第69話 母親

 ――妹の美咲に論破されてから数分後。


 俺は「お茶でも用意するよ」と言って少しその場から離れ、キッチンから美咲と近藤さんの様子を眺めていた。


 女の子とは何とも不思議なもので、さっきまで微妙な雰囲気が立ち込めていたのに、ほんの数分たっただけで、もう楽しげにおしゃべりをするようになっていた。

――女の子のコミュ力、恐るべし。


 俺はその間に割り込むほど度胸はなかったから、しばらくキッチンにとどまっていた。

 すると、玄関のドアが開く音がした。


 「ただいま〜」


 「あっ、お母さん!」


 その音に気づいた美咲が駆け足で玄関に向かっていく。

 美咲のあまりの反応の良さから、何か嫌な予感がした俺はそろりと後をつけてみる。

 リビングのドアの影からちょこんと顔を出して、玄関で美咲と母さんが話している様子を伺う。


 「おかえりー!」


 「ただいま、美咲。この靴って美咲のだっけ……?」


 「あぁ、これ? これはねぇ……」


 そこで美咲はチラッと後ろを振り返り、こちらの方に「してやったり」みたいな視線を送ってきた。

 ――あれ? 俺が見てるのバレた?

 心臓が跳ねそうになったが、ギリギリのところで耐え切る。


 「――スキャンダルだよ! ブンシューホーだよ! お兄ちゃんが、お兄ちゃんが……彼女を連れ込んで――」


 って、おい! お前何言ってるんだ!

 そう抗議に向かおうとしたときだった。


 「――美咲」


 母さんが珍しく美咲の言葉を遮った。美咲はびっくりというか、キョトンとした感じで動きを止める。


 「そういう言い方はよしなさい。伊織の彼女さんがお家にいるんでしょ? 失礼にもほどがあるわよ」


 「そ、そうだった……。ごめんなさい……」


 み、美咲が謝っているだと⁉ あの……あの美咲が⁉

 あいつが謝るところを見るのは何年振りだろうか。つまり、それくらい珍しいってこと。


 「それで……」


 母さんの目が変わった。あのとき、俺を詰問したときのそれと何ら変わらない気がするのは俺だけだろうか。


 「――伊織の彼女ちゃんは今どこにいるの?」


 「あぁ、それなら……リビングでお兄ちゃんといるよ」


 美咲はこっちを指差しながら、嬉しそうにピョンピョン跳ねている。


 「あら、そう……」


 スリッパに履き替えた母さんがスタスタとリビングにまっすぐ向かってくる。

 俺は慌ててソファに――近藤さんの隣に滑り込む。


 「か、母さん、おかえり……」


 「はい、ただいま」


 買い物袋をドスっとその場に置くと、今度は近藤さんに視線を移し、顎に指を当てながら低く鋭い口調で、


 「へぇ、あなたが伊織の…….」


 そう言いながら、少しずつ近藤さんとの距離を詰める。


 「は、はいっ! お、おじゃましてます! こ、近藤結衣です!」


 や、やめてあげて母さん! そんな品定めをするように近藤さんを見ないで! ものすごい圧迫感が伝わってくるから!


