第18話 白羽の矢
――数日後。
ついに体育祭本番がやってきた。
俺が学校に着くころには、もうすでに多くの生徒が登校していて、マスコットの設置をしたり、ラインマーカーでトラックに線を引いたり、競技で使う道具の搬入作業などをしていた。
その一人一人が、今日という日を心の底から待ち望んでいたのがわかるほどの笑顔を見せていた。
グラウンドでせっせと準備に励む生徒とは別に、校舎の前あたりでダンス練習をしている集団を見つける。
本番前最後の練習ということもあって、みんな気合が入っているようだ。
かくいう俺も近藤さんと最終確認をしておきたくて、少し早めに登校してきたのだった。
近藤さんとの待ち合わせの時間は七時四十五分。
今は七時半だから、時間的にはまだ余裕がある。
教室に荷物を置いて待つことにしようと、昇降口に足を向けたときだった。
「――おはよう、高岡くん~」
少し遠くの方から声がしたので振り返ってみると、近藤さんが手を振りながらこちらに向かって駆けてくるのが見えた。
「おはよう、近藤さ――」
俺は目の前に来た近藤さんを見て、思わず息を呑んだ。
いつもの近藤さんの雰囲気とは少し違っていたからだ。
ミディアムロブの中に三つ編みを施し、髪の先のほうを赤いリボンでまとめている。
メイクも――目元に付けるピンク色のやつってチークっていうんだっけ――普段の学校生活よりかは目立っていたが、それでも濃すぎず、ちょうどいいくらいのナチュラルメイク。
頬には少しキラキラしたラメっぽいものを付けていた。
俺はお化粧の知識なんてこれっぽっちもない。
しかし、そんな俺から見ても、今日の近藤さんのメイクは気合が入っていて、仕上がりもとてもいいと思った。そんな近藤さんに、俺はドキッとさせられた。
近藤さんは若干視線を俯けながら、顔の前で人差し指をつんつんしながら、
「ちょっと頑張ってみたんだけど……どう、かな?」
「え、えっと……すっごくいいと思う。……めっちゃかわいい…………あっ」
ヤバい! 思わず最後に本音が口から零れてしまった。
近藤さんに変な風に思われてないだろうか。
「あ、えっと、今のはその……」
俺が必死に弁解しようとしたのだが、うまく言葉が出てこない。
当の近藤さんはというと、
「っ…………………!」
ものすごく顔が赤くなっていた。おまけにプルプルと小刻みに身体も震えている。
「こ、近藤さん……?」
俺は近藤さんが怒ってしまったのではないかと、不安な気持ちになる。
でも、近藤さんの口から返ってきたのは、予想外なものだった。
「あ、ありがとう」
「え?」
俺は思わず聞き返してしまう。
近藤さんは赤面した顔のまま、ぽつりぽつりと答える。
「その……体育祭だからって張り切ってメイクしてみたんだけど、ちょっとやりすぎじゃないかな、変じゃないかなってちょっと心配だったの……。でも、その……か、かわいいって言ってくれて……すっごくうれしかったよ」
「ぜ、全然大丈夫……。へ、変じゃないから……」
「そっかぁ……よかった……高岡くんに見せるために頑張った甲斐があったなぁ」
「ん?」
近藤さん、今何て……?
