第66話 誘い

 「高岡くん……。さっきからキョロキョロしてるけど、どうしたの? もしかしてわたしの顔に何か付いてる?」


 そう言って近藤さんはちょんちょんと顔を触り始めるけど……。

 違う、違うんだって!

 何かあるのは顔じゃなくて、もう少し下の方なんだよ……。


 雨が降り出してからすぐに傘を貸したはいいんだけど、それまでの数秒の間は土砂降りの雨に打たれていたし、それに雨が強すぎて傘もそんなに役割を果たせなかったのだと思う。


 びしょびしょに濡れたワイシャツが身体に張り付いたりしていて……。

 色々……その……し、し、し、下着とかが……透けて見えてしまっている。


 「…………っ」


 ワイシャツから透けて見えるライトブルーの布地に覆われた二つの膨らみを見ると、どうしても色々な妄想も膨らませてしまうのが思春期の男の子の性というものである。


 ……やばい。色々とやばい。

 ナニが、とは言わないが……。とにかくこのままだとやばい。

 心臓の鼓動が高まり、血流が早くなるのを感じる。


 下着なんて、妹の美咲がよく見せびらかしてきたりしていたから、それ自体の耐性はそこそこあるもんだと思っていた。

 しかし、下着は大丈夫でも、「彼女の」下着となれば、話は全くの別物になってくる。


 俺はリミットを超えて暴走せんとしている理性をなんとか保ち、顔を手で押さえながら恐る恐る指をさす。


 「こ、近藤さん。そ、その……ふ、服が……あれしちゃってる……」


 「え……?」


 近藤さんは自分の服をチラッと見て固まる。そして、


 「……い、いゃっ!」


 その状況を理解したのだろう。みるみるうちにカアっと顔を真っ赤に染めて、完全に動揺してしまった。


 「え、えっと……こ、近藤さん落ち着いて!」


 そうは言ったものの、俺の言葉は多分近藤さんには届いていないだろう。

 半分涙目になっておろおろとしている。


 「ちょ、ちょっと待ってて!」


 俺は鞄からタオルを取り出して、それをそっとかけてあげる。

 最初はビクッと肩を震わせていたが、タオルで身体を隠せたからなのだろうか。肩を上下させて呼吸していたのも少しずつ落ち着きを取り戻していくのが見て分かった。


 「……あ、ありがとう高岡くん。わ、わたし、すごく取り乱しちゃって……ごめんね」


 「い、いや……。落ち着いてくれてよかったよ」


 「う、うん……」


 近藤さんの落ち着きに、俺も一安心――かと思った矢先。


 「――あ、あの、高岡くん」


 「ん? どうしたの?」


 「み、見た?」


 「え?」


 「だ、だからっ! そ、その……わたしの……し、下着とか……」


 近藤さんは自分の胸の辺りを両腕で抱くように隠してもじもじしている。


 「…………っ」


 ま、まずい!

 近藤さんの下着が色々透けてるのを誰かに見られたらダメだと思ってとっさに言ったんだけど……。それは言い換えれば、その状況を俺がしっかりと見ていたということになる。


 ど、どうする高岡伊織!

 俺はひとまず脳内シュミレーションをしてみることにした。


 パターン1はこうだ。


 「うん、見てたよ」


 「……っ⁉ た、高岡くんのエッチ! 変態! ばかっ! 嫌いっ‼」


 ――うん、確実に殺されるなこれ。別れるまでの道筋がはっきりと見えた。


 ならパターン2。これならどうだ。


 「い、いや? 見てない、よ?」


 「見てなかったら気づかないでしょ? 高岡くんの嘘つき! 嫌いっ‼」


 ――うん、これもアウト。別れるまでの(以下略)。


 うーん、どれもダメだ。これは……詰みですね、はい。

 どちらの選択肢でも、結果が見えている。

 俺は悩みに悩んだ末――。


 「――え、えっと……その、はい。見ました。ほんっとにごめん! でも! でもね! その姿を他の人に見られるのが嫌で……。と、とにかくごめん‼」


 ギリギリで新しいパターンを思いつき、深々と頭を下げて謝る。


 「そ、そっかぁ……」


 「…………?」


 思っていたのとは違う反応に少し動揺しながら顔を上げる。すると近藤さんは俯き気味にゼロ距離まで俺に近づくと、上目遣いでこう囁いた。


 「――ありがとう、高岡くんはやっぱりやさしいね」


 「⁉⁉⁉」


 近藤さんの呼吸や息遣いまで伝わってきて、完全に動揺が倍増する。えっ、どういう状況よこれ。怒ってないの?


 「ちょっ……こ、近藤さん⁉」


 「ふふふ。高岡くんって本当にわかりやすいんだから」


 近藤さんはなぜかご機嫌になっている……みたいだ。

 やっぱり、女の子の考えてることってわからねぇもんだなマジで……。


 ――ん、待てよ?

 俺のライフポイントもだいぶ底を尽きかけていたが、一つ懸念事項が浮上する。


 「そういえば、近藤さん。その格好……どうするの?」


 「た、たしかに……。なにも考えてなかった……」


 近藤さんは「しまった!」というような顔をしている。


 「で、でも……そのまま帰るわけにもいかないもんね。電車の中クーラーで寒いだろうし」


 クーラーももちろんだが、他の人にこんな姿を見られたりするのはもっとよくないよね。


 「そ、そうだね……」


 うーん、と唸っている近藤さんを見ていて、俺は一つ暫定的な解決策を思いついた、のだが……。

 しかしそれは俺にとってはあまりに難易度が非常に高度なもので、正直かなり言い出しづらい。

 かといってこのままの格好で帰らせて、変なことにあったり、風邪をひいたりしても嫌だな。うん、仕方ない。これしか他に方法がないんだから。


 「――あ、あの……近藤さん」


 「高岡くん?」


 「その……近藤さんさえよければなんだけど……」


 一瞬この先の言葉を躊躇ったが、もうここまできたら引き返すことはできない。俺はそのまま続ける。


 「――俺の家……来る?」

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