第94話 策士

 「――お、お待たせ~」


 「ありがとう」「いや~ほんとに助かるわ」「サンキュー伊織」


 俺がパラソルの傘を背負って元の場所に戻ってくると、近藤さんと佳奈さんと達也が手を振って待っていてくれた。


 「いやいや、それほどでも……」


 実際、家族連れなんかは自前のテントを広げているから直射日光は防げるんだろうけど、俺たちみたいな軽い荷物で来るような人には、こうしてパラソルの貸し出しなんかが行われている。


 数も限りがあるみたいだったが、なんとか残りの数本にありつくことができた。これでどこにいても灼熱地獄の危機からは脱却できたと思う。


 もとから刺さっている支柱に今持ってきた傘を差し込むと、さっきまで日向だった場所に陰りが生まれる。


 「あぁ~涼しい~」


 砂の温度は依然として高いが、それでも直射日光を防いだことによって、体感温度はずっと低くなった気がする。

 少し大きめの傘を借りてきたのが功を奏したのか、四人がその中に入っても窮屈さはさほど感じることはなかった。


 「さてと。休憩場所も確保できたことだし、早速大海原に出発しようか」


 佳奈さんがギラギラと太陽の光を反射してなびいている群青色を指さして、立ち上がった。


 「佳奈、日焼け止め塗ってないのに行っちゃうの……?」


 近藤さんが佳奈さんにそう尋ねる。そのとき、一瞬佳奈さんが「かかった!」みたいな笑みを浮かべたのを、俺は見逃さなかった。


 「あぁそうだった忘れてた~」


 佳奈さんの言動は近藤さんを向いて行われているはずなのだが、なぜかその先に俺がいるように感じてしまうのはどうしてだろう……。


 「じゃあ塗ってあげるからこっち来てよ。ついでにわたしにも」


 「う~ん、それはありがたいけど……」


 そして佳奈さんがついに俺の方にちらっと視線を向ける。俺は背筋が凍る感覚を覚えた。


 「やっぱ私は達也に塗ってもらうからいいや」


 そう言って佳奈さんは日焼け止めを取りに更衣室に戻って行ってしまった。それに慌てて達也もついて行く。


 「えっ⁉ か、佳奈……? じゃ、じゃあ終わったらわたしにも……」


 「いや~多分時間かかるかもしれないからさ、結衣は伊織くんに塗ってもらいなよ。伊織くんも日焼け止め塗るでしょ? だったらちょうどいいでしょ?」


 「え、えっ、えぇぇ⁉」「ちょ、まっ……は、はっ⁉」


 近藤さんと俺は佳奈さんの衝撃発言に、言葉ともとれないような抗議を示す。

 しかし、佳奈さんはそんなことになりふり構わずに背中を向けて右手を高らかに掲げると、そのまま歩き出してしまった。


 パラソルの下には、俺と近藤さんだけが取り残されてしまった。

 お互いに日焼け止めを塗り合いっこするなんて考えもしていなかったから、どうしていいのかがまったくわからない。


 このまま言われたとおりに塗り合いっこするか、別々に塗るか……。

 完全に佳奈さんの策に俺と近藤さんがまんまと嵌った形になってしまった。


 何これ。わざと日焼け止めを塗らないで遊ぼうとして、近藤さんに日焼け止めの話を引き出させるなんて。

 これが佳奈さんの計画だったとしたら、佳奈さん策士過ぎる。それか、俺と近藤さんが単純すぎたのか。この二択だろう。佳奈さんやべぇ。


 ただ、それをああだこうだ言ったところで、もう時間は巻き戻すことはできない。過去の結果よりも今この状況をどうするかが問題だ。


 黙って座り込む二人の耳には、海辺でワイワイと遊んでいる人たちの嬉々とした声や、波打ち際に打ち付ける波の音が同じように聞こえているのだろう。

 無音の状態で黙り合うよりも、注意を分散することができるこっちの方が精神的には少しは楽なのかもしれない。


 「――あ、あの……近藤さん」


 「た、高岡くん……?」


 視線が合った近藤さんの頬は日陰のちょっとした暗がりでもわかるくらいに赤くなっているが、きっと俺も同じように真っ赤になっているだろう。だってこんなにも顔が熱いのだから。


 「ひ、日焼け止めはさ……。自分で塗ることにしない? ほら、だってほとんど自分で塗れるようなところばかりだし……」


 実際、自分の身体に手が届かないところなんてほとんど無いわけで、日焼け止めくらいなら自分一人で塗ることにさほど難しさはない。

 ではなぜ日焼け止めを男女が塗り合うのか……。


 それは――ただ単純にイチャイチャしたいからではないだろうか。


 ここに来るまでも何人かのカップルと思しき男女がじゃれ合いながらも塗り合いっこをしているのを横目にしてきたからわかる。

 だが、しかし。今の俺たちは付き合いの長いであろう大人なカップルとは違って、それよりも恥ずかしさが上回るに決まっている。


 近藤さんと塗り合いっこしたくないのかと言ったら嘘になるが、もしも俺がそれを無理強いして見ろ。強引で傲慢で自己中心的だと思われる。そして普通に嫌われるに決まっている。

 近藤さんに嫌われるなんて絶対に嫌だったから、俺はそう言った。いや、言うしかなった。


 これでいいんだ。何もおかしいことは言っていない。そう自分の中で納得しかけたとき、Tシャツの裾がちょんと引っ張られた。

 ふと横を見ると、近藤さんが俯きながら小さくこう言った。


 「――わたしは……一緒に塗っても……いいよ」 

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