第62話 初デート

 中間試験の結果発表から、かれこれ数週間が経とうとしていた。


 時は六月――つまり、梅雨だ。


 最近は毎日朝から晩まで、空一面が分厚い灰色の雲で覆われている。

 ニュースでは、梅雨入りが平年に比べて早いだの、梅雨が明けるのは八月までずれ込むかもしれないだの、天気予報は一週間全部青色だの、気分を上げようにもなかなか上がらりきらない、そんな日々を送っていた。


 それに、雨が降ってしまうと、チャリ通勢は蒸し暑いのにもかかわらずカッパを着て、鞄を大きいビニール袋で覆うという面倒なことをしてまで学校に行かなくてはいけない。


 そんな不安定な体勢かつ雨粒で霞む視界の中チャリを漕ぐというのもかなりの苦行で、運が悪ければ濡れたマンホールにタイヤを取られてスリップ……なんてこともたまにある。


 そんなときの周囲の人々の俺に向けてくる視線といったら……。

 「大丈夫ですか⁉」と、近くにいる人の一部はそう声をかけてくれる。

 でも、その声音は温かいようで、しかしそれでいてどこか冷たい。たまたま近くを通りかかっただけで、こんな厄介ごとにいちいち構ってられない、そんな風にも感じてしまう。

 

 これも相まってだろうか。最近の俺は他の人の何倍も憂鬱な気分でいる自信がある。そう思って毎日を過ごしている同士がいるのであればぜひとも仲良くしたいものだな。


 「………………………はぁ」


 授業は聞いてはいるが、先生の話す声の大きさよりもすぐ横で窓に打ち付ける雨音の方が大きいから、そんなに集中することすらもできない。退屈しすぎてため息が止まらない。


 そんな憂鬱な日々の中の唯一の楽しみと言えば、学校に行けば近藤さんに会えるということくらいだ。

 授業中、先生のくだらないギャグに教室中が失笑の嵐に包まれるようなとき、その度に俺と近藤さんはそっと目を合わせてクスクスと笑っている。


 それは、決して先生のギャグが面白いとか、そんなことは微塵もなく(ここ大事)、近藤さんと目が合うと、なぜか面白くもないことにも笑いのツボが浅くなってしまうのだ。

 そんな時間が今の俺の中で一番幸せな時間と言ってもいいだろう。


 ちなみに、それを見た先生が「これはウケた」と自信気な表情をすることがあるのだが、それはまったくもってお門違いなんだけどな。……先生、ドンマイ。


 ――閑話休題。


 そんなある日のこと。

 その日は朝から雨が降ったりやんだりの、チャリ通勢からすると最も忌むべき天候状態である。

 だって、雨が降ってきたらカッパ着ないといけないし、途中で止んだら、脱がないとすぐに蒸れてくるし。

 とにかく嫌だ……うん、この一言に限る。


 放課後になってもそんな天気は続いていて、相変わらず空を見上げると、分厚い雲が見渡す限りに広がっていた。

 カッパを着るか着ないかで絶賛お悩み中の俺に、どうやら隣から声がかかった……らしい。


 「た、高岡くん……」


 しかし、俺はカッパを着るか着ないか、駐輪場で決めればいいだろそんなこと、と思えるくらい本当にどうでもいいことに真剣に思考を巡らせていたせいで、反応ができなかった。


 「――ねぇ、高岡くん?」


 「――あっ」


 俺はその呼びかけの何回目かでようやく気づいた。


 「ご、ごめん近藤さん……」


 「やっと反応してくれた……もぉ、てっきり無視されてるのかと思っちゃったよ」


 そう言って「フンスカッ!」みたいな効果音が出そうな感じに頬を膨らませているのは、近藤さんだった。


 「そ、そんな、無視なんてしないよ……。ちょっと考え事をしてただけ……ごめんね」


 この場面で、俺は本当はこんなこと思っちゃいけないっていうのはわかってる。わかってるんだけど……。


 ――近藤さん、その顔、めちゃくちゃかわいいんですけどっ!


 待って、なにそれ! 小動物みたいでほんとにかわいい、かわいすぎる。ヤバいよヤバいよヤバすぎる(語彙力崩壊)!


 「あぁ、わたし、怒ってないよ……。だから、その……」


 近藤さんはもじもじと、ちょっと上目遣いで何かを言いたそうにしているが……。

 やめて、やめて! そんな顔で見つめないで!

 その顔は……チートですよ、近藤さん。


 「あぁ、えぇと……近藤さん。その……何か用があったんだよね?」


 「――あっ、そうだった」


 強引な話題転換で、なんとかこの悶え死にそうな局面を脱する。……ふぅ。


 「高岡くんって、この後時間空いてる?」


 「この後? うん、空いてるけど……」


 「そっか、よかった!」


 近藤さんがすごく喜んでいるが、一体なぜ……?


 「――この後、ちょっと勉強教えてほしいなって思って。今日の内容すっごく難しかったからさ……」


 「……っ⁉」


 全身に電流のようなものが駆け抜けていった。なんだかこの感覚、だいぶ久々な気がする。


 そういえば、中間試験の後だったか。一緒に勉強会をするとか何とかって約束した覚えがあるぞ。


 ――ん、待てよ?

 ……近藤さんと勉強? 二人で?

 これって、まさか……デート。デート……? 


 いや、待て待て。これは勉強なんだよね……? 

 あくまでも、近藤さんは俺と一緒に勉強をしたいと思っているだけじゃないのか?


 ……いや、それでも、女の子と二人で勉強なんて、そんなの誰がどう見たってデートだ! デートに違いない‼

 俺はかなり強引で崩壊した論理でこの結論に至る。


 体育祭の後に付き合い始めてから、かれこれ約一か月ほど。

 その間、俺は空いている時間が結構あったが、近藤さんの所属するテニス部は公式戦が近いらしく、部活が忙しくなってきたから、休日に二人で遊ぶなんてことがなかなかできないでいた。


 しかし、今日、この瞬間。近藤さんと念願の初デート(?)をすることになったのだ。

 そう思った途端、全身から汗が滲み出てくる。

 ただの勉強会と思えばなんてことないのだが、「お勉強会デート」なんていう考えが一度生まれてしまった以上、それが脳内を完全支配し、俺の思考すらものっとってしまっているのだ。


 「――どうしたの、高岡くん?」


 気づくと、さっきよりも近いところに近藤さんの顔があって、俺の顔を覗き込むようにして立っていた。

 俺はびっくりして後ずさりしてしまう。


 「――べべべ別になんでもないよ……」


 「そう? ……ならよかった」


 近藤さんは、そう言って鞄を持って何かを待っているような、そんな仕草をしている。

 俺はそれを見て察する――俺が言うんだって。


 「――じゃ、じゃあ、勉強なら、図書室に行ってしよっか」


 「うん! 行こっ!」


 近藤さんは屈託のない笑みを浮かべて大きく頷く。

 そして俺と近藤さんは二人並んで教室を後にした。

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