第29話 開花

 「……………………」


 あぁ。俺は普段から自己評価は高い方ではないが、今の俺は俺史上最低のレベルでダメな奴認定をすることができるだろう。

 女の子にこんな表情をさせるなんて――。


 自分の思っていたこと、していたことがどうしようもなく情けなく思えてくる。

 男失格の烙印を押されても、何も文句は言えないだろう。


 陸上部の人たちだって、最初俺が入院したときは何度もお見舞いに来てくれたし、心配もしてくれた。

 でも、後で聞いた話によると、裏では俺の活躍を妬んでいた奴も何人かいて、文句を言いながら嫌々病室に来ていたという。


 結局、人というのは自分が活躍したいというのがその本質なのであり、表面上を取り繕っても、本心は真逆であったりするなどは往々にしてよくあることだ。

 俺は中学でそのことに気づいてからは、人を懐疑的に見るようになってしまった。

 もちろん、高校入学後もそのスタイルに変化はない。


 だが、近藤さんに限っては、そのようには見えない。

 今まで見てきた人の中で、近藤さんは最も純粋な心の持ち主であると思う。そんな近藤さんが俺にまっすぐな好意を向けてくれる。


 こんなにも俺のことを想ってくれているのに。

 それなのに――。

 こんなの、単なる自分の中のエゴの押し付けでしかないじゃないか。

 そんなくだらないプライドによって、自分のエゴに突き動かされていただけなのかもしれない。


 以前の苦い経験によって生まれたエゴ。

 自分の中で勝手にそういうフィルターを作り出し、それを通してでしか物事を見れなくなってしまった。


 なぜか。その答えは至極シンプルなもので――自分に対して自信が持てないからだ。

 それはつまり、自分という存在の弱さの裏返しともいえる。


 誰かのためを思ってした言動も、遡っていくと究極的には自分に対して保険をかけていたということに辿り着く。

 だから、今近藤さんに言おうとしたことは、近藤さんのクラスの居場所を守るためというのが建前で、本音はただの自己保身だったのではないだろうか。

 そんなことを考えていた自分がとてつもなく恐ろしく感じる。


 近藤さんの言葉がなければ、俺はこのまま大きく道を踏み外し、きっとこの先も自分の中の恐ろしい思考に気づくことなく、相手のためという身勝手な根拠による言動によって、自分で自分の首を絞めていたに違いない。


 自分の過ちに気づき、冷静さを取り戻したところで、改めて近藤さんからの告白について考える。


 もしも。

 近藤さんがあのとき、競技場に来ていなかったら。


 もしも。

 最後まで残らずに帰ってしまい、俺を見つけていなかったら。


 もしも。

 俺のことを忘れてしまっていたら。


 もしも。

 近藤さんと同じ学校に通うことになっていなかったら。


 もしも。もしも。もしも――。


 俺は、近藤さんと出会い、こうして面と向かって話したりすることは一生なかっただろう。

 これはある意味奇跡的な巡り合わせでなないだろうか。今までのひとつひとつの奇跡が一つに繋がったことで、こうして今の状況がある。

これを奇跡と呼ばずして、何と呼ぶのか。


 「――⁉」


 そこで気づく。

 近藤さんと出会ってから何度か感じていた、そして今も感じているこの胸の奥のモヤモヤと燻っている気持ち。その正体が。ぼんやりながらも少しわかったような気がする。


 ――近藤さんに初めて声を掛けられたとき。


 ――近藤さんにノートを見せてもらったとき。


 ――近藤さんが筆箱をひっくり返して、一緒に拾ったとき。


 ――体育祭の連絡でクラスがバカ騒ぎして、近藤さんと一緒に笑ったとき。


 モヤモヤを感じるのは、いつも「近藤さんと」何かをしたときだった。

 誰か他の女の子と何かをするときにはモヤモヤなんてまったく感じなかった。

 近藤さんに対してだけ感じた。つまり、近藤さんに対する特別な感情。


 それは――恋。


 うん、たぶん。これが恋ってやつなんだろう。

 恋愛経験皆無の俺は、この感情が恋であるということに一か月以上もかかってしまった。


 何て鈍感野郎なんだ俺は……。

 もう少し早く気づいていれば……。


 俺は自分を自分で責めたくなった。でも、過去をいくら責めたところで、この先を変えることはできない。


 だから、今を。そして未来に目を向けるべきだ。


 そして何より、昨日からのこの気持ちが恋だとするのならば。このチャンスを棒に振ってしまったら、俺は絶対に後悔する。


 「――こ、近藤さん……」


 「た、高岡くん……」


 俺は、覚悟を決めた。

 少しずつ冷えてくる空気をめいっぱい吸い込む。


 「俺は近藤さんのことをあまり知らない……。だから、俺も近藤さんのことをもっと知りたいと思ってる。俺は恋愛なんてまったく無縁で、これからもずっと独りで生きていくもんだと思ってたんだ。……でも、でも……」


