第60話 タイミング
「――わたし、入学したときはもう少し順位が上だったんだけど……。部活が段々忙しくなってきて、それに合わせて少しずつ順位も落ちてきちゃって……」
「そ、そうなんだ……」
「これ以上悪くなると、部活にも支障出るかもだし……。それに、高岡くんがいれば、きっとわたしも勉強できるようになるかもしれないって思ったの」
「ま、まぁ、たしかに……」
よく勉強は人に教えることができて何たらって言うから、これはもしかすると、近藤さんに教えるということが自分のより深い理解につながる……なんていうことも考えられる。
「だ、だめ、かな……?」
近藤さんは縋るように、瞳を潤ませながら尋ねてくる。
「っ……!」
だ、だめっ! そんな顔でお願いしないで!
ただでさえ俺は女の子と面と向かって話すことなんてこれまでほとんどなかった。
それに加えて、近藤さんは俺の初めての彼女。
そりゃもう緊張とか緊張とか緊張とか……とにかく、色々とヤバい。
「べ、べ、べ、別に……教えるのは俺でよければ全然かまわないけど――」
「ほんと⁉ やったぁ!」
近藤さんはとびきりの笑顔で喜びを表現している。
それを見て、俺は思った――この笑顔をずっとすぐそばで見ていたい、と。
そのためには、いつまでも初めての彼女で緊張しているとか慣れないとか、そんな甘えたことは言ってられないな、と。
俺にはまだ自分から踏み出す勇気が足りないのかもしれない。
まずは、一歩を踏み出さないと――。
「じゃ、じゃあ、俺は基本的にいつでも空いてるからさ。近藤さんの時間に合わせる、でいいかな?」
「うん、ありがとう! 頼りにしてるね!」
「……⁉」
――近藤さん。やっぱりその笑顔は反則級だよ。悩殺ノックアウトだよ。
この調子だと、当分はドキドキしっぱなしになると、俺はしみじみと実感したのだった。
――っとまあ、ここまでが朝の出来事。
そんなこんなだから、その後のテスト返却や解説の授業中でも、ふと集中が切れると無意識的に横を向いていた。
そして、真剣に先生の話を聞いている近藤さんの横顔に、納得したような顔に、その全てに俺は見惚れてしまっていた。
「……っ!」
しかし、そんなに近藤さんを見ている機会が増えてしまえば、たまに目が合ったりするのは必然なわけで。
あるとき、俺横をちらっと見たとき、偶然同じタイミングで近藤さんが俺の方を向く。そしてばっちりとお互いの目が合う。
「あっ……」
慌てて視線を逸らそうとも、それはそれで色々失礼な気が……。
それに、こんなに近藤さんのことを見ていたら絶対にあっちは気づいているかもしれないな……。
ヤバい! これは言い逃れの出来ない程の愚行をしてしまったかもしれない!
どうしようかと焦っている俺だったが、当の近藤さんはというと――
「ふふふっ」
口に手を当てて、周りにバレない程度にほほ笑みを返してきてくれたのだ。
「はははっ……」
よかった……。ドン引きされると思ってたから、近藤さんの反応についうれしくなって、俺も笑う。
しかし、近藤さんの笑顔を見てどこかで気が緩んでしまったのかもしれない。
ちょっとばかり笑い声が大きくなってしまったのだ。
「――ん? どうした、高岡? 何か言ったか?」
「えっ……い、いえ、何でもないです。す、すいません……」
ひぇ……あっぶねぇ……。っていうか、これ完全アウトだわ。
先生はどうした? としか言っていないが、確実に俺がよそ見して笑ってるところ見てるやつだわこれ。だって目が笑ってないもん。
一気に身体が強張り、冷や汗が滲んできてシャーペンを握る手が湿ってきた。
横では、近藤さんがノートの端に書かれた「どんまい」という文字を俺に見せていた。
くぅぅ……。
近藤さんの先生にバレないように何かするスキルが欲しいと、本気で思ってしまった。
さて、さっきの一件以来、先生から目を付けられてしまったのか、視線を常に感じるようになった。なぜか残りの授業も。
え、もしかして先生同士の連絡で俺ブラックリストにでも入っちゃったのかな?
俺そんな制度聞いたことないよ?
怖いからマジで。許してくださいごめんなさい……。
俺はさっきのような失態を起こさないように、それからはいつもの数倍真面目に授業を聞くようにした。
まあ、集中できてていたかどうかは定かではないが。
それにしても、とにかく疲れた。先生のお説教とか、主に俺に向けられる鋭い視線が。
終業のチャイムとともに、それらから解放されて大きなあくびが出る。
さて、今日も終わりか、と片付けを始めようとしたとき、
「――高岡くん、今日も昇降口まで一緒に帰ろっ」
そう言って近藤さんが鞄を見せてくる。
もう準備ができたの? 早くない?
いや、近藤さんが早いんじゃなくて、俺が遅いのか……。
「いいよ~。片付けするから、ちょっと待ってて」
「うん、わかった。じゃあ、教室出たところで待ってるね」
「おっけー」
近藤さんは鞄を背負い、スタスタと歩いて行った。
俺は急いで鞄に荷物をつめると、小走りで教室を後にした。
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