第93話 白波の妖精

 「お、お待たせ……」「お待たせ~」


 「いやいや、全然待ってないよ――って……どうしたの?」


 佳奈さんはいつも通りんはつらつとしているけど、近藤さんは羽織っている上着の端をキュッと両手でつかみ、俯きながらもじもじとしている。


 「え、え、えっと……」


 「もしかして体調悪い? だったら――」


 「そ、そうじゃなくて……」


 近藤さんが言葉に詰まっているのを見かねたのか。佳奈さんがポンと肩をたたく。


 「あぁもうじれったい! 結衣! はやくこんな上着脱いじゃいなさい‼」


 そう言って佳奈さんは近藤さんの上着に手を掛けたかと思うと、ポーンとそれをはぎ取ってしまった。

 もちろんその下に何を身に付けているのかはわかっていたのだが、男子諸君の皆がそうであるように、俺も反射的に目を両手で覆ってしまった。


 「――伊織くんも。結衣のこと見てやんなさいよ」


 佳奈さんにそう言われて、俺はそっと手を目から離す。

 すると、そこには近藤さんが赤面しながら立っていた。


 「っ……⁉」


 そこで俺は何かを言わなければならないのだったのだろうが、その場に立ち尽くしたまま言葉を失ってしまった――いや、見惚れてしまったという方が正しいか。


 近藤さんが身に付けているのは、つい先日、俺と一緒に選んで買ったスカイブルーのひらひらたとしたフリルが付いた水着だった。


 買いに行って試着したときの近藤さんを一度この目で見ていたから、あのときほど動揺することはないだろうと、どこか高を括っていたのかもしれない。


 しかし、この状況は、想定のはるか何倍もを上回っているのだった。

 今、この白い砂浜の上に立っている近藤さんは、おとぎ話に出てくるんじゃないかというくらいに美しく、そして可憐に見えた。


 ――砂浜に佇む「白波の妖精」。


 今の近藤さんには一番近い例えを上げろと言われたら、この言葉が一番ピッタリくると思った。


 そして、極めつけは麦わら帽子。ここへ来るときにも花柄のロングスカートと絶妙にマッチしていて思わず見惚れてしまったが、このふんわりとした見た目が特徴のこフリルビキニとの相性も抜群だった。


 近藤さんは何を身に付けても誰にも負けない魅力をいかんなく見せてくれる。そして俺はその度にドキドキが加速していく。もう心臓がもたないよ、というくらいに。


 「――ど、どう……かな」


 近藤さんは黙り込んでいる俺に向けて、どこか縋るような目線で小さく尋ねる。


 「ど、どうって言われても……」


 俺はその視線に悩殺されそうになり、反射的に俯く。

 どうもこうもあるか。かわいい。かわいすぎる。こんなにかわいいなんて。近藤さんめちゃくちゃかわいい。うん、本当にかわいい。マジでヤバい。語彙力が崩壊しているなんて、今はどうでもいい。とにかく近藤さんがかわいすぎるのだけが事実。


 「――た、高岡くん……そんなに言われると……もう恥ずかしくて……」


 「えっ?」


 俺はその声で近藤さんの顔を向き直す。

 すると、さっきよりも顔を赤く染め上げ、今にも泣き出してしまうのではないかというくらいにプルプルと涙目になっていた。


 「お、俺何か言った……?」


 「う、うん……。そ、その……高岡くんがわたしのことを『かわいい、かわいい』って何回も言ってたんだよ……」


 「――あれっ……?」


 俺が達也や佳奈さんの方を見ても、二人とも頭を抱えながら、「丸聞こえだった」と口をそろえて言ってきた。


 なるほど。どうやら心の中で思っていたことが多すぎて、言葉になって溢れてしまったというわけか――って、そんなに余裕こいて考えている場合じゃねぇ!

 これじゃあ頭の中で無意識にそんなことをいつもグルグル考えているとんでもない奴だと思われてしまう。


 「え、えっと……近藤さん?」


 「ん……?」


 俺はもう一度しっかりと近藤さんの目を見つめる。そしてもう一度言う。


 「――水着、とっても似合ってる。それにとってもかわいい」


 「ひえっ⁉」


 近藤さんはまるで後頭部から出したのか思うくらいの声を発すると、麦わら帽子を深くかぶりこんでしまった。


 「――あ、ありがとう……」


 しかし、数秒すると麦わら帽子の中から声が聞こえてきた。


 「えっ?」


 「さっき、恥ずかしいって言っちゃったけど、本当はとってもとってもうれしかったの」


 平べったいつばに隠れてしまって近藤さんの表情がどうなっているかは俺からは見えないけど、それでも近藤さんの声ははっきりと俺の耳に届く。


 「だって、だって――」


 「近藤……さん?」


 そこからまた少し間が空いたかと思ったら、近藤さんは麦わら帽子のつばを勢いよく上に向けて、俺に顔を見せてくれた。


 「高岡くんがわたしのことをあんなに褒めてくれたから」

 

 「そ、そんな……ちょっと言い過ぎてドン引きとかしてない?」


 「全然してないよ。だって、わたし、高岡くんにたくさん褒めてほしくて頑張ったんだもん」


 「そ、そうだったの……?」


 「うん……。でも、本当に言われるとは思ってなくて、最初はびっくりしちゃって……」


 「何それ……ははは」


 「ほんとだよね……えへへ」


 目の前で笑みをほころばせている表情は、さっきのどうしようもなく恥ずかしがっていたそれとはまるで違く見える。


 でも、恥ずかしがっていても、うれしがっていても、近藤さんは近藤さん。いろいろな表情を見せてくれる。その表情の変化の一つ一つに、やはり俺は胸の高鳴りを押さえられなかった。


 「――じゃ、じゃあ俺パラソル借りてくるからっ!」


 風を切って走れば少しはこのオーバーヒートしそうな頭をリフレッシさせることができるかもしれない。

 上からも下からも熱気がすごいのに、どうしてそういう考えに至ったのかはほんとうによくわからないが、とにかく俺は駆け出していた。

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