第52話 違和感

 「さて、と。……どうしますかね、村井さん」


 俺はいつになく鈍い動きで村井に視線を向ける。


 「そ、そうですね……」


 村井も歯切れが悪い。


 「た、高岡先輩、なんか……すいませんでした。私、高岡先輩のあれを知ってるのに、陸上部に勧誘するようなことしちゃって……」


 明るくて無邪気な性格が売りの村井が、今ではそれが鳴りを潜めている。普段の彼女からは考えられないような表情すら浮かべている。


 「まぁ、そんなに落ち込むなって……。この状況じゃ、勧誘するしかなかっただろうよ」


 「せ、先輩……」


 少し重荷がとれたのか、村井の表情は幾分か和らいできたようにも見える。


 「でも、よくあのことを言わないでくれたよな」


 「あぁ……。さすがにあれを先輩の許可なしにペラペラと言えるほど口は軽くないですからね」


 村井は自分の唇にちょんと指を付けて軽くウインクする。


 「そっかぁ、それはよかったよ……」


 もしあの場面で俺が中学日本記録保持者であることを村井が本郷に言っていたとしたら、もっと強く、確実に、絶対に俺を入部させようとしていただろう。

 そんな――自分で言うのもあれだが――逸材を、陸上部としては逃したくはないだろうから。


 そういう意味では、あのときにすぐ勧誘をしないで実質的に考えさせてくれる時間をくれた村井には本当に感謝しかない。


 「――村井……ありがとな」


 「へっ……私、何かしましたっけ……?」


 「あぁ。今回は村井にかなり助けられたと思うぞ、マジで」


 「そ、そんなぁ……」


 少し顔を赤らめ、俯き加減になる。


 「……?」


 まさか村井がこんな反応をするとは思ってもなかったから、俺はこの後の言葉に詰まってしまう。

 あれ……? 村井ってこんな感じの子だっけ……?

 前はもっとさばさばしていて、何でもはっきりとばしっと言う感じだったような……。


 人は見ないうちに変わってしまうって、まさにこういうことを言うんだな。妙に納得してしまう俺、すごく単純な子だね。


 「――じゃ、じゃあ、そろそろ村井も部活だろうし、俺はもう帰るよ」


 「……え、あ、そ、そうですか。わかりました」


 「おう、じゃあな」


 そう言って俺も昇降口に向かおうとしたときだった。


 「――あの」


 「……?」


 俺が振り返ると、村井が上目遣いで俺のことを見ていた。


 「ど、どうした?」


 少しだけ――ほんとにほんの少しだけだから勘違いするなよ――鼓動が早くなったたのを感じる。


 「陸上部に入る、入らないを決めるのは先輩の自由ですし、先輩が決めないといけないことだと思うんですけど……。その、何かあったら相談に乗りたいので……ラ、ラインくださいっ」


 「ライン?」


 あれ? たしか中学のときライングループに俺もいたはずなんだけど……。


 「村井って俺のライン持ってなかったっけ?」


 「あ、はい。たしかに、中学のときは持ってましたけど……先輩、最近機種変か何かしました?」


 「――あっ、そうだ」


 一瞬何を言っているのかよくわからなかったけど、村井の「機種変」という言葉を聞いてピンときた。


 「そういえば、高校入学に合わせて機種変して……たしかそのときにバックアップしてなかったら、全部データ吹っ飛んだんだわ」


 なるほど、どうりで俺の友達が少ないわけだ。リアルも、そしてデータ上も。いや、もともといないからそんなに関係ないか。

 ズキンと胸が痛むのは、きっと昼飯で食べたお弁当に入っていた焼き魚の骨がひっかかっているからだろう。そう信じたい。いや、それはそれで危なくないか?


 「そ、そういうことだったんですね……。いきなり『トークルームから退出しました』ってなったから、最初は何があったのかびっくりしちゃいましたよ……」


 村井はほっと肩をなでおろした。そしてスマホを少し操作すると、


 「じゃあ、先輩、ライン……交換してください」


 そう言って俺にQRコードを見せてきた。


 「わかった、少し待ってろ……」


 俺もポケットからスマホを取り出して村井のQRコードを読み取る。そしてすぐに友達登録が完了する。こんなに早く友達ができるなんて、うらやましいよ。リアルでもこんな機能があればいいのに……。

 

 「……はい。ありがとうございます!」


 「おう」


 村井は満面の笑みを浮かべて喜んでいる。俺のラインくらいで喜べるなんて、珍しい奴だなまったく……。


 「――では、何か困ったことがあったら何でも聞いてくれちゃってもいいですからね」


 「そうだな……何かあれば、な」


 「はいっ! 楽しみにしてますよ! それじゃあまた!」


 村井はそんなに嬉しかったのか、スキップしそうな足取りで俺を追い抜いて行った。

 「こらこら、廊下は走っちゃいけません」と言おうとしたが、もうその後ろ姿は俺の視界からはフレームアウトしていた。

 その代わりに、俺の周りには放課後を迎えた生徒たちの弛緩した空気だけが漂っていた。


 それにしても、やっぱりなんか村井の印象がかなり変わった気がするんだよな……。

 久しぶりに再会したときから感じていた違和感がずっと残っている。

 まぁ、気にしたところで村井のことなんてわからないだろうし……俺もそろそろ帰るか……。


 今日は少し面倒ごとに絡まれたが。なんとか無事に帰宅できそうだ。

 俺は少し重たい鞄をひょいと肩にかけると、昇降口に向かって歩き出した。

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