日常
第30話 こみ上げるもの
わたしは思わず高岡くんに抱きついていた。
うれしくて、うれしくて……ほんとにうれしかった。
だって、三年越しの想いを本人に伝えることができたんだもん。
しかも、いい返事をもらうことができた。これくらいご褒美くれたっていいじゃない?
それに、高岡くんに泣き顔なんて見られちゃったら、恥ずかしくて明日から顔合わせられなくなっちゃいそうだし……。
「――あ、あの……近藤さん?」
「――っ!」
わたしはずいぶんと長い間高岡くんに抱きついていたみたい。やだっ、恥ずかしい!
「――ご、ごめん……わたし、とってもうれしくってつい……」
自分の顔を見ることはできないけど、今わたしはとっても真っ赤になっていると思う。お風呂上がりのように熱い。
両手で顔にパタパタと風を送っていると、あることに気づく。
あれ……?
高岡くんの目の周りが赤くなっていて、目元にはきらりと光るものが浮かんでいるように見えた。
「た、高岡くん…? 目、赤いけど……だいじょうぶ?」
「えっ! マジで…?」
「うん……」
わたしはそう言ってポケットからコンパクトサイズの手鏡を取り出すと、それを高岡くんに向ける。
「うわっ!」
「もしかして、感動のあまり感極まってうるっときちゃった?」
わたしのほうがきっと涙でひどい顔になっているかもしれないと思っていたけど、今はそれを気にしないで、あえて少しからかうような口調で聞いてみる。
「べ、別にそんなんじゃないし……。あ、汗だし……」
「ふっ……ふふふ…。汗、ね……ふふふっ」
「な、なんだよ……。そんなに笑わないでよ」
高岡くんは顔を真っ赤にして否定している。
わたしはふと思った。
「なんだ、全然普通に話せるじゃん……。わたし、こんなにテンパっちゃったりして……」
「――ん? 何か言った?」
「えっ⁉ う、ううん。なんでもないよ……。高岡くんが茹でだこみたいでおいしそうだなって」
「ゆ、茹でだこって……そんなに俺をからかわないでくれ……。からかわれ耐性高くないからさぁ……」
高岡くんは降参とばかりに両手を広げた。
ちょっとやり過ぎちゃったかな……。
でも、楽しかった。初めてこんなにいろんな表情をする高岡くんを見ることができたから。
ふと腕時計を見ると、もうそろそろ五時になろうとしていた。
「あっ! わたしそろそろ友達と帰る約束してるんだった! そろそろ行かないと……」
「そ、そうなんだ……」
「本当はこのまま高岡くんと一緒に帰りたいな……って思ったんだけど……。先に約束しちゃったんだよね……ごめんね」
「全然いいって。じゃ、じゃあ行こうか……」
そう言って高岡くんは歩き始める。
わたしは荷物を持つと、走って高岡くんに追いつき、隣を歩く。
「た、高岡くんは一人?」
「う、うん」
「そっか……」
…………………………。
それっきり、会話という会話はなく、しばらくお互い黙ったまま階段を降りていく。
普段この辺りは生徒でごった返しているんだけど、今は同じ場所とは思えないほど静まり返っていて、わたしと高岡くんの上履きの音だけが廊下の奥まで響いていた。
あれ……。廊下ってこんなに長かったっけ。
まるでいつまでも続く道を歩いているのかな、と錯覚してしまいそうだった。
「――そ、そうだ、高岡くん」
わたしはこの沈黙に耐え切れず、口を開く。
「――ど、どうしたの近藤さん……?」
高岡くんは顔を真っ赤にしながら、こちらを見ている。
「え、えっとね……」
つい言葉を発してしまったけど、何を話そうかなんてこれっぽっちも考えていなかったことに気づく。
なんとかして話題を探そうとしたけど、高岡くんがじっとこっちを見ていると、余計に頭がグルグルして何一つ思い浮かべることができない。……ど、どうしよう!
