第142話 奈良公園

 「――京都、着いた~!」


 新幹線から降りて大きく伸びをする。

 小田原から京都までの二時間はあっという間だった。


 今までの俺であれば、ノイズキャンセリングイヤホンをして文庫本を開くか、アイマスクで仮眠をとるかの二択だっただろう。

 しかし、今回は第三の選択肢があった。

 それは――「班員と過ごす」ということだ。


 新幹線の席順はこの前決めた班同士で大体が固まっていて、俺、結衣、北間さん、高橋さんの四人が席を向かい合わせてしゃべったり、トランプをしたりした。

 やはり北間さんと高橋さんは俺に対してもフレンドリーで、「女の子としゃべるのは緊張するから苦手」という陰キャの(悪い意味での)特殊能力が現れることはなかった。


 だから、ただ単純に楽しい二時間だった。

 楽しいと思えることは時間を忘れてしまうというのは本当のことで、体感的にはまだ静岡の辺りにいるとすら思っていた。 


 それから少し歩いて京都駅の中央口から外に繰り出した。

 何だろう。京都なんて普段来ないような場所だから、空気が神奈川とはどこか違う気がしてくる。


 ここは決して田舎ではなく、京都の中心地。むしろ神奈川よりも空気は都会色が色濃くなっている。

 それなのに、なぜか深呼吸をしたくなる。

 朝の公園でラジオ片手にノースリーブで運動をしているおじさんのように大きく深呼吸をしていると、柳先生から声がかかる。


 「おい、そこのラジオ体操くん。ここに突っ立っているとものすご~く邪魔だから早く元の場所に戻れ」


 「え、誰ですか、ラジオ体操くんって。俺にはちゃんとした名前があるんですけど。あと、後ろに立たないでください。間違って先生のこと撃っちゃうかもしれないので」


 「そうかそうか。お前がその気なら私はこのままお前をここに置き去りにしてもいいんだぞ。お前の貯金がどれほどあるか知らんが、果たしてここからお家に帰れるのかな……?」


 柳先生の言葉に少しリアリティを感じる。っていうか背後からの圧がものすごい。

 

 「嘘です嘘ですごめんなさい発言を撤回して深く謝罪いたしますっ! どうか、どうか命だけはご勘弁をっ!」


 その圧に耐え切れなくなった俺は後ろを振り返り、必死に許しを請う。

 そうでもしないと俺が先生を撃つどころか、銃を構える前に首を跳ね飛ばされそうだったから。


 「――ふっ、まぁいいだろう。今回ばかりは私の太平洋のように広く寛大な心に免じて許してやろう」


 柳先生はこれでもかというくらいに胸を張って俺を見る。


 「あはは……」


 「ほら早く、芝居している暇があったらさっさと班のところに戻れ」


 「う、うす……」


 俺は先生の視線を背後から感じつつ、班の元へと戻った。

 それから俺たちはクラスごとに観光バスに乗って南下を始める。

 バスはすぐに高速道路に入り、鴨川、宇治川を超え、小一時間ほどしたところで、一日目の目的地である奈良公園へと到着した。


 いくら広大な公園だからとはいえ、一学年そろって動くとなればそれだけ一般の観光客の移動の妨げになることは目に見えている。

 そこで、学年を、興福寺スタート組、東大寺スタート組、春日大社スタート組にそれぞれ分け、混雑の分散を図ることになった。


 そして、俺たちは興福寺スタート組に分けられた。

 中金堂はもちろん、その近くにある五重塔などを次々とカメラに収めていく。どれも日本史の資料集に載っているもので、歴史が眼前に広がっている不思議な感覚だった。


 次は春日大社へ。

 ここは平城京遷都にともなって茨城の方から「タケミカズチノミコト」を迎えたのが始まりだという。

 それにしても、重要文化財に指定されている一之鳥居は……とにかくデカい。高さは7m近くあるんだとか。こんなのよく建てられたもんだ。

 俺は先人たちの知恵と技術に「いいね」を押すつもりでシャッターを切った。


 そして本丸である東大寺へと向かう途中、南大門の近くに来たところで、クラス写真を撮ることになった。

 クラス写真は修学旅行の代名詞。後で見返したときに「○○の後ろに知らない人の手が!」とか言ってきゃぁきゃあ言うやつだよね。


 鹿が悠然と闊歩する中、カメラマンとアシスタントと思われる人数名が素早く足場を用意し、素早く生徒たちを並ばせると、リズムよくシャッターを切っていく。

 その迅速な手際がスムーズな拝観の流れを生み出している。


 それが終わると一行は南大門に足を向けるが、ここで、奈良公園名物、鹿の大群に遭遇してしまった。

 ここにいる鹿たちは、人間見ても逃げるどころか、逆に吸い寄せられるようにどんどんと近づいてくる。

 遠くから見ている分には鹿はかわいい(?)のかもしれないけど、数頭まとまって迫ってくるのは、むしろホラーであった。


 「い、伊織……鹿がどんどん来るんだけど……」


 俺と結衣は気付いたら鹿の大群に四方を囲まれてしまっていた。たぶん俺たちが食べ物を持っていると思っているからだろう。

 しかし、北間さんと高橋さんは二人でしゃべっていて俺たちの状況に気づいていないようで、先に進んでいた。


 「ふふふ……結衣、これをあげて」


 保険には保険をかける男、高岡伊織。このくらいのことは想定済みだ。

 俺は鞄から必殺アイテム「鹿せんべい」を取り出して結衣に渡す。

 結衣は最初は伸ばす手に戸惑いが見られたが、慣れてくればそこに迷いはなくなり、逆に楽しそうにせんべいを鹿に食べさせていた。


 「――結衣、こっち向いて」


 「どうしたの?」


 結衣が振り向いたところで、俺はすかさず自撮りのシャッターを切る。


 「ちょ、ちょっ⁉」


 「ご、ごめん、鹿せんべいをあげる結衣がかわいくて、つい……」


 「ちょ、あんまり外で『かわいい』なんて……誰かが聞いてたら……恥ずかしいぃ」


 そんな照れる結衣も、ものすごぉぉぉ~くかわいいです、はい。

 そんなことを思いつつ、南大門をくぐる。


 「――そうだ。伊織、これのマネしてよ」


 結衣が立ち止まって指さした先には、金剛力士像の阿形像と吽形像が俺たちを見下ろすように、毅然とした顔つきでお立ちになっていた。


 「お、俺っすか……?」


 「うんっ! さっきのお返し♪」


 結衣さん悪魔っすね……。


 「わ、わかった……」


 俺は過ぎ行く観光客に微妙な視線を浴びせられつつも、運慶と快慶になったつもりで一生懸命にこの二つの表情を真似てみたのだった。


 そしてついに本丸の中の大本命である大仏殿へとたどり着く。

 本殿までの直線の道から雰囲気を感じていたが、目の前に立って見るとやはり写真越しで見るよりもずっと迫力を感じる。


 「わぁ……すごい……大きい……」


 俺も結衣も、そして北間さんと高橋さんも、そんなありきたりな感想しか言えないほど、その貫禄に圧倒されていた。


 「あ、そ~だ。いいこと思いついた! この大仏のマネしてるところを誰かに撮ってもらおうよ!」


 「えっ……⁉」


 しかし女子の行動力は俺よりもずっと高く、高橋さんは知らない人に声を掛け始めた。

 そしてその人を連れて戻ってきて、カメラを向けられる。


 一体俺は何回石像になるのだろう。いつかウルトラの力に目覚めたりなんて……。

 そんなことを思いつつ、本日二度目の石像の真似をすることになった。

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