第13話 保健室
「……………………ん? ここは……………」
消毒液の独特の匂いが鼻を突き、俺は目を覚ました。
初めは、今いる場所に皆目見当がつかなかったが、目の前に映っている白い天井に、白いカーテンなどから、ここが学校の保健室であるということを理解する。
「――高岡くん……気がついた?」
すると、俺のすぐ横で誰かの声がする。
声のするほうを振り向くと、そこには近藤さんがいた。
近藤さんは心配そうな表情でパイプ椅子に座りながら、俺のことを見つめていた。
「こ、近藤さん……………?」
俺は驚きで少し声が上ずってしまった。
「うん……あ、ちょっと待っててね、今先生呼んでくるから……」
そう言って、とことことカーテンの外に行ってしまった。
「……………………?」
どうなってるんだ? 何で俺は保健室にいる?
それに、どうして近藤さんまでここに?
俺はここに来るまでの記憶を何一つとして思い出せず、困惑していた。
しばらくして近藤さんが養護の木村先生とともに俺のところに戻ってきた。
「あら、目が覚めたみたいね、高岡くん」
近藤さんとともに戻ってきた用語の先生――木村先生は優しい口調でそう言った。
俺は中学の時から病気を繰り返していて、その関係で、入学後も体調についてしばしばお話しする機会があったから、お互い面識がある。
「はい……。ありがとうございます」
ベッドから少し起き上がり、ぺこりと頭を下げる。
「……あっ、そうだ」
俺は思い出すように顔を上げる。
「それで……なんですけど……。俺はなんでここにいるのでしょうか? 正直言って体育館にいたときからの記憶があんまりなくて……。たしか、誰かに声をかけられて……そのままどこかに連れていかれるところくらいまでは覚えているんですけど……」
まだ若干の頭痛が残る頭をなんとか回転させて思い出す。
「ああ、そのことなら……」
木村先生はそう言って身体ごと隣――近藤さんのほうをゆっくりと向く。
そして顔だけこちらを向くと、
「詳しいことは彼女に聞いた方が早いと思うわよ」
そう言ってにこっとほほ笑むと、木村先生はそのまま奥の方へ行ってしまった。
「…………?」
俺は木村先生の言っていることがよくわからなかった。
近藤さんが……?
「……近藤さん……さっきの木村先生の言ってたことって…………」
俺は近藤さんのほうを向きながらそう尋ねる。
「………っ」
目が合った近藤さんは少し頬を薄桃色に染め、視線を左右にやりながら、
「どうしてもなにも、高岡くん、体育館で、その……三年生の先輩と言い合いした後、隣で真っ青な顔してて――」
「――あっ」
俺はそこまで聞いて、バラバラだったパズルのピースがカチッとひとつにはまったような感覚を覚える。
――そうか、そうだったのか。
あのとき、俺は先輩と軽い言い合いになり、過去を、それも今まで誰にも言ってこなかったトラウマというべき俺の過去を、全校生徒という公衆の面前で躊躇することなく晒した。
そのことで錯乱状態に陥った俺の異変に、隣にいた近藤さんはいち早く気づいてくれた。そして保健室まで連れてきてくれた。
落ち着いて思い出していれば、こんなことすぐにわかることなのに……。
俺は深い自責の念に駆られた。
「――近藤さんっ!」
「は、はいっ………」
急に大きな声を出したことで、近藤さんは肩をびくっと震わせた。
「あ、あの………せっかくここまでしてもらったのに………気づけなくてごめんね……」
「え……⁉」
近藤さんはきょとんとした表情になる。
「そ、そんなことないよ……」
両手を顔の前でふるふると動かす。
「だって……あのときの高岡くん、すごく体調悪そうにしてて、とっても苦しそうだったから……。一緒に保健室まで来たんだけど、来る途中で気を失っちゃって……」
「ご、ごめん…………迷惑だったよね」
「い、いや……。め、迷惑だなんて……そんなことは……全然思ってないの。………それよりも高岡くんが……無事でよかった……」
