第67話 脱衣所
自転車を漕ぎ始めてからかれこれ十分くらいで家に着いた。
なんとか俺の理性は暴走しないでいてくれたみたいだった。……ふぅ。
「じ、自転車置いてくるから、先中入ってていいよ……」
「う、うん。わかった……」
近藤さんは恐る恐るドアノブに手をかける。
「お、おじゃまします……」
「――近藤さん?」
「ひゃっ!」
なぜか近藤さんの動きがおかしかったから声をかけてみたんだけど、まさかそんな反応をするなんて……。俺もびっくりしたわ。
「あ、そういうことか……。心配しなくていいよ。今日は誰もいないから」
「だ、だれも⁉」
「うん。両親は共働き。妹は部活だからね。帰ってもいつも一人だから、ただいまなんてそういえばここ最近は言ってなかったような……」
いつもドアを開けても真っ暗な玄関が俺を出迎えていたから、帰宅にいい思い出はあまりない。
でも、今は――
「へくちっ!」
「ん⁉」
聞き覚えのない音にびっくりして振り返ると、近藤さんが両腕を身体に抱いて、少し震えていた。
「え、えっと、寒い……よね」
「う、うん……。自転車の風が結構……」
うーん……。服を乾かすために来たのに、身体まで冷えちゃったら意味ないよな……。
よし。じゃあ、それなら――
「近藤さん。服の乾燥終わるまで、シャワーでも浴びてたら?」
「え? シャ、シャワー?」
近藤さんはすっとんキョンな声を出す。
「うん、シャワー。あっ……」
俺は自分のデリカシー皆無の発言に、後悔を覚える。
「あ、えっと、その……もしよかったら、って……」
「そ、そうじゃなくて……そこまでしてもらっていいのかなって」
「ぜ、全然いいよ! 気にしないで! このままだと風邪ひいちゃうからさっ!」
焦っているのかどうかはよくわからないけど、どんどん自分の声が上ずっていくのがわかる。
「じゃ、じゃあ、またまたお言葉に甘えよっかなぁ……」
「う、うん、わかった……」
「…………」「…………」
「そうだっ! タ、タオル! タオル必要だよねっ!」
沈黙に耐えきれず、ダッシュで脱衣所に向かうと、タオルやら洗濯籠やらをせっせと準備する。
「は、はい。どうぞ、使ってください……」
「あ、ありがとう……」
「う、うん。俺、上で待ってるから! 終わったら呼んでね」
それだけ言うと、一目散に自室のある二階へと向かった。
ジャー、ジャー、ジャー……………。
自室に入ってから数分後。
俺はその間ずっと落ち着きなく部屋の中を歩き回っていた。
だって、だって、だって!
彼女が……俺の家で……シャワーを浴びてるんだぜ⁉
こんなのラノベでもアニメでもなかなかのレアケースだぞ!
あまりの展開に、この後もしかして……なんてことまで色々と想像してしまう。
シャワー上がりの近藤さんとエンカウント……とか。
ごくりとつばを飲み込む音が、妙にはっきりと聞こえてくる。
いやいや、待つんだ高岡伊織。妄想や期待を膨らませたところで、所詮妄想や期待に過ぎないのだ。
そう、握る手が湿ってきたり、首筋を伝う雫も、それはきっと妄想だ。幻覚だ。きっと俺は疲れているのだ。うん、そうに違いない。
こういうときは瞑想が一番いいだろう。
俺はベッドの上で胡坐をかくと、目を瞑り、ゆっくりと呼吸を始める。
「すぅ……はぁ……。すぅ……はぁ」「……く~ん」
「すぅ……はぁ」「岡く~ん」
「すぅ……」「高岡く~ん」
「すぅ……って待て待て」
俺の名前を呼ぶ声がした気がする。
「ああ、近藤さんか」
俺はただ近藤さんが呼んでいるだけだと思い込み、少し駆け足で声のする方に向かった。
「高岡く~ん。ちょっと、あの……」
「はいはーい。どうしたの近藤さ――」
ドアノブを手にかけてそれを引き始めた。そのとき、今開けようとしていたのが脱衣所に入るドアであることを思い出す。
しかし、時すでに遅し。それに気がついたとき、俺はもうそのドアを開けてしまっていた。それはつまり――
「えっ、高岡くん⁉」
そこにいたのは、バスタオルを身体に巻いて茫然と立ってこちらを見ている近藤さんだった。
バスタオルを巻いているとはいえ、普段の制服よりも圧倒的に露出度が高く、首元からのぞく鎖骨や、胸元の柔らかげな膨らみ、そして白く伸びている太もも――がはっきりと俺の視界に入ってきた。
お互いの視線が合うこと数秒。
最初は頭がグルグルしていたけど、さすがにわかったことがある。
――これはヤバいやつだ、と。
「え、えっと…………ごめんっっっっ‼」
俺は猛烈な勢いで握っていたドアノブを戻す。
お、お、お、俺は一体何をしてしまったんだ!
俺が近藤さんにシャワーを勧めたのに、そのことを忘れて堂々と脱衣所に入ってしまうなんてっ!
これはどう転んでも10対0で俺が悪いじゃないかぁぁぁぁぁあ!
「ご、ごめんね、近藤さん……」
俺はドア越しにぽつりとつぶやく。
すると、向こう側からも小さいながらも返答がきた。
「あ、あの……わたしの方こそ、急に呼んじゃってごめんね……」
「い、いや、そんなことないって。俺も何も考えずに開けちゃったりしてほんとごめん!」
「そ、そんなに謝らないで……。ただ……ちょっとだけ、恥ずかしかった……かな」
「……っ‼」
俺はわかる。ドア越しでもわかるぞ!
近藤さんが、顔を赤らめて、バスタオルの端っこをキュッと掴んで、俯きながら、うっとりとした口調で――って何を考えているんだ、俺のバカ野郎。
あんなに失礼なことをしてしまったっていうのに、脳内お花畑になって妄想炸裂させてるんじゃねぇよまったく。
俺は自分への戒めに、頬を数回ベシベシと叩く。
さて、冷静になったところで。
「あ、あの……近藤さん?」
「ど、どうしたの?」
「理由……なんで俺を呼んだのかなって」
「あ……あぁ。すっかり忘れちゃってたよ……あはは」
近藤さんの顔が見えないからはっきりとはしないけど、彼女の声を聞く限りでは、いつもの調子に戻ってくれたのかな……?
「え、えっとね……ちょっと言いづらいんだけどね」
あれ……?
いつも通りに戻ったと思ったのに、近藤さんはさっきの口調に戻ってしまった。
「着替えが……」
「着替えが?」
「まだ乾かなくて……。その……乾くまでこの格好でいるのは、誰かに見られてなくても恥ずかしいというかなんというか……」
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