「こ、近藤さん……?」
「ひゃ、ひゃいっ!」
人生で一番恥ずかしい返事をしてしまったかもしれない。どうしよう、恥ずかしすぎて高岡くんの顔すらまともに見れない……。
あぁ、高岡くんに変な人だと思われちゃってるかもしれないな……。
「えっと、あの……その……」
どうしよう、どうしよう――
「――今日は……楽しかったね、体育祭」
「えっ?」
高岡くんは優しい声でそう言った。
思いがけない助け舟に、さっきまでグルグルしていた頭がすーっとクリアになっていく。顔の熱さもだんだん引いてきた。
「そ、そうだね……とっても楽しかった」
そうだ……そうだった。
さっきまで高岡くんに告白することで頭がいっぱいだったけど、今日は体育祭だった。
「わたしね……高岡くんと踊ったダンスが一番楽しかったよ」
「お、俺も……。近藤さんとのダンスが一番楽しかった」
「……そ、そっかぁ」
そんな感じで、今日あったことを二人で話していると、突然、高岡くんが立ち止まる。
「――近藤さん」
そして真剣な顔でわたしを見つめる。
「な、なに? ど、どうしたの?」
高岡くんがさっきとは全然違う表情をしていて、これから彼が何を言うのかまったく想像もつかなかった。
「そ、その……」
すると、高岡くんは俯き加減になりながら、
「今日はほんとうにありがとう。いや、今日だけじゃない、体育祭の練習が始まってから、色々と……ほんとに色々と。近藤さんがいなかったら俺はきっと今年も去年みたいにボッチしていたと思う。ダンスだってそう。そして何より……リレーのときの言葉。あれがなかったら今頃どうなっていたか……」
高岡くんは依然として俯きながら、でも、その一つ一つの言葉ははっきりとわたしの心の中に伝わってきた。
「――だから」
そう言ってすっと顔を上げると、
「ありがとう。そして、これからもよろしくね!」
「――っ!」
そのとき見せた高岡くんの笑顔は、あのとき、わたしが一目惚れしたあの笑顔と同じだった。
あのときは遠目でしか見れなかった笑顔。それが今、目の前にある。
あぁ、本当に叶っちゃったんだな……。そう思う。
一度燃やした大きな願いは一度も彼に届くことなくしまい込んだ。
でも奇跡が起きた。
運命がめぐりめぐって、今ここに二人で立っている。
胸が熱くなる。鼓動が高まる。
「た、高岡くん……」
どうしよう、また泣いちゃうかもしれない。さっきあんなに泣いたばっかりなのに。わたしこんなに泣き虫だっけ……。
今にも目から涙が溢れそうになったけど、ここはぐっと我慢して涙が収まってくれるのを待つ。
ふと高岡くんを見ると、手が少し震えていた。
そこで気づく。
きっと高岡くんも緊張しているんだ、と。そしてそれがバレないように必死でこらえているのだ、と。
「――高岡くん」
わたしはやさしく彼の名前を呼ぶ。
「わたしからも言わせてほしいな……。こうして今高岡くんと一緒にいれることが、わたしはほんとうにうれしい。……ありがとう」
「近藤さん……」
高岡くんは顔を赤くして、頬を指で掻いている。
「高岡くん……もしかして今、照れちゃってる? また顔赤くなってるよ」
「――っ⁉ て、照れてなんかないし……顔が赤いのは……そう、夕日のせいだよ、きっと……そうに違いない」
そっぽを向いて必死に隠しているのが高岡くんらしくて……やっぱり好きだなって思う。
「そ、そっか……。じゃあそういうことにしておくね……ふふふ」
「そ、そうだ。近藤さん、たしか友達と待ち合わせしてるんだったよね。こんなところで立ち話させてたら遅れちゃうかも……。ごめん、もう行こっか」
「そ、そうだね……」
なんだか高岡くんの反応を見ていると、心があったまるような気がする。
少し小走りで昇降口につくと、それぞれ下駄箱から靴を取り出す。
「今日は、本当にありがとう……高岡くん」
「あっ、うん。こちらこそありがとう、近藤さん」
わたしはローファを履いて、昇降口を出る。
ひんやりとした風が吹いてくる。いつもは寒いのは嫌いだけど、今はこの火照った身体を冷ましてくれるにはむしろちょうどいい。
「じゃあわたし、行くね」
「あ、うん。じゃあまた……来週」
「うん!」
そう言って胸の前で小さく手を振ると、わたしは待ち合わせの校門へと駆け出した。
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