第130話 約束
それからは校舎巡回ではなく、会議室で文化祭運営の仕事を始める。
そこでは主に当日申請から、買い出し許可、衛生チェック表の確認や指導、各展示物の点検など、文化祭運営の中枢となるものばかりだ。
これらは当日に行うことということもあり、どうしても前々に追わせておくことはできない。つまりそれは、実行委員の軟禁を意味するのである。
三年生は比較的クラスへの参加を許されているため、これらの最終責任は俺たち二年生が負うことになっている。
去年実行委員を経験したことのある人ならある程度の予測はつくんだろうけど、俺は全くの初心者。一年生と同じ扱いをしてもらってもいいレベル。
そのくせ責任だけは一丁前に付き纏う。なんてことだ、けしからん。
ブツブツと心の中で文句を言いつつも、マニュアルを見ながらなんとか業務をこなしていた。
それから一時間くらいが経った頃だろうか。ポケットで携帯が振動する。
達也が「文化祭一緒に回ろうぜ」とかメッセージ送って来たのだろうか。
俺はあらかじめ忙しいから多分無理と伝えておいた。もしそれをわかった上でのものだとしたら、嫌味この上ない。
俺は達也にどんな仕返しをしようか考えつつ携帯を開く。すると、メッセージの差出人は達也ではなく、結衣だった。
「お、おぉ……?」
周りが仕事をしているのに、つい思っていることが言葉に出てしまった。おかげで横の人から軽く視線を感じる。……ごめんなさい。
俺は会議室から出て壁に背を預ける。そして、メッセージを確認する。
[話したいことがあるから、文化祭が終わった後時間ある?]
「そ、それだけ……?」
結衣から送られてくる久しぶりのメッセージは、思っていたよりもシンプルで短いものだった。
でも、メッセージが一件来るだけでこんなに嬉しく感じるのはいつぶりだろうか。
今まではメッセージが来るのがどこか当たり前のことのように思っていた。
人は誰でもその状態や環境に慣れてしまうと、ほとんどの場合で弛緩してしまい、それを普通のことのように捉えてしまう。
もちろん、良い状態を普通に感じることがすべて悪いというわけではなく、モチベーションとかの面ではかなり有効な手段ではある。俺も陸上をやっていたときはそうだったから。
でも、例えば、友達が多くなれば、多いことが。お金持ちになって羽振りが良くなれば、良いことが。それが当たり前になって、最初の頃の気持ちを忘れてしまいがちになってしまう。
「初心にかえる」とはよく言ったものだ。この言葉は今まで幾度となく耳にしてきたが、今ほどこの言葉が自分の胸に刺さった瞬間はない。
俺はすぐに「空いてるよ」と返信をしようとしたが、そこであることを思い出す。
「あっ……」
そういえば、朝、村井から直接「文化祭が終わったら話がある」と言われていたんだった。
さすがにそれをすっぽかすことはできない。
俺は文化祭のタイムテーブルを確認する。
「なるほど……午後三時に文化祭が終わって、午後五時から後夜祭。その間に実行委員の後片付けをするって言ってたから、その間ちょっとだけ村井との時間を作ることができるな……。よし」
タイムテーブルの紙をたたむと、携帯に文字を打ち込んでいく。
[うん、空いてるよ。でも、実行委員の仕事の残りを片付けなきゃいけないから、四時半くらいでいいかな?]
すると、俺からの返信を待っていたかのように、ものの数秒で既読が付く。
[うん、わかった。じゃあ屋上で待ってるね]
[おっけー]
「――四時半に、屋上か……」
結衣からどんな話をされるのだろうか。約束をした後なのに、少しずつ不安が滲んでくる。
「――高岡く~ん、仕事残ってるから早く戻ってきて~」
「えっ、う、うん。今戻る!」
でも、そんな不安をどうしようか考える暇もなく俺は仕事に強制送還され、結局文化祭の大半を会議室で過ごすことになった――。
【――ただいま、午後三時をを持ちまして、今年の桜浜高校の文化祭は終了の時間となります。生徒のみなさんは速やかにクラスに戻ってください。また、ご来賓の方々につきましては、お忘れ物のないよう、気を付けてお帰り下さい。繰り返します。ただいま、午後三時を持ちまして――】
この放送を聞いたのも、この会議室だった。
長い長い文化祭も仕事仕事仕事……であっという間に過ぎ去っていってしまった。これが学校のために尽くすということか……。
「――みなさん、お疲れさまでした。とりあえず、各クラスに戻ってホームルームに出席して下さい。その後のことは追って連絡しますので」
松山先輩がそう言うと、席に座っていた実行委員たちが一斉に立ち上がる。
「「「はぁ~い」」」
ここにいるみんなもきっと疲れているのだろう。返事が伸びきっている。
さてと、俺も重たくなった腰を「よっこらしょ」と上げると、あくびをしながら教室に足を向ける。すると、不意にTシャツの裾を掴まれる。
「ふぁ~い……?」
あくびと「何?」が重なって絶妙に謎な返事になってしまったが、裾を掴んでいるのは村井だった。
「せ、先輩……約束……忘れてないですよね……?」
「当たり前だろ……? ホームルームが終わった後でいいよな?」
「は、はいっ! え、えっとぉ……場所なんですけど……」
「場所? ここじゃダメなの?」
「こ、ここでっ……⁉ そ、そんなの絶対ダメです却下ですありえないですっ!」
「あぁ……そう、ダメなのね」
何だかものすごい剣幕で色んな言い方で「ダメ」を三回連続で喰らってしまった。
「じゃあどこならいいんだ?」
「な、なるべく人目のつかないところ……」
「えっ⁉」
どうしたんですか、村井さん。一目のつかないところで何をしようと⁉ もしかして闇の取引――なわけないか。
「そうだな……それなら理科準備室の前とかなら誰も来ないだろ」
「それって三階の……?」
「そうそう」
「三階の理科準備室……ですね。ふぅ……わかりました。ではよろしくお願いします、高岡先輩」
「お、おう……」
村井は軽い口調でそう言ってはいたものの、顔は真剣そのもので、そのギャップに俺は少し混乱してしまう。
一体村井はどんな用件で俺を呼び出したのか……。
ホームルームが終わって、それぞれが片づけを始める中、俺は一人階段を上り始めた――。
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