第16話 ダンス偏差値
翌日。
「ふぁ……ねむい……」
この時間はいつもなら起きる時間なのだが、俺は学校の教室にいた。
部活にも入っていない俺が、なぜこんな朝早く学校なんかにいるのか。
それは――。
「――おはよう、高岡くん」
「お、おはよう……近藤さん」
近藤さんが教室に入ってくる。
「今日からダンス、がんばろうね!」
「お、おう……」
というわけで、今日からは、あと一か月後に迫った体育祭のダンスの朝練が始まるのだ。
いつもの俺なら早々に不参加を表明し、体育祭という行事からもドロップアウトしていたと思う。
しかし、どういう風の吹き回しかはわからないが、今年はなんと近藤さんから直々にお誘いがあったのだ。
ダンスはとてつもなく苦手な俺は最初はもちろん断ろうとしたが、近藤さんの熱意に押され、最終的にペアを組むことになった。
「この前も言ったと思うけど……俺、本当にダンスできないよ」
「だいじょうぶだよ。わたしに任せてっ!」
力こぶを作るようなポーズでウインクをする近藤さん。
「ははは………………」
任せてっ、と言われましても…………。
おそらく俺のダンス偏差値は、近藤さんが思っているよりもずぅぅぅぅっっと低い。なんなら低すぎて地面めり込むレベル。
もし教えてもらうことが何一つ理解できずに、呆れられてしまったらどうしよう。
こんなに覚えが悪い人とは踊りたくない、と言ってペア解消なんてことも……。
ぶっちゃけ、かなり不安だった。
「じゃあ、まずはダンスの動画から見よっか」
そう言って近藤さんが制服のポケットからスマホを取り出す。
「この動画はね、先輩たちが前々に作ってくれて、ダンス踊る人に送ってるんだって。動画なら家に帰っても見られるから、本当にありがたいよね!」
「え……動画?」
近藤さんの言葉に、俺の頭の上に疑問符が浮かぶ。
今近藤さん、ダンス踊る人って言ったよな……。
俺、踊るのにもらってないんだが。
え、何? 俺って踊る人にカウントされてないの? 俺ダンスの紙出したし、名前も書いたよね?
「え、えっと、近藤さん」
「ん……どうしたの?」
「いや、あの……俺、その動画もらってないんだけど…………」
「えっ⁉ そうだったの?」
びっくりした声を出す近藤さん。
――いやね、俺が一番びっくりしてるんだよな……。
「ごめんね……。じゃあ今から送るよ……あっ」
近藤さんの動きが止まる。
「あの……高岡くん」
「ん?」
「そういえば……わたし、まだ高岡くんの連絡先もらってなかったんだ……。だから……その……交換、してくれる?」
近藤さんは顔を赤らめ、もじもじと身体をよじりながらスマホを差し出してくる。
「っ………………⁉」
やめて! そんな恥ずかしそうな感じでお願いしないで! こっちまで恥ずかしくなっちゃうって……。
そんなかわいさ溢れる行動に、俺は不覚にもドキッとする。
女の子と連絡先を交換したことなんて、妹以外には誰もいない。あ、あと母さんがいたわ。
――つまり、身内だけってこと。
心拍・血圧が上昇していく。手汗も滲んできた。
と、そこでリトル・伊織が久々に参戦してきた。
――おいおい、何をそんなにテンパってんだ。
――たかが動画をもらうための交換だろ?
――そんなこと造作もないことだろ?
――他の奴らはクラス替え初日でササっと終わらせてるぞ?
べべべ別に? 俺は? 女の子と連絡先交換するなんて、余裕……だし?
お前に煽られようが? ぜぜぜ全然平気だし?
なんなら、めちゃめちゃキザなセリフでも添えてやろ――
「――高岡くん……?」
「……あっ」
近藤さんの呼ぶ声と、不思議そうな目でこちらを見ていることで、俺はすぐに現実に引き戻される。
危ない、危ない。思いっきり煽りに乗せられてたな、俺。
んんっ、と咳ばらいを一つする。
「そうだね……。じゃあ失礼します……」
俺はキザなセリフなんて言えるはずもなく(そもそもそんなセリフ知らない)、オーソドックスな言葉しか口から出なかった。
近藤さんのスマホに表示されているQRコードを読み取ると、俺の画面に【ゆい】というアカウントが友達追加された。
プロフィール画像は、友達だろうか。ふたりで顔を寄せ合ってピースをしている。
「……………………」
画面に映っている近藤さんの瞳に一瞬吸い寄せられそうになったが、すぐに近藤さんからメッセージが届く。
「はい、これダンスの動画ね」
「……うん、ありがとう」
「じゃあ、早速ダンス見よっか!」
「は、はい……。よろしくお願いします」
こうして俺のダンス練習が始まったのだった………が。
俺の予想は見事に的中することになった。
まず、ダンスの振り付けを覚える以前に、ステップができない、足と手で別々の動きができない。ダンスの「ダ」の字もままならいという、悲惨な幕開けだった。
さっきまで「わたしにまかせてっ」と豪語していた近藤さんも、さすがにここまでとは考えてもいなかったらしく、「体育祭までに間に合う?」と顔を青くして本気で心配していた。
放課後も近藤さんが部活の時間を削ってまで俺のダンス特訓に付き合ってくれた。
あまりのできの悪さに、呆れられて捨てられる……なんてことはなさそうだけど、この状態のままではさすがに近藤さんに失礼だし、それに、俺のプライドが許してはくれなかった。
帰宅後は自室にこもり、ひたすら近藤さんからのアドバイスを頭の中で繰り返し、何度も何度も反復した。
隣の部屋の妹から「うるさい!」と言われようが、リビングにいる両親に「床が抜けちゃうからそんなにドスドスやらないで」と言われようが、そんなのは知ったことか。
それに、どうしてもわからないところは近藤さんにラインで直接聞いたりもした。
同級生の女の子との初めてのラインといえば、書いては消して、書いては消してを繰り返し、返信ボタンを押すか押さないかで悩むのが鉄板だと思っていたが、俺はダンスのことで頭がいっぱいで、それを考える余裕すらなかった。
俺はそんな毎日を送った。
そのおかげで、俺の血の滲むような努力(誇張)は、次第に目に見える結果として出てくるようになった。
これは事実。裸足で踊ったりしてたから、足の皮は剥けたよ?