 声が震える。手が震える。身体全身が震える。緊張から高揚感、幸福感まで。様々な感情が体の内側を駆け巡る。


 「俺は……。俺は……。もう独りで生きていくのは……嫌なんだ‼」


 自分の内面に抱えている気持ちを誰かに話すことなんてめったにないから、今自分がどんな顔をして、どんな風に近藤さんを見つめているのかもわからない。

 でも、次から次へと言葉が溢れてくる。


 「近藤さん。俺からも言わせてほしい。俺も、近藤さんのことが……好きです。近藤さんと出会ったあの日から、きっと俺も一目惚れしてたんだと思う。だから……だから………俺と付き合ってください!」


 俺の一世一代の告白が二人だけの屋上に響く。

 目の前の人に話すくらいなら、こんなに大きな声は普通なら出さない。でも、近藤さん勇気を振り絞って伝えてくれた気持ちを考えると、大声を出さずにはいられなかった。


 しかし、すぐに俺の声ははるか遠くの空へととけていき、屋上は静寂に包まれる。

 校舎の下の方では、どうやらさっき竹下先輩が言っていたシャンパンファイトが始まったらしく、あちこちから「きゃあきゃあ」と甲高い声が何重にもなってここまで来る。

 

 しかし、今このとき、屋上だけはお祭り騒ぎとは一線を画すような静寂っぷりだった。


 そのタイミングを待っていたかのように、南風が二人の間を通り過ぎた。それに青々とした葉っぱたちが絡めとられ、暗闇の大空へと舞い上がっていく。


 そして、数秒の沈黙の後――。


 「た、高岡くん…………高岡く~ん」


 そう言って近藤さんはダムが決壊したように大粒の涙を流し、顔を歪ませながら俺に抱きついてきた。

 その可愛らしい顔を俺の胸にうずめ、小さく華奢な身体をめいいっぱいに広げ、嗚咽を漏らしている。


 一瞬、目の前で起きていることを正常に理解することができずにいた。

 でも、いつまでもおどおどなんてしていられない。


 俺は、近藤さんの……………か、か、彼氏、なんだから。

 俺は恋愛というものを知らない。あまりに無知過ぎる。


 だからこそ。俺はこの先、近藤さんと一緒に同じ時を過ごすことで、全部とまではさすがにいかないまでも、その一端くらいは垣間見えるようになるのではないだろうか。


 『恋愛は抽象的』


 ……やれやれ。

 俺のあの凄まじい回数の考察は、どうやら案外的を射たものだったのかもしれない。

 抽象的過ぎて、先行きは不透明。見渡す限りの砂漠、みたいな。


 きっと、恋愛はというのは、方位磁針も地図も持たずに、その広大な砂漠の中からオアシスを見つけるという行為に近いのかもしれない。

 だから、予測なんてものもほとんど不可能。


 なぜなら……こんな、恋愛経験のまったくない俺にだって彼女ができたからだ。

 果たして、この地球にいる人のうち、どれほどの人が俺に彼女ができるなどと想像できただろうか。おそらく誰一人もいないはずだ。

 当の俺ですら想像の『そ』の字もできなかったのだから。


 俺と近藤さんは、答えというあるかどうかもわからない、そんなオアシスを目指して進んで行かなくてはならないだろう。

 時には喧嘩だってするかもしれない。お互いの価値観が合わないかもしれない。だって、人間だもの。


 同一なんてありえない。俺たち人間はひとりひとり個性がある。その個性が「私」というアイデンティティを創り出しているのだから。


 きっと、二人の間には少なからず何らかの溝ができるときがくるかもしれない。

 ただ、そこにお互いを思いやり、わかり合おうとする橋を架けられるかどうかで、2人の関係は太くも、また、細くもなるだろう。


 ――俺は近藤さんを大切にしたい。


 こんなにも俺を想ってくれている人を大事にしなくて、何ができるというんだ。

 近藤さんが見せてくれる多彩な表情を、これから見せてくれる表情も、全部守りたい。


 それが使命、なんて言ったらだいぶ痛い奴に見えなくもないが、俺は本心からそう思っている。


 近藤さんのためなら、どんな理不尽にだって立ち向かえる、そんな気がする。

 だから、俺は――。


 今もなお嗚咽を漏らし続ける近藤さんを、両手で優しく包み込んだ。近藤さんの柔らかな感触と体温が手の平を通してじんわりと伝わってくる。


 女の子とハグなんてしたことないから、どんな強さにするべきか、一瞬の迷いがあったものの、近藤さんに触れたことでそれは杞憂に終わった。


 すると、どこかで緊張の糸が切れたのだろうか。目の奥がジンと熱くなり、俺の目から何か熱いものが溢れてきて、そのまま頬を伝る。視界がぐにゃりと歪む。


 ――ああ、情けねぇ……。

 これじゃあ近藤さんとのことをまともに見ることもできないじゃないか。

 ………まあ、でも。しばらくこうしていよう。


 桜の花びらはとっくの昔に散ってしまい、今では新緑の葉が木々を彩っている。

 昼間の熱さはどこへやら、日が沈むとまだ幾ばくかの肌寒さを感じる、五月も中旬に差し掛かろうかという今日、この日。


 海を一望できるこの学校の屋上で、新しい花が小さく、しかし力強く咲いた。

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