近藤さんは今にも泣きそうな顔で、途切れ途切れになりながら言葉を発する。
「近藤さん……………」
俺は近藤さんの表情を見て、続きの言葉に詰まる。
近藤さんはどこまでも純粋で優しい。
人の身に起きていることを、まるで自分のことのように考えてくれる。
うれしいときは一緒に笑って。
悲しいときは一緒に泣いて。
そういう意味で、近藤さんは強い女の子だと、俺は思う。
「あの……近藤さん」
俺はそんな悲しげな表情をする近藤さんを真正面から見る。
「あの……さっきは……助けてくれてありがとう」
――ありがとう。
その言葉は今まで生きてきて何度も発している言葉なのに、今回はなにか特別な感じがしたような気がする。
近藤さんはその悲しげな表情を少し緩めると、
「…………うん」
短い、たったの二文字を口にする。
しかし、なぜだかそれがとても重みのあるような言葉のように聞こえた。
それからしばらくの間、保健室には沈黙が流れた。
木村先生はまだ保健室にいるのだろうが、あれ以来こちらには顔を出していない。
ということは、ここ、保健室にいるのは俺と近藤さんのふたりだけということになる。
――ふたりっきり。
不覚にも鼓動が速まっていく。
こういった「ふたりっきりで○○」なんて展開はよくありがちな、いわゆるテンプレ展開というものである。
俺が知っているようなやつだと、この後ヒロインの女の子とちょっぴりえっちな展開に――っていやいや。そんなこと考えるな。
そんな展開になるのはラノベの中だけであって、現実にそんなこと起きるはずがない。
そもそも、俺は近藤さんに助けてもらったんだ。
あのまま体育館に放置だったら、今頃どうなっていたか。想像するだけで吐き気を催しそうになる。
それにだ。その……え…えっちな展開なんて……近藤さんに対して失礼極まりない。
この状況でそんなことを考えてしまっている自分に一発顔面ストレートをぶち込んでやりたい気持ちになった。
しかし、その反面、どこかでそんなラノベのような展開を期待する自分も少なからず存在していて……。
俺の脳内では、「伊織of悪魔」と「伊織of天使」との頂上決戦が現在進行形で行われているのである。
「ひゃっはっは‼ こんな展開が到来するなんて。滅多にないチャンスだぜ‼」
「な、何を言っているんだ‼ 近藤さんは倒れた俺を助けてくれたんだぞ。そこまでしてくれた相手にそんな邪な気持ちを抱くなど、言語道断にもほどがある‼」
「う、うるさい‼ お前は、近藤さんみたいな女の子と、ラノベお決まりのあんなことやこんなことをしたいと思ったことはないのか?」
「そ、それは……………」
「どうやら図星のようだな……。お前も素直になれよ……。ほらぁ……」
「うっ………………。し、しかし、俺は絶対に認めない‼」
この展開を見る限りでは、限りなく伊織of悪魔が優勢、伊織of天使が劣勢となっている。そしてそのまま終わるかと思いきや――
ここに来て、思わぬ形での幕切れを迎えることになる。
「――どうしたの、高岡くん?」
心配そうに見つめる近藤さんの声だった。
「……………………………ナ、ナンデモナイヨ?」
「そ、そうなんだ……」
近藤さんは挙動不審に答える俺のことを不思議そうに見ていたが、すぐにあることに気づく。
「って、高岡くん! す、すごい汗だよ。……もしかして熱? ちょっと待ってて……今体温計探してくるから」
「あっ……ちょ、ちょっと…………」
俺は近藤さんを引き留めようとしたが、もう既にカーテンから出ていってしまっていた。
「……………………………」
俺は茫然とする。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………」
罪悪感で押しつぶされそうな俺は、近藤さんの方に手を合わせて何度も謝ったのだった。
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