第77話 上り坂

 今日も長い授業が終わり、あとは軽いホームルームを残すのみとなった。

 教壇には紺のパンツスーツがよく似合っている柳先生が、腰に手を当てて立っている。


 「……さて、ホームルームを始める。朝にも言ったが、期末試験まで今日で一週間となった。お前たちは二年生だから周知のことではあるが、学則に基づいて、試験期間中の部活動は原則として活動停止となっている。まあ、しっかりと勉強しろということだ。……以上。また明日、元気に登校するように」


 それだけ言うと、柳先生は右手をひょいと生徒たちに向けながら教室を後にした。

 毎度毎度思うことであるが、柳先生のその仕草、ちょっとかっこいいな……。

 なんならそこらへんのイキっている大学生よりもずっと。


 「――ねぇ、高岡くん」


 柳先生の後ろ姿に一瞬見惚れそうになっていると、近藤さんに声をかけられた。


 「ど、どうしたの近藤さん?」


 「えっとね……。その……さっき先生も言ってたけど……試験、近くなってきたよね」


 「うん」


 近藤さんはどこか歯切れが悪いように見える。


 「部活もなくなって、勉強しなきゃだよね……」


 ――あぁ、そういうことか。


 「今日、一緒に勉強する?」


 「っ⁉」


 目を見開いて、うんうんと頷く。よし、当たりだぜっ!


 「じゃあ、どこでやる……?」


 「ん〜どこにする……?」


 「図書室は――」と言いかけたところで、あの日ことを思い出す。二人で初めて勉強した、あの日のことを。


 隣同士で、お互いの吐息が感じられるくらい近くに座って、終始ドキドキが収まらなかったんだった。

 そのおかげでほとんど集中することなんて出来なかったし、内容だってまったくと言っていいほど頭に入ってこなかったな……。


 「高岡くん。喫茶店なんてどうかな……」


 「あぁ、そこがあったか! それいいね!」


 俺の考えにはなかった選択肢に、思わず語尾が上ずる。

 だってほら。喫茶店で勉強とか、めちゃくちゃオシャレじゃね? 

 スタバでマック開いてカタカタ打ってるのとか、マジで憧れちゃうよね……。


 「じゃあ、どこの喫茶店にする?」


 「そ、そうだね……」


 まず初めに思いついたのがスタバだけど……。あそこは勉強で行くにはちょっと引け目がある。


 だって高校生のお財布にはだいぶ打撃を与えちゃうんだよ? 

 一杯がファストフード一食分だよ?

 さすがにそれはちょっときついな……。


 オシャレに決め込もうとしたが、経済的な事情により、俺の脳内ではスタバ案が却下された。


 他に喫茶店なんて言われてもパッと思い浮かぶものがない。だってそんなところ行かないもん。

 どこか勉強ができて、それでいて高校生のお財布に優しい喫茶店はないのか……。

 そのとき、ふとある一人の顔が浮かんだ。


 ――晃さんだ!


 晃さんの喫茶店なら落ち着いた雰囲気で勉強にぴったりだろうし、コーヒーだってお値段以上の飲みごたえがある。


 それに何より、入りやすさが段違い。

 何をするとしても初めてって緊張するのは誰しもが経験する当たり前のことだ。

 彼女を喜ばせようと無理に初めての場所とか敷居の高いところに行ったとしても、そこでしどろもどろしていたら、彼女はガン萎えも甚だしいことだろう。


 つまり、勉強という本来の目的と、慣れていてかつリーズナブルという面で、晃さんの喫茶店はドンピシャってわけだ。もうこれは三冠王ですね。いや、トリプルスリーかもしれないな。……うん、どうでもいい。


 「あ、あの……近藤さん。俺いい喫茶店知ってるんだけど、今日はそこでいいかな?」


 「高岡くんのおすすめ⁉ とっても気になる!」


 近藤さんは瞳をキラキラさせながら頬が少し緩み始めていた。一体どんな喫茶店を想像しているのだろか……。


 ――近藤さん、今から行くのはスイーツ屋さんではないんですよ。勉強をしに行くんですからね。


 そう突っ込もうとしたけど、あまりに近藤さんが幸せそうな顔をしていたから、俺はのどまで出かかっていた言葉をゆっくりと飲み込んだ。


 「……じゃ、じゃあ、早速行こうか」


 「うん!」


 俺が歩き出すと、近藤さんはスキップでもするのかというくらい軽い足取りで横に並んで歩く。


 「近藤さん、なんか楽しそうだね」


 「それはもちろん! 高岡くんのおすすめの喫茶店だもん! とっても楽しみ」


 「そ、そっか……」


 それから俺と近藤さんは晃さんの喫茶店に行くために、校門を出てから駅とは逆方向に歩き始めた。


 「あれ……? 駅の方じゃないの……?」


 「うん、そうだよ」


 もちろん、俺はまだ近藤さんに晃さんのことは言ってないし、それにたぶん近藤さんも晃さんのことは知らないだろう。

 ちょっとしたドッキリみたいで何とも不思議な感覚だ。


 そう思いつつ歩いていると、今まで歩いていた道から一変、目線が斜め上に向けられる。

 俺と近藤さんの目の前に現れたのは、あの勾配のきつい坂だった。お互いに思わず立ち止まってしまう。


 「……も、もしかしてこの道を上るの……?」


 近藤さんは「まさか!」みたいな表情を浮かべている。


 「そうだけど……近藤さん、もしかしてこの道初めて?」


 「うん……。いつもは駅の方にしか歩かないから、ここは初めてだよ……」


 近藤さんは登り始める前から弱音を漏らしている。


 「まぁ、俺も最初来たときは自転車だったけど、マジできつかったな……」


 「じゃあ高岡くんはこの道はもう慣れた?」


 「いや……。実は二回目だから慣れてなくて……。で、でも。この前初めて行ってほんとにいい場所だったんだよ! だから、ここを上ればきっと素晴らしい世界が俺たちを待ってるはずだよ!」


 「な、なるほど……。じゃあ、わたし頑張るよ!」


 「よしっ! そうと決まれば上るのみ!」


 俺と近藤さんは意を決してその上り坂を進み始めた。

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