第132話 誤解
「…………っ!」
屋上に一歩踏み入れたところで、俺は息を呑んだ。
十月初めの午後四時半。
暦の上では冬と言われても、半袖のTシャツで過ごせるのだから、まだ秋にすらなっていないのではないかとすら思ってしまう、今日この日。
太陽はもうすぐ水平線に辿り着きそうな位置にぼんやりと浮かんでいるが、未だにその熱を全身で感じる。
ひと際明るく光っている太陽の周りは段々とグラデーションを描くように暗がりを見せ始めている。
これを見ていると、どこか既視感を覚える――そう、それは、俺と結衣が付き合い始めた、あの体育祭の日の景色だ。
あの日も、今日のような幻想的な世界が空一面に広がっていた。そういえば、あのときも同じ時間帯だったっけ……。
ということは――。
俺は視線をまっすぐ戻す。すると、やはりあのときと同じように、フェンス際に一人の少女がぽつりと立っていた。
後ろ姿しか見えなくて、しかも距離も少しある。だけど、俺はそれが誰なのかは一瞬でわかった。
「――結衣」
俺はその名前を口に出して彼女に近づいて行くと、後ろ姿の彼女はびくっと肩を震わせる。しかし、こちらを振り向くことはしない。
ここ最近はほとんど口すら聞いていなかっただけに、後ろ姿だけしか見えていないと、一歩を踏み出すたびに「また無視されてしまったらどうしよう」だとか、「拒絶されてしまったらどうしよう」だとか、そういったマイナスの思考が頭を支配していく。
「――結衣」
二人の距離が2mくらいになったところで、もう一度その名前を呼ぶ。
「い、伊織……」
すると、今度は俺の方を振り向いて名前を呼んでくれた。
「ちょ、直接話すの久しぶり……だね」
「そ、そうだね……」
結衣は屋上に吹き込む風でなびいている結夕日に照らされてきらめくダークブラウンの髪の毛を押さえながら口をつぐむと、そのまま俯く。
「え、えっと……あの……結衣。さっき言ってた話って……」
「そ、そうだった……」
お互いがかなりぎこちない口調や仕草になってしまう。二人の間にできたよそよしさを感じるようになってから、結衣との距離が掴めずにいて、足元がおぼつかない。
結衣は小さく咳払いをすると、ぽつりぽつりと口を開き始める。
「い、伊織は……わたしの他に好きな人いる?」
「――はい……?」
何を言い出すかと思いきや、とんでもないことを耳にした気がする。
「ゆ、結衣……? そ、それってどういう……?」
「そ、そのままの意味で……。伊織には他に好きな人がいるのかなって思って」
……よ、読めない。結衣の言っている意味がこれっぽっちも理解できない。
「ど、どうしてそう思ったの……?」
俺には全く心当たりがない、っていうかあったらそれは逆に問題なんだけど……。
だから結衣にその根拠を聞くしか他に方法がなかった。
「――里沙ちゃん」
「り、里沙って……佐々木?」
「そう」
「なんでここで佐々木の名前が出てくるの――ってまさか……」
「そう。伊織は里沙ちゃんのことが好きなんじゃないかって。ほら、よく楽しそうに一緒にいるじゃん」
「そ、それは……文化祭実行委員で同じだから……」
すると、なぜか結衣の瞳から大粒の涙が沸き上がる。
「じゃ、じゃあ……文化祭実行委員で一緒だったら、お休みの日も二人で仲良く楽しそうにデートとかもするんだっ!」
「ちょ、ちょっと結衣……?」
口調を強めてそう言い切ると、そのまま顔を両手で覆ってしまう。
「そ、その……俺と佐々木が二人でデート……って、いつの話……?」
「文化祭の二週間くらい前の土曜日。駅前のショッピングモールで、伊織と里沙ちゃんが楽しそうにお話しながら雑貨屋さんに入っていくのを……わたし、見たんだよ……」
「あっ……」
結衣の詳細な説明で、記憶の引き出しからその日のことが鮮明に脳裏に浮かび上がってくる。
たしかに、俺はその日、佐々木とショッピングモールに新しくできた雑貨屋さんに入った。たしかにそうだ。
でも、それには深い深い訳が……。
屋上の入り口に置いてきたバッグの中には、そのときに買った「それ」が入っている。
渡すとしたらこのタイミングしかないんだろうけど、結衣が微妙に誤解をしているせいで、渡わたしても喜んでもらえるかどうかがかなり怪しい。
「ねぇ、伊織っ! わたしの知らないところで里沙ちゃんと付き合ってるの⁉」
結衣が大粒の涙をこぼしながら俺のTシャツを掴むと、力いっぱい前後に揺らしてくる。
「ゆ、結衣……あの――」
「――ねぇ、どうなの? 何か言ってよっ!」
結衣は興奮してしまって俺の言葉が聞こえていないのだろう。結衣の手に込める力だけがどんどんと強くなっていき、それにつられて俺の身体も大きく揺れ始める。
「――ゆ、結衣、落ち着いて、落ち着いてってば!」
俺が少し大きめの声でそう言うと、その動きがピタッと止まり、結衣の手が離れる。
「やだ、やだよぉ……落ち着けないよぉ……」
結衣はその場に座り込んで泣き始める。
俺もしゃがみこみ、小刻みに震えて過呼吸になりそうなほど浅い呼吸をしている結衣の肩に、そっと手を乗せる。
「結衣……ちゃんと話すから、俺の話を聞いてほしい――」
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