 ほら……。近藤さんびっくりしてその場に直立不動で固まっちゃったじゃん……。

 しかし、母さんはすぐにパッとした笑みを浮かべて、近藤さんにぎゅっと抱きつく。


 「……うん、結衣ちゃんね! やだ、まぁ。とってもかわいらしい子じゃないの……。伊織にはもったいないくらいだわ。ふふふっ……」


 「そ、そんな……。あ、ありがとうございます……」


 近藤さんは顔を和らげ、思わず笑みをこぼす。その額に少し光るものが見える。相当緊張したんだろうな……。


 これが相手の親に会うときの緊張感か。

 もし俺が近藤さんの立場だったら、間違いなくカミカミで、「何語しゃべってんだ。日本語話せ」って言われるレベルだろうなきっと。

 いや待て。もしかすると、バイリンガルでグローバルな人だと思われて、逆に好印象を持ってもらえる…………わけないか。


 っていうか、最後の一言余計だろ。なんだよ、俺にはもったいないって。


 「そうだ、結衣ちゃん。よかったらお夕飯食べていかない?」


 「えっ⁉」


 母さんから飛び出した言葉に、近藤さんはもちろん、俺も驚きを隠せない。


 「で、でも……そんな、迷惑じゃないですか?」


 近藤さんは遠慮気味にふるふると手を横に振っている。


 「いいのいいの。今日お父さん残業らしいから、一人分余っちゃうのよね。だから、気にしないで!」


 腕をまくり、ウインクまで決めてくる母さん。いや、あんた何歳だよ。ぜひとも年相応の行動をしてもらいたいものだ。


 そう思っていると、母さんからキリッと鋭い眼差しを向けられる。

 俺は無言で顔を横に動かす。すいませんでした。はいはい、かわいいですよ、すごーい(棒読み)。


 「――ってことで、結衣ちゃん、親御さんに遅くなるって連絡しておいてねっ!」


 「は、はい……。わかりました」


 あまりの押しの強さに、近藤さんは俺や美咲にチラチラと視線を送りつつ、やがでスマホにメッセージを打ち始めた――。


 「――じゃあ、結衣ちゃん、またいつでもおいで! 大歓迎だから!」


 「結衣さん、またお話ししましょうね!」


 「はい! 今日は何から何まで、本当にありがとうございました。おじゃましました!」


 「はい、またね」「さよなら〜!」


 母さんと美咲に見送られ、近藤さんは高岡家を後にする。


 「伊織、あんた結衣ちゃん駅まで送って行きなさい。それが『カレシ』の役目でしょ!」


 「ちょっと、母さん、その言い方なんか恥ずかしいからやめて」


 「うんうん、いいねいいねその感じ。まさに初心って感じっ」


 相変わらず母さんははしゃいでいる。

 これ以上近藤さんに母さんの醜態を見せるわけにもいかない。


 「じゃ、じゃあもう行くからっ!」


 俺は半ば強引にドアを閉めると、近藤さんと共に街灯が点き始めた道を一緒に歩き始める。

 スタスタと、それぞれの足音がアスファルトに響く。


 「なんか、騒がしい家族でごめんね」


 ぶっちゃけ、近藤さんには結構なストレスだったんじゃないかな……。


 「いやいや、そんなことないよ」


 近藤さんはさっきの時間を思い出しているのか、「ふふふ」と笑みをこぼしている。


 「とってもユニークなお母さんだね。それに、美咲ちゃん。最初はちょっと苦手かなって思ってたんだけど、話しているうちにとってもいい子だなって思ったの」


 「そ、そっか……」


 「うん、本当に楽しかった! それに、お夕飯までご馳走になっちゃって……。お礼を言わないといけないのはこっちの方だよ」


 「近藤さんが楽しいって言ってもらえたなら、俺もうれしいよ」


 それから、お互いに何か言葉を交わすことはないかったけど、いつもみたいなぎこちなさはあまりなく、どこか心地よい感じすらした。

 ――それから少し歩くと、駅の光が見えてきた。


 「今日はありがとう。……また明日。ばいばい!」


 そう言って近藤さんは眩い光の方へ向かって歩き出した。

 近藤さんの姿が帰宅ラッシュの人混みに消えたのを確認すると、今来た道を歩いて引き返す。


 まさか、近藤さんを家に呼ぶことになるなんて、これっぽっちも想像していなかった。

 あのときはとっさのことでよく考えずに家に呼ぶ流れになったけど、これって一歩間違えたら――アレな展開にならないとも限らない。


 うわ。俺ってもしかしてかなりぎりぎりのことしちゃったのかな? 今になって恥ずかしさが汗となって全身から染み出てくる。

 近藤さんは楽しかったって言ってくれたけど、本当は――。

 そう考えると、明日からどんな顔して話せばいいのか――。

 その日は結局悶々としたまま、あまり眠れずに夜を明かした。

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