「えっ? いや、なんでもないよ? えっと……じゃ、じゃあ時間も時間だし、ダンス練習しよっか!」
何かをごまかすかのような声で近藤さんはそう言った。
「そ、そうだね……」
しかし俺はそれに関して特に追及することなく、近藤さんと最後のダンス練習を始めることにした。
最後のダンス練習でも完成度は自分でも納得のいくものだったし、近藤さんも「もう問題ないね」と太鼓判を押してくれた。
俺は近藤さんから褒められて、かなり上機嫌のまま教室を後にする。
グラウンドに出ると、さっきよりも人が増えている。
半分以上の生徒が髪を染めたり、髪形を自己流にアレンジしているのを見ると、今日が体育祭という特別な日であることを実感する。俺はいつも通りですけどね、はい。
そろそろ開会式が始まる時間になった。
俺は自分の席に向かい、水筒やらタオルやらの持ち物を置き、自分のクラスのところへ向かった。
ほどなくして開会式が始まり、ついに体育祭の火蓋が切られた。
思ったよりも競技の進行スピードは速く、あっという間に午前の種目が終わり、昼休みに入る。
教室で弁当を食べようと、昇降口に差し掛かったとき、誰かから声をかけられた。
「――あ、高岡じゃん。ちょうどよかったよ」
「……っ!」
そこに立っていたのは竹下先輩だった。
竹下先輩とは赤組の顔合わせのときに色々ともめて、あれ以来ほとんど会話をしてこなかった。妙に気まずい雰囲気が漂い始める。
「な、何ですか……?」
あのときの嫌な記憶がよみがえり、額から冷や汗が伝う。
「そんなに怖い顔しなくてもいいのに……。ちょっと大事な話があってね」
「大事な話?」
何だか嫌な予感が……。
「うん。リレーのことなんだけど――」
まじか。嫌な予感が的中しすぎてほんと嫌になる……。
「アンカーは高岡に変更しといたから、よろしくね」
「――はっ⁉」
あまりの衝撃の一言に、ここが学校内であるにもかかわらず、大きな声を出してしまう。
「ちょ、ちょっと待ってください! 俺がアンカーってどういう意味ですか? たしか、アンカーは団長がやるんじゃないんですか?」
俺が通っている高校の体育祭のリレーのアンカーは毎年組の団長がやるのが通例らしく、我が赤組も最初は団長――桑田敬先輩がアンカーってなったはずなんだけど。
「いや~、それがね……」
竹下先輩はニヤッとした顔をして、スマホを操作する。
「今朝、敬から俺に連絡があってね。『今日はあんまり調子よくないからぁぁぁぁあ、アンカーを誰か他のごっつ速い人に変えてくれぇぇぇぇえ』ってライン来たんだよ」
そう言って俺に桑田団長とのトーク履歴を見せてきた。
……たしかにそう送られていた。
団長ってラインでもこの語尾なのね――やっぱり団長はクセが強いんじゃ。
それにね、と竹下先輩は続ける。
「敬はもともと足が速い方じゃなかったんだ。だから『最初からアンカーは嫌だ』って言ってたんだよ」
「そ、そうなんですか…………」
どうやら、団長は走るのが苦手で、それに加えて今日は調子が悪いからという理由でアンカーを辞退。それで俺に白羽の矢が立った、ということか。
いや、団長ただ走りたくなかっただけでしょ。だったら最初からやらないって言えばいいものを。あんなにメンタル強そうな感じがあったのに。
「それで……なんでアンカー代理を他の3年生にしなかったんですか? やっぱりアンカーやりたいと思う人くらいいると思いますけど……」
リレーの選手を決めるとき、大半は立候補で決まっていたから、なかなかやる気のある人たちだと思っていた。だからその中にアンカーをしたいと思っている人はいてもおかしくない。
「いやいや、さっきの敬のライン見てないの? 『ごっつ速い人』ってあるだろ? 今回のリレーの選手の中でごっつ速いっていったら、お前くらいしかいないだろ? だって中学日本記録保持者なんだから」
「うっ……………………」
その「中学日本記録保持者」という言葉に、胸がチクリと痛む。
「で、でも……それはあくまでも中学のときの話で……。部活辞めてからほとんど走ってないですし……。よっぽど先輩のほうが速いと思うんですけど」
部活を辞めてからおよそ三年も経っている。
いくら中学日本記録保持者とはいえ、三年のブランクは決してすぐに戻ることはない。
それに、俺は病気を何回か繰り返しているから、あのときのタイムはもう出すことはできないだろう。
それは部活を辞める動機の一つでもあったから、自分で痛いほどわかっている。物理的にも、精神的にも。
「まあまあ、たしかにそうかもしれないけど、もうエントリー変更しちゃったからさ。諦めて走ってよね」
「そ、そんな……」
そうだ、そうだった。俺の事情なんて微塵も考えてくれないのがこの人――竹下徹という人間のやり口だ。
「わ、わかりました……」
釈然とはしないが、これ以上言っても無駄だし、なるべくこの人とは会話をしたくない。
「うん、期待してるから~頑張ってね~」
軽くそう言って竹下先輩は人ごみの中へと消えていった。
「はあ……………。アンカーか……」
俺の嘆息は決して誰の耳に入ることもなく、賑わいを増す喧騒の中にすっと消えていった。
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