第49話 勘違い
達也の話に戦々恐々している俺だったが、そこでふと優雅にグラスを拭いている晃さんの姿が目に入った。
……そういえば、晃さんって昔はどうだったんだろう。
俺はここだけの話ならいいだろうと、思い切って聞いてみることにした。
「あ、あの……晃さん」
「――おや、どうしたんだい?」
丁寧に動かしている手を止めると、こちらに視線を向ける。
「晃さんはその……女性経験はどのくらいありますか?」
「「ぶはっ‼」」
俺の言葉に、達也と晃さんはほぼ同時に吹き出してしまった。
達也は濡れた口周りを拭きながら俺の肩にいつもにないくらい優しく手を乗せた。
「ちょ、ちょっと待て伊織……。その言葉は周りに人がいる時にあまり大きな声で言わない方が今後のためだと思うぞ、俺は。うん……」
「い、伊織くん……帰ったらきちんと正しい意味を調べた方がいいと思うよ、私は……」
晃さんも遠目からではあったが、諭すような口調でそう言った。
「そ、そうですか……?」
なんで二人がこんな反応をしているのかよくわからなかった。
しかし、ちょっと……というかだいぶ店内に不穏な空気が漂い始めていることに気づいたのはそれからすぐだった。
晃さんはそれを振り払うかのように「んんっ」と一つ大きな咳払いをすると、
「そうだね……私は……」
そう言って少し昔を思い出し始めたようで、しばらく指を折り広げを繰り返して「うん」と頷くと俺の方を向く。
「私は今まで……記憶のある限りで八人の女性とお付き合いしたことがあるよ」
「ふぅーん、八人ですか…………って、えっ⁉ は、八人ですか?」
いくら晃さんみたいにモテそうな人でさえ、いても三、四人ってところかなって決めつけていた節があったから、つい納得しちゃったけど。
……いや、待って。めちゃくちゃ多いじゃんかよ。
「あ、晃さん……。それって、マジですか?」
「あぁ、マジのマジさ」
――あれ、あれれ、あれれれ?
何だろうか。何かがおかしい。
さっきまでの「ザ・大人」って感じの晃さんのイメージがどんどんと崩れていき、まるで別人と話しているのではないかと思えてきた。
え、そうだよね? 別人だよね? 割と本気でそう思いたいんだが……。今までの俺の感動を返してほしいよ。
そんな俺の悲痛の叫びなど知るはずもなく。気づいたら、晃さんは達也の隣の席に座ってコーヒーをすすっている。
「え、えっと……晃、さん?」
何かものすごく「俺らの話に交じりたい」みたいなオーラを身体全身から放っているように感じるのは俺だけか?
心なしか、晃さんのキラキラとした瞳が、俺に話の続きを促しているようにも見える。
「っていうか、晃さん。お客さんとか来たら色々まずいんじゃ……」
ほら。今は俺と達也しかいないけど、この後お客さん来たら接客しないとダメなんじゃない?
それに、客側になって考えてみなよ。店に入ったら、先客と一緒にコーヒーを飲んで談笑しているマスター。俺だったら「ここってセルフサービスのお店ですか?」って思っちゃうよ。なにそれ、とっても先進的なシステムじゃん。
「そんなことよりも、伊織くん……」
「そ、そんなこと……?」
念願の喫茶店のマスターになったというのに、それをそんなこと扱い……?
「は、はい……」
晃さんは自分のとんでも発言を華麗にスルーして急に真面目な顔になったから、俺もそれにつられて少し背筋を伸ばす。
「……君は、お客さんと恋バナ、どっちを優先するべきだと思う?」
「お客さんと恋バナ、ですか?」
――ん? あれ? 何かこの感じ、さっきもあったような気がするんだが……。すごいデジャブ感。
「今の質問はね、『恋バナとお客さんのどちらを後回しにするか』って言い換えることもできるんだ」
「……ん? んんん?」
「つまり……」
「つ、つまり……?」
「――恋バナが最優先ってことだよ」
「ってあんたもかぁぁぁぁぁい‼」
つい声が大きくなってしまった。ついでに敬語も忘れちゃった。
晃さん……。それ、達也と同じこと言ってますよ……。
こんなにカッコいいと思っていた晃さんにこんな一面があるという事実を知って泣きたくなったが、俺はそこであることに気づく。
晃さんが達也に似ているんじゃなくて、達也が晃さんに似たってことに。
あぁ、「大叔父と大甥の血は争えない」ってこのことを言うのかな……?
……なんか微妙に違う気がしなくもないが、まあ、そういうことにしておこう。
帰り際、晃さんは俺と達也を入り口まで見送りに来てくれた。
「伊織くん、またいつでも来ておくれ」
「は、はい……。晃さん、今日はありがとうございました。またお邪魔させていただきます」
「そうだね。そのときもまたたくさんお話しできるといいね」
「た、楽しみにしてます……」
晃さんと話していくうちに、きっと晃さんという人のイメージがどんどんと変わっていくのかもしれない。そう思いながらお店を後にした。
現実に打ちひしがれながら帰宅した俺は、携帯で『女性経験』の意味を調べてみた。
……………………。
…………。
……おっふ。
とてつもない勘違いをしていたみたいだった。
あんなことを公衆の面前で言っていたら……。
恥ずかしくてどこか穴があったら入りたい。
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