第141話 出発
電車は海沿いを疾走する。
日の出からすでに数時間が経過していることもあり、太陽が燦々と海をきらめかせている。
俺、結衣、達也、佳奈さんの四人は、出発当初は眠気が少し残っていたが、車窓からのぞく大海原を目にすると、たちまち窓に視線がくぎ付けにされてしまった。
「次は、小田原、小田原――」
そんな景色を楽しんでいると、もう集合場所である小田原に到着した。
改札を抜けて、集合場所に指定されている場所へと向かう。すると、もうすでに制服を着た何十人もの学生がうろうろとしていた。
「じゃあ、また明後日だね」
結衣が佳奈さんにそう告げる。
「そんな別れの言葉みたいに言わないでよね。どうせすぐにまた会えるんだし、そんなに寂しかったら電話してきてもいいんだよ?」
「そ、そんなことないって!」
「うわぁっ、結衣が怒った~」
「お、怒ってないってば!」
「はいはい。それじゃあね。あ、伊織くん」
「俺……?」
「結衣のこと頼んだよ」
「お、おう……任せとけ」
「ちょ、ちょっと伊織まで……⁉」
慌てふためくように、結衣は俺と佳奈さんに視線を交互に送る。
「ゆ、結衣……。俺たちもクラス集合場所に行こうか」
「そ、そうだね……」
佳奈さんと達也の後ろ姿が制服姿の人の中に消えたところで、俺と結衣も自分たちのクラスへと向かった。
遠目からでもガヤガヤとしていたが、そこの中心に着くと、それはもう……凄まじい。
大きな駅だからそれなりにうるさいのは当たり前のことではあるが、それにこの数百人が一か所に集まるとなると、騒音レベルは青天井だ。
まるで台風の中に放り込まれたような気分がする。
逆説的に、それだけ大きな声で話しているということは、俺の周りにいる学生の修学旅行への期待度が高いということが言えるだろう。
そして、その台風の目の向く方に教師陣が姿を見せる。
「――はい、静かに~! 静かにしろ~!」
声を張り上げているのは図体のデカい体育教師だ。たしか野球部の顧問だったか。
彼は担任ではないが、養護の先生などとともに、引率としてこの修学旅行における生徒の安全を見守るために参加している。
「今から各担任の先生の指示に従って新幹線に乗車してもらうぞ~。もたもたしてると乗り遅れてそのまま帰宅してもらうから、そこは高校生らしく秩序正しく行動してくれ!」
その体育教師の一言を皮切りに、各担任がそれぞれのクラスの前に向かって歩き出す。
彼ら彼女らの動きにはほとんどの躊躇も見られない。きっと相当の事前準備をしていたのだろう。
俺たち生徒も事前にタイムテーブルや集合場所などの確認を何度も行っていたが、俺たちの見えないところでは、先生たちも準備をしてきたのがよくわかった。
柳先生もその内の一人で、俺たちの前に来て口を開く。
「――えぇ、今日から修学旅行だ。まぁ、教師側からするとこんな『The時間外労働』みたいな行事は正直ごめんだが、お前たちの安全確保に努めるよう善処するよ」
お、おぉ……。言ったなおい。
他の先生も同じようなことを思っているんだろうけど、そんなに堂々と本音を、しかも俺たち生徒に言うなんて……。
一周回って清々しいとすら感じてしまうよ。マジ柳先生リスペクトっす。
「――と、まぁ、私の愚痴を言っても仕方がないから、この先の予定を確認しておくぞ」
他の先生の視線が気になったのか、柳先生は大きく咳払いをすると、A5サイズの冊子を鞄から取り出す。
「このあと京都に向かうわけだが、私たち一組から順番に新幹線に乗り込むことになっている。お前たちがのろのろしていると、さっきも言われたとおり、後ろの組の生徒たちが置き去りになってしまうから、おしゃべりは構わないが、口だけでなく、目も足もしっかりと動かすように――」
柳先生の注意説明が続く中、「ねぇねぇ」と結衣が肩をつついてくる。
「新幹線乗るの楽しみだね」
「俺もだよ」
結衣は新幹線が楽しみだと言っていたが、たぶん、俺はそれよりもずっと楽しみだと言えるだけの自信がある。
だって、「新幹線」だぞ。何かもう名前からしてもめちゃくちゃカッコいいじゃん。
今から乗るのは東海道新幹線。あのすっと伸びた真っ白な車体にブルーのラインっていう、シンプルでありながらも、逆にカラフル過ぎないあの絶妙の配色バランスがもう……ヤバい。
だが、カッコいいのは別に何も東海道新幹線に限った話ではない。
東北新幹線だって、あの映えたエメラルドグリーンと、それに対照的なピンクのライン。
北海道新幹線はそれに似ているけど、実はあのパープルのラインは、ラベンダーとかを意識しているんだとか。その違いを見たときの感動といったら――。
「――い、伊織……?」
「えっ、あっ……」
「どうしたの、伊織……? 東海道がどうとか、東北に北海道とか……。今から行くのは京都だよ!」
「そ、そ、そ、そうだね……あはは」
結衣は俺の妄想全開ワールドの一部始終を聞いてしまったのかもしれない。やっべ、恥ずかしい。親に部屋を掃除されて、隠していた秘蔵のファイルを見つけられてしまったときのように恥ずかしい。
「――それでは、ホームに移動する。荷物を持って列を崩さずに前に進んでくれ」
柳先生の声がすると、ここに滞留していた数百人の人の塊が新幹線のりばへと流れ出す。
ホームに出ると、俺は思わず息を呑んでしまった。
在来線と比べて、まずホームが長い。それに通勤ラッシュとかもないから閑散としていて、静かな空間が広がっていた。
しかし、通過する新幹線がやってくるとたちまち轟音に晒されるため、この静寂はまさに「嵐の前の静けさ」と言えるのかもしれない。
数本の通過列車のあと、ついに速度を落とした白い巨体がゆっくりとホームに流れ込んできた。
俺はカメラを用意する。新幹線がこんなに至近距離で拝めるなんてそうそうない機会だ。ベストなシャッターチャンスを逃すわけにはいかない。
携帯の画面を見つつ、シャッターの切るタイミングを計っていた、そのときだった。フレーム内に結衣がちょこんと入ってきた。
「伊織も一緒に撮ろう!」
一瞬のことでびっくりしたが、すぐに内カメラに変えてフレームに俺と結衣を写す。そして白い巨体の鼻先が入ってきたところでシャッターを切った。
「いきなりでごめんね……。新幹線と一緒に写真撮ったら、修学旅行最初の思い出ができるかな~って思って……」
「い、いや、全然そんなことないよ!」
むしろ、ただただ新幹線が映っている写真なんて、最悪ネットを漁ればいくらでも出てくるだろうし。
俺は今しがた撮った写真を確認する。
俺と結衣と新幹線――修学旅行、マジで最高かよ。
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