第51話 板挟み

 「……………む、村井……⁉」


 俺の目の前に現れた女の子は、村井凛。

 俺と同じ中学校であったことに加え、同じ陸上部だった後輩でもある。

 俺が部活を辞めて以来、村井とはほとんど顔を合わせていなかったけど……。たしかにあのふんわりと揺れている栗色のショートヘアは、それが彼女――村井凛であることの証左となっているのだった。


 まさかの事態が連続して目の前で起きているせいだろうか、うまく状況を掴めないでいた。

 だが、それでも俺が理解するまで待っていてくれるほど現実というのは甘くない。


 「え、どうしたの高岡くん? 村井ちゃんと知り合いなの?」


 俺と村井の関係を知らない本郷は語尾を上げる。


 「知り合いもなにも……中学のときに同じ部活だったんですよ。俺と村井は」


 「えぇ! そうだったの!」


 本郷は眼球が飛び出ようかというくらいに目を大きく開け、せわしなく俺と村井を交互に見ている。


 「そんな驚くことですかね……俺の名前を知ってる時点である程度察しがつくと思うんですけど……」


 「た、たしかに……」


 「うんうん」と頷く本郷。こいつは意外と単純な奴かもしれない……。

 そう思っていると、本郷は手をパチン、と叩きひらめき顔で俺を見る。


 「まぁ、それなら話は早いね」


 「――え?」


 「高岡くん、え? じゃないよ。村井ちゃんもいるなら、もうさっさとうちに入部できるってことだよ」


 「――はっ?」


 「知り合いがいた方が途中からでも入部しやすと思わない?」


 「それは……まぁ、そうですけど……」


 「今日は持ってないけど、明日あたりには入部届持ってくるからさ」


 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ……」


 俺の意見なんて聞き入れられそうな気配がまったくせず、あっちだけで勝手に話が進んで行く。今は完全に本郷ペースだった。

 この流れのままなあなあと事が進んで……なんていうこと、それだけは何としてでも阻止しなければ。


 「あの……俺、まだ入部するなんて言ってませんけど……」


 「え、そうなの?」


 「はい……」


 本郷はキョトンとした顔になる。いや、そういうのやめろって。男がそんな顔しても需要ないから。


 「え~、あんなに足速いのに……。陸上部入らないなんてもったいないよ。絶対けんで……いや、全国だって狙えるんじゃないかな。ほら、『目指せ全国制覇』ってやつ?」


 これを聞いて、「いや、俺全国で一番になったことありますから」って言い返しそうになった。

 でもそれを言ってしまえば、本郷は力ずくにでも入部届にサインさせるだろう。

 結果として墓穴を掘るだけというのがわかりきっているから、決して口にはしないが。


 「ねぇ、村井ちゃん。村井ちゃんもそう思わない? あの速さならきっとすごいことになると思うんだよ」


 「えっ……」


 村井は突然話題を振られ、ちょっと焦っているように「周りからは」見える。あくまでも「周りから」。

 だが、俺は知っている。村井の反応はそうじゃない、と。


 村井は俺と同じ部活だったから、あのこと――俺の過去をよく知っている数少ないうちの一人でもある。

 それにもかかわらず、今は俺を陸上部に勧誘して入部させるための橋渡し役をしなければならいなんて、なんて皮肉な役回りだろうか。

 だから素直に本郷の言うことに安易にイエスと答えることができない。村井は今とてつもなく難しい立場に立っているのだ。


 「――ど、どうしますか……高岡先輩」

 

 村井は助けてくれというような視線を俺に送ってくる。ただ、俺にどうこうする考えは今のところない。


 「どうしますか、と言われてもな……」


 あれだけのことがあって、陸上から足を完全に足を洗っていたつもりだったのに。それにもかかわらず……結局こうしてまた付き纏ってくるのか。


 ただ、ここで即決してはいけない。

 入部の誘いを受けるにせよ、断るにせよ、それなりに正当な理由がなければ相手方は納得しないだろう。

 それに、何より勧誘してくれた本郷にも失礼なことであるということは十分にわかっているつもりだ。


 どうにかしてここを一旦切り抜けたいが……。

 一向に打開策が見つからないまま、お互いに無言で見つめ合う時間が続く。


 …………………。

 …………。


 それから何秒、何分経っただろうか。

 気がつくと、どこのクラスもホームルームが終わったのだろう。廊下はいつもの喧騒に包まれ始めていた。

 

 「あ、あの……もうこの辺もうるさくなってきましたし、それに……俺にも少し考える時間をくれませんかね……。ここですぐ決めろって言うのも早計な気もするんですけど……」


 ここがチャンスだろうと感じた俺は、本郷にそう告げる。


 「うーん……それもそうだね……」


 本郷は村井を一瞥すると、


「じゃあ、僕は先に行って準備してるから、村井ちゃんはもう少し高岡くんと話しててもいいよ! 村井ちゃん、あとはよろしくね!」


 本郷はぽかんと口を開けたまま立っている村井を置いて、スタスタと昇降口の方に歩いて行ってしまった。


 その後ろ姿は、まるで新入部員が入って盛り上がっているようにも俺の目には映った。いや……まだ入るって言ってないけどね。


 明日になったら勝手に入部届にサインされられて半強制的にでも入部させられかねない。そんな嫌な感じがして仕方がなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る