第68話 圧力
「え、えっと……」
俺は正直に言って焦っていた。というか、完全に盲点を突かれた。
雨に打たれて冷えた身体を温めようと、せっかく家に連れてきてシャワーまで浴びさせてあげたのに、乾燥機の時間をまったく考えていなかった。
「……ちなみに近藤さん。乾燥機、あと何分ってなってる?」
「えっと……あと三十分だよ」
「んんん……どうすれば……」
ぶっちゃけ、今の俺にはこの状況を打破する名案を思いつくことはできない。
「あ、あの……高岡くん」
「ん? どうしたの?」
「もし、高岡くんさえよければなんだけど……」
「う、うん……」
「高岡くんの貸してもらえたり…….なんて」
「へ……?」
たぶん、めちゃくちゃ間抜けな声だったと思う。
それもそのはず。近藤さんの言っていることが理解できないくらい信じられなかったから。
「こ、近藤さん……俺のを貸すって……まさか……」
「その……言葉のとおりで……。乾くまで高岡くんのお洋服貸してもらえないかなって」
「おっふぅ……」
――おっと、いけない、いけやい。
衝撃的すぎて思わず心の声が漏れてしまった。
「ダメ……かな?」
「い、い、い、いや。そ、そ、そ、そんなこと……ナイヨ?」
やめてっ! そんな甘い声で言わないでっ!
「Tシャツとかでいいかな?」
「う、うん……ありがとう」
「オッケー。じゃあ、ちょっと待ってて!」
俺はダッシュで自室に戻ると、クローゼットを勢いよく開けて近藤さんに合いそうなTシャツとズボンを取り出す。
「へ、変な臭い……とかしないよな……?」
今まで自分の服を他人に貸すことなんてほとんどなかった。
それが女の子となれば尚更のこと。
俺はそれを持って近藤さんの元へ戻る。
「い、一応持ってきたんだけど……」
「あっ、ありがとう……」
「俺後ろ向いてるからさ、その間に持っていっていいよ」
「わ、わかった……」
俺の背中でドアの開く音がする。
そしてすぐにそれが閉まると、今度はガサゴソと衣擦れの音が聞こえてくる。
「っ……!」
ドアの向こうでは、近藤さんが、俺の服を――。
自分の意思とは無関係にも、心拍数が上昇する。
まさか自分の家で、こんなことが起きることが想定外過ぎて、もはや夢ではないかとすら思ってしまう。
「――た、高岡くん……終わったよ」
気がつくと、俺の服に身を包んだ近藤さんが恥ずかしそうにモジモジして立っていた。
「っ……⁉」
その姿を見てわかったのが、俺の服のサイズと近藤さんのそれは大きく違うのだということ。
それゆえ、近藤さんが来ているTシャツはブカブカで、なんか――ゆるキャラみたいで……とてもかわいいです、はい。
「ちょっと……っていうか、だいぶ大きいかな……?」
「そ、そうだね……」
苦笑いを浮かべながら両手を広げて、近藤さん。Tシャツの裾が長くてズボンも隠れてるから、パッと見てワンピースに見えてくるな……。
「やっぱりそんなぶかぶかじゃ嫌だよね……。もしよかったら妹の持ってくるけど……」
「いやいや、たしかに大きいけど……。貸してもらってるのに、そんなにわがままは言えないよ……」
「そ、そっか……」
近藤さんが良いというなら、それでいいか――。
そのときだった。
「ただいま~。はぁ、雨って憂鬱だよね~。今日も疲れ――って……」
大きなため息とともに玄関のドアを開けて入ってきたのは、妹の美咲だった。美咲は鞄をその場に落とし、口を開けたまま玄関に立ち尽くしてしまった。
「お、お兄ちゃん……その人……」
「あ、あぁ……。えっと、彼じ――」
「お兄ちゃんが女を連れ込んでるっ! しかも、それ、お兄ちゃんの服だしっ! 何でその人が着てるの⁉ そんな着替えるようなこと……はっ! 事後、事後なのか⁉」
「お、おい美咲。落ち着けって」
美咲は俺と近藤さんを見て興奮気味のご様子。それに、何かお前は盛大な勘違いをしているようだ。これは訂正しないと、誤解が誤解でなくなってしまう。
「おい、美咲っ!」
「あぁ、どうしようどうしよう……。私は修羅場を見て――って、何?」
「『何?』はこっちのセリフだ。少し俺の話を聞け」
「わ、わかった……」
さすがに、俺がちょっと語調を強くすると、美咲は落ち着きを少し取り戻してくれた。よかった。これは、まだ俺に兄としての威厳が残っている証拠。この前のように舐められきってはいないようだ。
「――つまり、こちらの方は、お兄ちゃんの彼女の近藤結衣さんで、雨にずぶぬれになったからシャワーを貸していたと。それで、制服がまだ乾かないから、緊急避難的にお兄ちゃんの洋服を貸している、と……」
俺が今日今までの経緯をひと通り話すと、美咲はうんうん言って話をまとめていた。
それにしても、一回聞いただけなのにこれだけ理解できるって、さすが秀才だな。身内ながら、これだけの読解力があるのはシンプルに羨ましい。
それに、ちゃんと「事後」とかそういうヤバめの誤解も解けた。これはマジでよかった。
ただ、「理解できた私ってすごいでしょ」みたいに胸を張っている妹に、一言言ってやらないといけない。
「――ところで美咲。近藤さんに何か言うことはないのか……?」
「えっ? 言うこと……?」
一瞬、「はて……?」と首をかしげていたが、すぐに何かを思いついたのか、ぽんと手を叩いて近藤さんの方を振り向く。
「初めまして、近藤さん……いえ、結衣さん! 私、高岡伊織の妹やってます、美咲です。よろしくお願いします!」
「は、初めまして……美咲ちゃん。こちらこそ……よろしくね」
近藤さんは美咲の圧というか、雰囲気に押され気味な感じが、その口調にも表れている。
「おい、美咲。たしかに自己紹介は良いと思うけど、そうじゃないだろ」
「これじゃ……ない?」
「そうだ」
近藤さんは気にしてないかもしれないけど、さっきのお前の発言は色々と失礼なんだぞ。それをまずは謝らないと。優秀な妹ならわかるだろ……。
――そう思っていたのに。
「あ、そうか! 結衣さん!」
「な、なにかな……?」
「結衣さんは兄のどこが好きなんですか?」
「えっ!」「お、おいっ!」
近藤さんと俺は同時に美咲に対して声を投げていた。
「おぉ、さすがカップルのお二人。息ぴったりですね……」
美咲は数的不利な状況であるのにもかかわらず、それをものともせずに右ストレートで一気に俺と近藤さんをKOにしてしまった。
「…………」「…………」
俺と近藤さんは、美咲の前で赤面しながらお互いに見つめ合い、何も言い返せなかった。
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