第129話 巡回

 「――ふぅ、何とか間に合った……」


 会議室で実行委員の一、二年生たちに、今日の実行委員の動きやらが詳細に書かれたプリントを配っていたら、時間がギリギリ、ホームルーム数分前になってしまった。

 いや、もしかしたら普段の学校のときよりも早く着いたか……? 


 まぁどちらにせよ、文化祭当日だろうが平日の学校だろうが、俺はいたって通常運転をしているのかもしれない――ある一つの懸念事項を残したまま。


 教室はいつになく盛り上がっていて、女子を筆頭に掛け声を出したりしていて、文化祭にかける思いの強さを目の前で感じる。

 それはホームルームの時間になって柳先生が入ってきてからも続くとは思ってもいなかった。


 でも、柳先生の服装がいつものパンツスーツでじゃないし、なんだかんだ柳先生が一番文化祭楽しみにしてるじゃねぇか。なんだあの声のデカさは。

 いつものけだるそうに伸びきった声とかけ離れすぎだろ。服装も雰囲気も全然違うから、一瞬マジで別人かと思ってしまったぜ。


 しかし、ヒートアップしているこの教室の雰囲気とは対照的に、なかなかそういった気分になり切れない自分がいた。

 なぜなら、主だってしゃべっている女子の会話の節々から「結衣」という単語が聞こえてきたからだ。


 たとえ結衣のことを視界に捉えていなくても、それを聞くたびに、これまでの結衣の冷たい「べつに」という言葉が脳内再生されてしまう。

 それはどんどんと波の波長が重なっていくように増幅していくから、脳の血管がそれに圧迫されていき、脈を打つごとに「ズキン、ズキン」と痛み出す。


 この苦しさから解放されるためには、女子たちに「今すぐ会話を止めてくれ」と言えばいいんだろうけど、そんなことはとてもじゃないけど俺の口からは言えない。

 言ったところで変わりはしないだろうし、そもそも会話中には結衣だっているんだ。

 ただでさえ結衣との関係は冷え込んでいるのに、これ以上二人の間に冷気を当て続けることができるほど変な趣味はあいにく持ち合わせていない。


 先生を含めた掛け声が終わると、クラスメイトがそれぞれの持ち場に移動を始めていく。

 俺は実行委員の仕事が別にあるため、シフトには入らないことになっている。

 どうやらその辺りで文化祭への参加を促そうとしているんだろう。


 だが、今の俺にとってはそれがとてもありがたい。

 なるべくならこの教室から距離を取って、少しでも気分を落ち着けて楽になりたい。

 俺は実行委員のシフト表をぎゅっと握ると、最初の仕事に向かうべく、教室を静かに後にした。


 「――それにしてもすげぇクオリティーだな」


 校舎内の巡回。それが文化祭における俺の最初の仕事だ。

 各クラスの出し物を見て、最終申請時のものからの大きな逸脱がないか、危険な行為が行われていないかなどを確認していく。いわば風紀委員の文化祭バージョンといったところだろうか。


 それにしても、今の俺は仕事中で各教室の設備等の確認をしなければならないにもかかわらず、出し物の完成度の高さばかりに目が行ってしまう。

 調理のクラスは、画用紙や布のみで本格的なレストランの雰囲気が醸し出されている。


 冷静になって考えてみれば、高校生の素人が作る料理だということもあってか、見た目のクオリティは専門店のそれには到底及びはしない。

 でも、この文化祭という行事の中で食べるからこその付加価値があるのであり、ここに来ている人たちは、むしろそういった付加価値を求めてきているのではないだろうか。


 そこから少し歩くと、お化け屋敷のクラスが見えてくる。

 学校備品の暗幕をしっかりと使いこなして暗室を完全再現し、廊下の壁のポスターにはかなり……いや、これ本物? と思うくらいリアルな血しぶきの模様が描かれている。


 外からだと中の構造までは把握することはできないが、時より室内から聞こえてくる「ぎゃー!」だとか「助けてぇぇ!」という結構ガチなトーンの断末魔を聞けば、何となくではあるが想像がつく。


 うわぁ……これ絶対怖いやつじゃん。お祭り大好き野郎どもがこれでもかというくらいの知恵を出し合って、怖いDVDなんかも参考にして作ったんだろうな……。俺は遠慮しとくわ……。


 どれもこれもレイアウト申請のときは白黒のシャーペン画だっただけに、今手元にある申請書と現実の違いが凄まじい。細かいところまで確認するのに、何度も何度も見比べてしまったほどだ。


 それからほどなくして自分の持ち場を一周したようで、俺はメイド喫茶に戻ってきていた。すると、そこにはこれまで見たきたことのないほどの行列ができていた。


 「もしかして、みなさんここのメイド喫茶に並んでます……?」


 最後尾に並んでいる、ちょっと太っていて髪の毛を後ろで結び、眼鏡をかけ、チェック柄のシャツを着ているお兄さんに声をかけてみた。


 「そうだよっ! 今日は家の近所でメイド喫茶があるっていう話を聞きつけていてもたってもいられなくていつもはアキバの方に遠征するんですけど今日は何ていうかホームって感じでとても新鮮な感じです!」


 「そ、そうですか……」


 息継ぎなしの恐るべき肺活量とその心意気に圧迫感を覚える。こ、これが本場の方ですか……。

 自分とは系統が少し似ているが、そのはるか上を突き進む人の生の声を思いがけないところで聞いたぞ……。

 その人に会釈をしてから、俺は廊下から室内に目を向ける。


 「っ……!」


 そこに広がっていたのは、本物のメイド喫茶(行ったことないからネットでしか見たことないけど)だった。

 クラスの女子たちがメイド服に身を包んで接客をしている。むさ苦しい男子を完全に裏方に回すことで、しっかりと華やかな空間が演出できている。完全に計画通りじゃないか。


 その中で、俺は結衣の姿を見つけてしまった。

 なるべく結衣のことは頭から離しておこうと思っても、そうしようとすることでどうしても思い浮かべてしまうから、結局はずっと結衣のことが頭に残ったまま。


 だから今もせわしなく動いている人の中から結衣を見つけたのかもしれない。

 結衣のメイド服はとてもよく似合っている。だから直接「かわいい」と言ってあげたいけど、今の俺にはそんなことはたぶんできない。

 少し胸が痛むけど、俺はその場からすぐに立ち去った――。

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