第75話 思惑

 「おーい、伊織!」


 放課後の教室にもかかわらず、とびきり響く声で俺の名前を呼ぶ声がした。

 もちろん、俺のことを「伊織」と呼ぶやつは達也しかいないわけで。それに、こんなにデリカシー皆無であればなおのこと。


 「なんだよ、そんなに大声で」


 「はははっ。わりぃわりぃ」


 悪びれた様子もなく謝りながら俺の席へとやってくる。


 「――それで? 何の用だ? 俺は帰宅するのに脳みそのキャパを全振りしてるんだわ。どうしようもないことだったら無視して帰るからな」


 「そう言わずに……ねぇ、伊織くん」


 何やらニヤついた表情の達也を見るに、こいつがろくでもないことを考えているのは明々白々なんだけどな。


 「なんだよ……勿体ぶらずにさっさと教えんかい」

 

 「わかったよ。そんなに知りたいなら特別に教えてやるよ」


 「いや、お前から言ってきたんだろうが」


 「はいはい。それじゃあ単刀直入に言わせてもらう」


 「お、おう……」


 達也はすうっと息を吸うと、こう切り出した。


 「――今度の期末試験、俺らと点数勝負しよか!」


 「…………はい?」


 「だーかーら。期末試験、俺らと、点数勝負。ドゥーユーノーオーケー?」


 「お、おーけーおーけー」


 達也の言っている言葉の意味はわかるけど、こいつの真意はわからない。


 「――で? 達也、一体どう言う風の吹き回しだ? お前から勉強の話を持ちかけてくるなんて。明日雪でも降るのか?」


 今は六月も下旬に差し掛かろうとしているが、万が一ということも考えられる。


 「おい、なんだよ。俺が勉強の話をしちゃいけないってのか?」


 「いや、別に。あまりにも意外すぎて腰抜かしそうだなって」


 「ふふ、あまり見くびるなよ、伊織」


 「な、何っ⁉」


 「――導線に……火が……付いちまってよ」


 右手で片目を抑えるようなポーズで低く唸る達也。あー、はい。これは……。


 「はいはい、厨二乙」


 まあ、そう来たらこう返すのが定石だからな。


 「ち、ちげぇし‼」


 達也は口ではそう言ってるが、何故かちょっとうれしそうに口角をあげている。何なの? もっと言ってほしいの? もしかして達也くんは……。


 「ま、まぁいいだろう。それでだ、伊織よ」


 「お、おう……」


 まだそれ続けるのかよ。ここ教室だぞ。少しは周りの目っていうものを考えたらどうだい?

 お前だけじゃなくて、俺も恥ずかしい思いをするかもしれないんだが。


 「中間試験の結果、見たぜ伊織」


 「あ、あぁ」


 「やっぱり学年順位で上位に入るとカッコいいよな……」


 「そりゃどーも」


 「そうすればさ、『あれ? 達也くんってスポーツもできるし、勉強もできるの? すごーい! 私……好きになっちゃったかも』ってなるだろう? 夢膨らむなぁ……」


 ――やっぱり。こいつが真面目な理由で勉強するなんて言うはずがない。俺が問い詰める前に自分から言ってくれたから、手間が減ったぜ。


 「ってか、お前佳奈さんがいるじゃないのか?」


 「そうだけど?」


 「そうだけどってお前……」


 「もちろん佳奈ちゃんが一番だよ。そりゃ彼女だし。でもな……男っているのは色んな女の子からチヤホヤされたいのだよ、伊織くん」


 「そ、そういうもの……なのか?」


 自慢げに「うんうん」と頷く達也を、俺はうまく理解できない。

 俺とこいつとの恋愛観がなかなか噛み合わないのはどうやら仕方のないことみたいだ。


 「と・に・か・く! 俺らの部活が終わったらファミレスまで来い。詳しいことはそこで話すから。わかったな!」


 俺の返事を待つことなく、達也は足早に教室を出て行ってしまった。

 

 ――それから数時間後。

 俺がファミレスに着いて中に入ると、達也と佳奈さんに加え、近藤さんが手を振って出迎えてくれた。


 「おう、伊織……来たな」


 「やっほ~伊織くん」


 「た、高岡くん!」


 「どーも……みなさんお揃いで……」


 俺はとりあえずドリンクバーを頼み、達也と佳奈さんの正面、つまり近藤さんの隣に座る。

 近藤さんのすぐ隣に座ってドキドキしてしまったが、達也の言葉でそちらに注意が引かれていく。


 「――さて、と。今日みんなに集まってもらったのは他でもない。……まぁ、伊織にはもう話したけど、今度の期末試験。そこで点数勝負をしようと思う。賛成の人は挙手を!」


 「はーい」「はい」


 佳奈さんと近藤さんはアイコンタクトのあと、同時に手をあげる。


 「えっ!? 佳奈さんも近藤さんも、このこと知ってたの?」


 「いや……ぶっちゃけ初耳。達也のやつ、相変わらず要件伝えてくれないからさ……」


 「わ、わたしも……」


 「じゃあなんでそんなにすぐ……?」


 「まぁ、何となく面白そうだから」


 「競い合った方が点数上がるかなって思ったの」


 「な、なるほど……」


 佳奈さんと近藤さんの単純だがしかし説得力のある言葉に、思わず納得してしまう。


 「なぁ、伊織……。どうするかはっきり答えてもらおうじゃないか」


 「高岡くん、どうするの?」


 「ほら、伊織くん、はっきりと」


 「うっ……そ、それは……」


 「「「やるの……? やらなの……? どっちなの!!」」」


 「――や、やりましょう」


 いや、もはや俺に選択肢の「せ」の字もなかった気がするんだけど。


 「よかった〜。伊織ってこういうのあんまり好きそうじゃなくてさ……」


 「ま、まぁね……」


 たしかに、俺は勉強を誰かと一緒にすることには否定的な考えを持っている。

 だって、誰かとやったところで集中できずに時間だけが過ぎちゃうことが多いからね……。


 まぁ、でも。中間試験のときみたいに誰かに教えるのは全然OKですけど。

 それに、点数勝負ということは必然的に競争になるわけで。勝負となれば、燃えないわけがないじゃないか。


 「じゃあ、全会一致で開催決定‼」


 達也はそう高らかに宣言すると、グラスを掲げる。こいつ、大学生になったら「KP KP」言いまくる飲み会大魔神にでもなるんじゃないのかな……?


 そんな一抹な不安を抱えつつも、達也、佳奈さん、近藤さんのグラスに自分のグラスをコツンと軽く合わせた。

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