第124話 真剣さ

 「うわぁ……」


 俺は思わず感嘆の息を漏らす。

 今日は長い準備期間を経て、ようやく我らが桜浜高校の文化祭、通称「桜門祭」が開催される。

 

 この一カ月の間に、クラスはおろか、学校全体が文化祭に向けて動いてきた。その先頭に立って指揮先導をしてきたのが、俺たち実行委員だった。

 各クラスの出し物の申請から始まり、それに合わせた教室の配置、レイアウトの申請許可、学校備品の貸し出しなど、業務内容は多岐にわたった。


 実行委員がやらなければならないことは毎日積み重なっていき、最終的にはエベレスト並みに積み上がったんじゃないかとすら思ってしまう。

 朝に集まり、昼に集まり、放課後に集まり、しまいには休日出勤まで。ほとんど休みなく仕事をこなしてきたから、たしかに大変ではあった。

 でも、それは文化祭当日の学校の様子を見ればそれらすべて良い思い出となって脳裏を駆け巡っていく。


 校門前にでかでかと設置された「桜門祭」の看板。桜の花びらを意識しているのか、ピンクを基調とした板に、白波を描いている。これだけ見ても、この看板が桜浜高校を示していることは一目瞭然だった。


 看板設置の最終調整をしている事務員さんや有志生徒に軽く会釈をして門をくぐる。

 すると、俺の視界に飛び込んできたのは、昨日までとは全く違う光景だった。

 至る所に各クラスが作った色とりどりの出し物のポスターが掲示され、校舎の窓ガラスにまで同じものを貼っているクラスまで。

 この敷地内にいれば、360度どこを見ても余すことなく宣伝が視界に入ってくることだろう。それくらいここにいる生徒の文化祭にかける思いの強さがひしひしと伝わってくる。


 ゆっくりと校舎のすべてを歩いて回って見て回りたいと思ってはいるが、文化祭初日も朝から最終的な打ち合わせがあるとかどうとかで、実行委員には招集がかかっていた。


 とりあえず教室に行って荷物を置いてからにするか。俺はどこか別の方向へ行ってしまいそうになる足を制御して、自分のクラスの教室へと向かう。


 「おはようございま――って」


 普段なら入り際にあいさつなんてしないのだろうが、今日は自分が思っているよりもテンションが高まっているらしい。らしくもなく口を開いてしまった。

 しかし、教室内には人っ子一人の姿もなかった。


 「さすがに早かったか……」


 誰かに俺の珍事を見られなくてよかったと思う一方、誰かしらが反応してくれるのをどこか期待していた自分がいた。

 それだけに、この誰もいない静まり返った教室に妙な寂寥感を覚える。


 十月の入り、暦の上では冬にあたるこの季節。もちろん日中は暖かい日が続いているが、朝晩は肌寒いことも増えてきた。

 誰もいない日の陰った教室と朝の冷え込みは、気温以上に寒々しさを映し出す。

 屋外いる人たちが発していた雰囲気とはあまりにかけ離れているだけに、それが際立って感じられてしまう。


 こうしていると、楽しさよりも寂しさや切なさの方が上回ってきて、結衣との間にできた大きく深い溝を強く意識し始めてしまうかもしれない。

 俺はそれを振り切るように急いで荷物を置くと、会議室に走って向かった。


 「――お、おはようございます」


 俺が会議室に着いたときには、すでに実行委員の半数くらいが集まっていて、プリントを見ながら今日一日の文化祭運営の最終チェックなどをしていた。


 「あぁ、おはよう高岡くん」


 そう言って歩み寄ってきたのは、実行委員長の松山博光先輩。きりっとしたフチなしメガネがトレードマークで、事あるごとにくいっと眼鏡を持ち上げる癖がある。


 「今のところ二年生の実行委員の集合率があまり高くなくてね……」


 「そ、そうなんですか……?」


 たしかに、そう言われてみれば、同じクラスの佐々木や他の同学年の生徒の姿が見えない。あれ、もしかして俺遅刻ギリギリじゃない……⁉ うそっ、やったぁ。


 ただ、松山先輩の「何に喜んでいるのか」という不思議そうな視線を感じたから、すぐに平静を取り繕う。


 「えぇと……一応今日の実行委員の見回り等のシフト表を渡しておくから、確認して失念しないでくれるかい?」


 「は、はい。わかりました」


 松山先輩から一枚のプリントを受け取ってそれを見ると、文化祭開始時刻から終了時刻まで、さらには後夜祭や最終下校の時間までの詳細なスケジュールと、その時間に巡回に当たる人が克明に記されていた。


 「これ……全部先輩が作ったんですか?」


 「いや……指示を飛ばしたのは僕だけど、作成自体は三年生の他の諸君がやってくれたんだよ。それを僕がチェックした」


 「へ、へぇ~」


 やること言うことがなかなかのハイクオリティー。これだけのことを思いつく松山先輩もすごいけど、それをこうして形にすることができる他の実行委員の実力も並大抵のものではないのだな……。

 いつもサボっているようにしか見えなかったけど、やるときはやる。これってすげぇことだよな……。


 「――じゃあ、そういうことだから、他の二年生や一年生が来たら渡しておいてもらえるかな? ちょっとこれから別の案件を当たらないといけないから」


 「あ、はい……」


 三年生の意外な一面に感心していると、松山先輩はプリントの束を机に置いてすぐに踵を返して元に戻ってしまった。


 「さてと……」


 俺はプリントの中の自分の名前を探し始める。

 実行委員は全学年で四十人ちょっとはいるから、ほとんど仕事なんて――と思っていたのが甘かった。

 巡回だけでなく、落とし物や迷子など、本部での仕事のウエイトが思っていたよりもあったからだ。


 それに、三年生は最後の文化祭ということもあってか、比較的シフトにゆとりがある。

 文化祭を運営するのは実行委員の大事な職務。いくら柳先生の策略によって無理やり実行委員にさせられたとはいえ、実行委委員になった以上は、決して疎かにするようなことがあってはいけない。

 にしても多いな……と内心焦っていると、横から声がかけられる。


 「――高岡先輩」


 振り向くと、そこには村井が立っていた。ただ、そのときの村井はいつものようなはつらつとした表情は鳴りを潜め、どこか覚悟を決めたような、真剣な表情をしているように見えた。


 「ど、どうした村井……」


 その真剣さに、俺の背筋も少しピシッと伸びる。


 「そ、その……文化祭が終わったら話したいことがあるので……その……時間空けといてくださいねっ!」


 それだけ言うと、村井はくるっと反転して、他の一年生がいるところに駆け足で戻ってしまった。


 「お、お~い、む、村井さん……?」


 一体村井は何を話すというのだろうか。

 俺はまだ村井の本心を知ることすら想像できなかった。

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