が伸びないようなちょいとお洒落で敷居が高めのお店に行って、一式を揃えることにした。

 やっぱりどこの洋服屋さんも店員さんの勢いが強いことは共通事項なのね。まさか……とは思っていたが、案の定ものすごい前のめりで接客されたんだが。


 まぁ、それでも、自分一人で決めるよりかはずっといい感じな服を選んでもらえたし、コミュ症気味の俺からしたら、声をかけるという棒高跳び並みに高いハードルを相手側から下げてくれたんだ。マジで感謝してます。


 「――じゃあ、行ってくる」


 もともと持っていた黒いアウターを羽織ってとスニーカーを履いていると、妹の美咲がリビングから出て来た。


 「お、お兄ちゃんが……クリスマスに外出……⁉」


 美咲はまるで天地がひっくり返った瞬間を目撃してしまったような目をしている。


 「うるせぇ、黙って見送りやがれ」


 「ま、まぁ……『彼女』がいるのに、この日にお洒落して出かけない方がおかしいよね……」


 なぜか美咲は「彼女」というところに異様なアクセントを入れてくる。


 「おい、煽るなハードル上げるなもう少し優しくして下さいお願いします緊張がさっきからすごいんです……」


 なんか途中からすごくなよなよしくなってるな俺……。頑張ってお兄ちゃん、ファイト!


 「緊張なんて今のうちだよ。デート始まっちゃえば緊張も通り越しちゃうからさっ!」


 「今のって俺、褒められてるの……?」


 美咲ちゃん、やめて、伊織のライフは残り少ないわ!


 「ほ〜ら、早く行かないと遅刻しちゃうよ! 結衣さんのこと困らせたら、私が許さないんだから!」


 美咲は、靴紐すら結び終えていない俺の背中をポーンと押す。


 「っとっとっと……。あっぶねぇ……」


 でも、今ので少し、ほんの少しではあるが、緊張が和らいだ……気がする。


 「サンキュー、美咲。そんじゃ、行ってくるわ」


 「健闘を讃える!」


 そう言って敬礼のポーズを取る。

 美咲、お兄ちゃん嬉しいじゃんかよ……と思ったけど。おい、せめて健闘を「祈る」だろ。始まる前から讃えるな。祈るのか称えるのかはっきりしてくれマジで。

 やっぱりお前、俺のこと煽ってるだろ――。

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