第133話 不意打ち

 「――たぶんだけど……結衣は誤解してるんだと思う」


 「な、なんでよぉ……」


 「俺があの日、たまたま佐々木と会って――」


 「そんな、そんなのの言い訳の常套句じゃない……」


 「ち、違うって! 本当のことだから」


 俺は真実を話しているけど、結衣はなかなか納得してくれない。もしかすると、簡単には俺の話していることを信じることができないくらい、結衣の中では深刻な問題だったのかもしれない。


 ひとつ隠していることがあれば、それは結衣へのプレゼントのことだ。

 でも、それははまだ伏せておきたい。ここで話してしまえば、それはサプライズにはならないから。どうしてもそれだけは貫徹したい。


 「――証拠」


 「しょ、証拠……?」


 涙目の結衣がおもむろにその二文字を口にする。結衣は何を言っているんだろうと首をかしげる俺にさらに続ける。


 「そう。伊織が里沙ちゃんと付き合ってないのなら、その証拠を見せて。そうじゃないとわたしは信じない」


 結衣の声はいつもよりもずっと真剣なものだった。そして、その目も、生半可なことをしようものなら絶対に許さないと言わんばかりに俺のことを見つめていた。


 「……わかった。ちょっと待ってて」


 もうここしかない。とっておきの切り札をここで使おう。

 本当はもっと違う雰囲気で、笑い溢れる和らいだ雰囲気の中でやりたかった。でも、結衣が誤解をしてしまったのには、少なからず俺に原因がある。

 だから、結衣に喜んでもらえるかどうかは置いておいて、まずは結衣に誤解を解いてもらうのが最優先だ。


 俺はくるりと反転すると、走って屋上の入り口に向かう。

 そして、そこに置いている鞄からラッピングされた紙袋を取り出し、それを結衣のもとに持っていく。


 「伊織……それは?」


 「――これが証拠、いや違うな……」


 せっかくのプレゼントを証拠呼ばわりするのはちょっと失礼だし、渡す方も気が引けてしまう。こうなったら直球ど真ん中で行くしかない。


 「――結衣、お誕生日おめでとう」


 俺はその紙袋をそっと結衣に手渡す。


 「えっ……ど、どういうこと?」


 いきなりすぎてうまく要領を掴めていないみたいで、目を丸くしながらその紙袋と俺とを交互に見ている。


 「そのままの意味だよ。だって今日は結衣の誕生日だから。それを買うためにあそこに行ったけど、俺一人で入りづらくて、そこで偶然会った佐々木が付いてきてくれたんだよ」


 「そ、そうだったの……?」


 「いやぁ……本当はもっとサプライズで渡したかったんだけど……このタイミングになっちゃってごめんね……」


 「そ、そ、そんなことないよ……。じゃ、じゃあ、本当にわたしがずっと勘違いをしてたの……?」


 「そ、そうかもね……あはは」


 「そ、そんなっ……。伊織はわたしのためにプレゼントを買いに行って。そのときにたまたま里沙ちゃんと会っていたのに、それを見たわたしが勝手に変な風に考えて、思い込んで、伊織にあんなに冷たい態度取っちゃったの……?」


 結衣は一人でぶつぶつと言いながら顔を青くしていく。


 「ゆ、結衣……大丈夫?」


 「い、伊織っ!」


 「は、はいっ……?」


 「本当にごめんね……」


 結衣は深々と頭を下げる。


 「そ、そんなことないって……。もとはと言えば、俺が曖昧な態度取ってたのも原因だし……。サプライズに固執しちゃって、それをもっと、早く言わなかったから、余計に気まずくなっちゃったんだから……。俺も本当に悪いと思ってる」


 これはどっちが悪いとかどっちが正しいとか、そういう問題ではない。

 「謝って済むなら警察なんていらない」とはよくいったものだ。謝るという行為によって善悪の決定がされるわけではない。むしろ、自分の気持ちを相手にしっかりと伝えるという側面で謝ることが重要になってくるのではないだろうか。

 結衣がその気持ちを伝えてくれたのに、俺だけ何も伝えないのは間違っているし、筋違いな話だと思う。


 「――結衣。もう大丈夫だからさ。顔、上げてよ」


 いつまでも頭を下げ続けている結衣に俺が声をかけると、肩を上下させながらそのまま俺の胸に飛び込んできた。


 「い、伊織ぃ~!」


 「ゆ、結衣っ⁉」


 「こんなわたしを……許してくれるかわからないけど……。わたし……ほんとにびっくりして、焦って、とっても怖かった……。伊織はかっこいいから、他の女の子だってそれに気づいて好意を寄せるかもしれないって……。わたしなんかより魅力的な人だってたくさんいるから、伊織はそっちに目移りしちゃったのかもしれないって……すっごく心配だったの……」


 「そ、そんなことあるわけないだろ!」


 結衣のそんな弱気な発言を俺は即座に否定する。

 「誰が魅力的とか、そうじゃないとか、そんなのは関係ないよ。俺が好きなのは――結衣だよ」


 「っ…………伊織……伊織……」


 「結衣……」


 屋上に結衣の嗚咽が響き渡る。

 さっきよりも暗がりが増してきて、秋独特の夜風が屋上を駆け抜けていき、空気を冷やしていく。

 気温だけは下がっていくが、お互いの体温が伝わっているおかげで、俺と結衣の周りだけは少しだけ温かい空気が漂っている気がする。


 しばらくそうしていると、体育館からバンドの音が聞こえてくる。


 「――あ、後夜祭始まったみたいだね」


 「そ、そうだね……」


 「俺たちも少しだけ寄ってから帰らない?」


 「いいよ!」


 「じゃあ行こうか」


 「うん!」


 俺は「だいぶ冷えて来たね」と腕を擦っている結衣の手を取ると、そのまま二人手を繋いで体育館へと向かった。 


 後夜祭は軽音楽部の演奏を中心に盛り上がりを見せていて、あっという間に時間が過ぎてしまった。

 結衣と歩いている帰り際、駅までもうすぐというところで、不意に結衣から名前を呼ばれる。


 「ねぇ、伊織……こっち向いて」


 「どうし――」


 俺が言葉を言い終わる前だった。振り向きざまに俺の唇に何かが一瞬触れた。


 「えっ……?」


 俺が結衣の方を振り向くと、結衣は俺に背を向けて俯いていた。

 最初は何が起きたのかわからなかったが、耳まで真っ赤に染まっている結衣と、唇に残っている柔らかい感触――この二つから導き出せる答えは一つしかなかった。


 「ゆ、結衣……その、えっと、あの……」


 「わ、わたしも……伊織が大好きだよっ!」


 挙動不審になる俺に、結衣はそれだけ言うと、走って改札へ行ってしまった。


 「結衣さん、不意打ちは反則ですよ……」


 呆然と立ち尽くす俺の独り言は、吹き込んできた風に拾われて遠くへ流れて行った。

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