具体的には――ステップが素人並みになったり、足と手で別々の動きが素人並みにできるようになった。
――素人レベルじゃねえか、と突っ込みを入れたくなるが、それは早計に過ぎるのではないだろうか?
まあ、よく考えてみろ。ステップも、手足別々の動きも、まったくできなかった俺が、たった数日で素人レベルにまでになった。
これってものすごい進歩じゃないか?
1から2にすることよりも、0から1にすることのほうがずっと難しい。たしか、コロンブスの言葉だった気がする。コロンブスさんマジ偉大。
素人レベルにまでなれば、あとはこっちのもんだ。
俺はそれからのダンス練習にも毎回顔を出し、近藤さんともみっちり特訓した。
練習にさらなる練習を重ねたことで、ダンスの技術は加速度的に上達していった。
そして――
「お、踊れた!」
俺はついにダンスの振り付けを誰に見られても恥ずかしくないレベルにまで仕上げることができた。
「すごくよかったよ! やったね、おめでとう!」
近藤さんもぱちぱちと手を叩いてくれている。
「いやぁ……最初はどうなるかと思ったよぉ……」
「……………っ⁉ そ、そうだね…………」
ダンス練習開始当時の苦い思い出がフラッシュバックしてくる。踊れなかったあの頃が妙に懐かしい感じがしなくもない。
「わたしの教え方が下手なのかなってちょっと悩んだりしたんだよね……」
「えっ⁉」
近藤さん、やっぱり俺なんかに教えるの迷惑だったんじゃ――
「……あっ、今はそんなこと思ってないよ。……むしろ、成長が早すぎてこっちが怖くなっちゃうぐらいなんだから……」
「あ、ありがとう……」
そう。今の俺はあのときの情けない俺じゃない。
体育祭まで一か月もない短期間だったが、よく周りから見てもなんの問題もないように見えるくらいまでレベルアップができたものだと、自分でも感心しているくらいだ。
というか、さっき近藤さんも言ってたけど、俺自身も正直ビビってる。
人は本気になれば、無理だと思っていたことも案外できてしまうものなんだと、強く実感した俺であった。
「体育祭、もうすぐだね……」
「ああ……そうだね」
俺と近藤さんは空を見上げる。
桜はもう完全に散り、木々は新緑の芽をいっぱいに広げ、存在感を表出し始めた日光を浴びている。
「んんんっ~………はぁ」
俺もそれに倣うように思いっきり伸びをする。
学校行事でこんな清々しい気分になったのはいつぶりだろうか。
「俺は陰キャ」というバイアスがかかった状態で学校生活を送っていたから、学校行事に否定的な考えしか思い浮かばなかったのかもしれない。
もしかしたら――体育祭って案外面白いものなのかもしれない。
今までは体育祭なんて、陽キャのマウント合戦だと思っていた。
しかし、近藤さんと出会ってまだ一か月であるが、俺の高校生活はたしかに近藤さんという存在によって大きな転換点を迎えている、そういう実感がある。
この先も近藤さんといれば、もしかしたら新しい自分に――
「……………⁉」
そこまで考えたところで、近藤さんがじーっと見ていることに気がつく。
「ど、どうしたの……?」
「え、えっと……何でもないよ」
「……そ、そう」
「そ、それよりも! 体育祭、楽しもうよ!」
近藤さんは何かをごまかすかのように、無邪気な笑顔で右手を空に掲げる。
「も、もちろんだよ!」
俺も近藤さんと同じように右手を上げると、それを見た近藤さんは「ふふふっ」と笑う。
「え、どうして? 俺おかしかった……?」
「ううん、なんか……ふたりで同じポーズ取ってることがおかしく思えてきちゃって……ふふふっ」
「……?」
どうも近藤さんの言っていることがわからなかったが、すぐに全身が温かい何かに包まれるような感じがして、どこかとても心地よい気持ちになっていった。
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