第105話 久々

 部室を出ると、ひぐらしの大合唱が出迎え、傾き始め輪郭がぼんやりとしてる西日が後ろから照り付けてくる。


 その声たちを聴くと、夏の終わりみたいなものをいやおうなしに感じてしまう。

 しかし、それでも真夏のパワーは衰えを知らないのか。夕方でもその日差しに当たっていると焼けてしまうのではないかと思うくらい熱くなってしまう。


 「はぁ~今日も疲れたね……」


 そんな道を歩きながら、横を歩く佳奈に話しかける。


 「ほんとだよ……。あいつどんだけテニスやりたいんだよ……体力妖怪め……」


 佳奈は恨めしそうな表情を浮かべながら、ブツブツと新部長への文句を並べていた。


 「そ、そうだね……」


 わたしは小さい頃からテニスをやっていたから、自分で言いうのはあれだけど、部の中でも実力は結構ある方だと思っている。


 でも、先輩たちが引退した後、わたしたちの代の部長になった子は、それを遥かに上回るほどの実力があるのに加え、体力も底知れない無尽蔵さで、周りの部員の頭一個分とびぬけている感じがする。


 しかも、中学のときに男子相手にストレートで勝っているとか、練習相手は常に男性顧問とか、そんなワイルドな噂が流れているのも事実。

 そんな人がひとたび部長になってしまえば、練習がハードになるのは火を見るよりも明らかだった。


 そのおかげで、夏休みという貴重な休みの大半を部活に費やすことになってしまった。もちろん、テニスは大好きだから、部活が嫌ではないんだけど……。

 わたしはもうちょっと休みがあればな……とは思っていた。だって伊織との時間ももう少し多く欲しかったから。


 「そういえば、結衣。最近伊織くんとはどんな感じ?」


 「えっ? えっと……ちょっと最近は疎遠気味……です」


 「そっか~結衣もか。私もだよ……。メッセージのやりとりはしてるけど、やっぱり面と向かって話したくなっちゃうんだよね……」


 「そ、そっか……」


 わたしは佳奈のちょっと寂しそうな横顔を見て、心臓がドキッとする。

 実のところ、わたしは海水浴以来、伊織とは顔を合わせるどころか、メッセージのやり取りすらもほとんどしていない。


 きっとわたしが部活で忙しいから気を遣ってくれているからなのだろうけど、彼からのメッセージは、密かにわたしのモチベーションを上げてくれていた。

 だから忙しくて会えないときもあったけど、それを支えになんとか乗り越えることだってできていた。


 それはきっと伊織本人も、そして横を歩いている佳奈でさえ知らない、わたしの内に秘めていること。

 でも、だからと言って直接伊織に連絡してほしいとか、佳奈に頼んで連絡してもらうようにするとかはしない。


 それはふとしたときに来るからこそ胸がときめくのであって。お膳立てされて、うれしくないとまではいかないまでも、それはちょっと違うと思うから。


 「あぁ~早く休みに、休みになってくれぇ……休みはいつだ……?」


 佳奈が携帯で今後の部活の予定を確認していると、わたしの携帯が振動し始める。

 おもむろにそれを手に取って画面を開くと、そこには「高岡伊織 着信」と表示されていた。


 「えっ……⁉」


 わたしはいつぶりか見た名前を見て仰天してしまった。おかげで佳奈は驚くわたしの声に驚いて携帯を地面に落としそうになっていた。


 久しぶりにお話ができる。そう思うとうれしさが滲み出てくるけど、今は佳奈も隣にいるし、後でかけ直した方がいいのかな……。そう思って通話ボタンを押すのを一瞬ためらってしまったけど、佳奈がわたしの肩に手を乗せて「うん」と頷く。


 「結衣が電話一本でそこまでテンションが上がるんだったら、相手はもう一人しかいないでしょ。ほら、切れる前にさっさと出ちゃいなさいよ。私なんか気にしなくてもいいからさ」


 「か、佳奈……」


 わたしは佳奈の和らげな笑みを見ると、心を決め、指を画面にタップした。


 「――も、もしもし……」


 「あっ、もしもし……? 俺だけど……今電話大丈夫?」


 「うん。だいじょうぶだけど……。ど、どうしたの……?」


 わたしはものすごく緊張して心臓が全力疾走した後みたいにバクバクしている。持つ手の震えも収まってくれない。

 でもそれは伊織も同じなのか。電話口の向こうの呼吸音が微かに震えていた。


 「そ、その……今度の土曜か日曜なんだけど。あの……時間空いてるかなって思って」


 「今度の土日……? ちょ、ちょっと待ってね」


 わたしは佳奈の方を向いて聞こえるようにそう言うと、佳奈は「調べる」と携帯とにらめっこを始めた。

 それから数秒後、「土曜は午前練習、日曜は練習試合で遠征」と、佳奈が小さな声で教えてくれた。

 わたしは佳奈にグーサインを送ると、注意を電話口に戻す。


 「え、えっとね……。土曜の午後なら空いてるよ」


 「ほ、ほんとっ⁉ よかったぁ……」


 伊織がものすごく安心したような息を漏らす。顔が見えなくても、彼の緩んだ顔が想像できそうだった。


 「そ、それで……」


 「あっ、俺だけ喜んでる場合じゃなかった。あはは……ごめんごめん」


 「そんなことないって。わたしもすっごくうれしいよ」


 もしここが道端ではなくて家だったら。もし佳奈とではなく、一人でいたとしたら。きっとわたしは人目をはばからずに思いっきり飛び跳ねていたかもしれない。


 「それはよかった……。そ、それで、土曜なんだけど……お……お祭りがあって。そこに一緒に行けたら……なんて」


 「――お、おまっ、お祭り⁉」


 「う、うん……。どう、かな?」


 伊織はどこか引け目を感じているような、ちょっと弱々しい声でそう尋ねてきた。もしかしたら、わたしの今の反応が何か誤解を与えているのかもしれない。


 「も、もちろんだよ! わたしもお祭り行きたいっ!」


 「本当に⁉ ありがとう! じゃあ時間とかはまた連絡するね」


 「うん、こちらこそありがとう!」


 「うん。じゃあまた」


 「ばいばい」


 通話が途切れ、機械音が一定間隔で耳に入ってくる。一息つくも、未だに脈打っていて、少し呼吸が浅くなっていた。


 「ふぅ~ん、結衣……ついに二人っきりのデートね」


 「ひぇっ⁉」


 「あはは~やっぱり結衣の反応好きだわ」


 「か、からかわないでよ……」


 「うはっははは~」


 佳奈のこの調子は、この後駅で別れるまで続いた。

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